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日蓮大聖人・池田大作

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“論ずるよりも行動を”  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 博士は平和研究の先駆者ですが、研究室だけに閉じこもらず、世界の紛争地域などの現場にも進んで飛び込み、研究を深め発展させていく行動的アプローチをとっておられます。そこに、行動する平和学者としての優れた資質を見る思いがします。
 私は一九九〇年七月に訪ソしたさい、モスクワ放送のインタビューでも強調しておいたのですが、「観念のうえで平和を論ずる人は多いが、大事なのは行動である。平和を論ずるなら行動しなくてはならない」というのが私自身の一つのモットーです。もし博士のモットーのようなものがありましたら――。
 ガルトゥング 私は、「平和への道はない。平和そのものが道である」というガンジーの言葉に大きく影響されました。ですから数年前に、ただ今のご質問と同じような趣旨で、平和研究、平和教育、平和行動の目的を簡潔に表現するよう求められたとき、私はこの言葉を借りて「平和的手段による平和」と答えました。
 ガンジーの倫理問題へのアプローチは、経験にもとづくものであり、実験的でさえありました。これはアインシュタインの場合も同様です。非暴力主義のような道徳的な訓令は、経験的な現実によって吟味しなければなりません。そして、その経験的現実ですが、たとえそれに対する私たちの認識が変わりはしても、それ自体は変化しません。非暴力に関するガンジーの確信が生まれたのは、ヒンドゥー教・仏教で説く生命の一体観のような、高尚な理念によるだけではありません。それは、非暴力が実行可能なことに彼が気づいたことにもよるのです。数百年、いや数千年も以前に民主主義の実験をした人々と同じく、彼は非暴力の実験を試みました。ガンジーもアインシュタインも、一〇〇パーセントそうであったとは言えないにせよ、ともにきわめて実際的な人たちでした。
 彼らにとっては、倫理的な規範は、現実の試練をまぬかれるものではなかったのです。私の場合も同じです。どこかアングロサクソン的な、また北欧的な、そしてもしかしたら中国的・日本的とさえいえるかもしれません。「理性の世界」は、それが道徳的信念を定着させるためのものであれ、現実に関する一般的認識を定着させるためのものであれ、感覚的に体験される、必要ではあっても十分ではない「経験の世界」を排斥するものではないということです。ガンジーはこの(「理性の世界」と「経験の世界」という)両者の間隙を埋めてくれたのです。
 池田 「平和的手段による平和」とのご信条に、心から共鳴をおぼえます。
 文豪ゲーテは、「いつかは目標に通じる歩みを一歩々々と運んでいくのでは足りない。その一歩々々が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ」(『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波書店)と語っています。平和という、はるけき理想「への」一歩一歩ではなく、その歩み自体がまさに「平和そのもの」でなければなりません。
 人間は、紛争や暴力という愚行を、他ならぬ「平和」や「正義」の美名のもとに繰り返し引き起こしてきました。この人類の宿痾ともいうべき不条理を思うとき、「目的」はいかなる意味においても、「手段」を正当化するものであってはならないはずです。
 私は、あのフランス革命に対するゲーテの見方を思い起こします。彼は言います。「私がフランス革命の友になりえなかったことは、ほんとうだ。なぜなら、あの惨害があまりにも身近でおこり、日々刻々と私を憤慨させたからだ」「私はあらゆる暴力的な革命を憎むのだ。そのさい良いものが得られるとしても、それと同じくらい良いものが破壊されてしまうからだよ。……暴力的なことや突飛なことはすべて私の性に合わないのだ。それは、自然に適っていないからね」(『ゲーテとの対話』下、山下肇訳、岩波書店)と。
 そして“バラの花は六月に咲くのが自然なのだ。その時を待ちきれない人は温室へでも行くがよい”と、彼は巧みな比喩で“不自然な革命”への憂慮を表明しています。もちろん、ゲーテはすべての革命を嫌悪したわけではありません。彼はただ、革命の名において横行する暴力や略奪を、断じて許すことができなかったのです。
 これはガンジーの活眼とも通じています。資本主義の矛盾が深まり、社会主義ソ連が人類の希望とされていた“赤い三〇年代”と言われたころ、ガンジーは、暴力容認という一点で、ボルシェビズムの欠陥を見抜いていました。極端に言えば、今日のソ連の崩壊を予見していたと言ってもよいでしょう。こうした意味で、「実際に現実に適ったもの」「あらゆる感覚を通じて接する経験の世界」を重視する「実用主義」という行き方は、まさにゲーテ的であり、ガンジー的であり、歴史に対する正視眼であると思います。

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