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日蓮大聖人・池田大作

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頭では現実を、心には理想を  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 私は「北風がバイキングを作った」というスカンジナビアの諺が好きです。バイキングは日本では「海賊」というイメージがありますが、世界中で交易を活発に進めたという実像は比較的見すごされているようです。
 バイキングの剛毅な気骨は、安穏な境遇のなかではなく、北風が苛烈に吹き荒れるなかでこそ育まれるものであり、とくに青年たちはそれくらいの雄々しい気概で人生の苦難に挑戦していってほしいと願っています。
 博士は若い世代が今、どのような自覚で日々を送っていけばよいか、何か若人に贈る言葉があればお願いしたいと思います。
 ガルトゥング この世の多くの事柄と同じく、バイキングにも二面性があります。まず、何といっても彼らは、かの北欧の共通祖語である力強い古期ノルド語で書かれた、不思議で、もの悲しく、暗い運命に覆われた、さまざまなアイスランド・サガ(伝説)の作者でした。しかし、同時に彼らが、陸地を生活の場とする攻撃しやすい人々とその文化を軽蔑する侵略者であったことも事実です。初期のころ、彼らは迅速かつ敏捷であり、奇襲を事としていました。しかし、その後、被征服者たちから取り立てた税で暮らすようになったころから、無気力、怠惰になり、衰亡が始まったのです。
 バイキングは当時の帝国主義者であり、他の民族を自分たちの意志のままにしていました。その一例がロシアであり、だいたいこの「ロシア」(Russia)のrus(「船乗り」の意)そのものが古期ノルド語に由来するのです。バイキングに恐れおののいたアラビア世界の歴史家イブン・ハルドゥーンが描写しているように、彼らは野蛮、残酷、貪欲で、搾取を事としていました。しかし同時に、彼らはまぎれもなく勇敢であり、不屈の精神を持っていました。
 おっしゃるとおり、そうした資質を青年たちのなかに培うのは大切なことです。しかし、私の考えでは、より重要なのは強い好奇心と思いやりです。これは従来もつねにそうでしたし、現在も、そして今後も変わることはないのですが、つねにネガティブ(否定的)で闘争的、破壊的な要素だけに固執するよりも、ポジティブ(肯定的)で建設的、共有的な要素を探し求めるほうがよいのです。もちろん、ネガティブな、不調和な要素も無視してはなりません。私たちは、そうした要素をも完全に理解しなければなりません。それも、その結果、私たち自身がそれらの問題の解決者であるどころか、その当事者であることに気づいて苦悩することになる、といったところまでの深い理解が必要です。しかしだれであれ、どの年齢層の人であろうと、ネガティブな要素のみに意識を向けるべきではありません。むしろ私たちは皆、そうしたネガティブなものを超越して、人類の融和と平和への探求に努めなければなりません。
 私たちは頭では現実主義者であり、心には理想主義の炎を燃やしつづけなければなりません。それこそ平和研究と平和への行動がめざすものです。現実に目を閉ざしても、何の役にも立ちません。同様に、現実主義を超えて、理想主義を人間的に展開していくことができない人たちは、人類の進歩には貢献しないものです。つまりこの能力に欠ける人たちは、現実的な形式、偏見、差別などを繰り返すよう――それも主にみずからの手で――あらかじめプログラム化しているのです。そして彼らに特有なものは、直接的・構造的暴力にともなう深い悲観主義(ペシミズム)です。ですから彼らが最悪の事態を想定して作りあげるシナリオは、いともやすやすとその予言どおりに現実になるのです。
 池田 私の友人に旧ソ連(キルギスタン)の著名な作家C・アイトマートフ氏がおります。一九九一年から九二年にかけて、二人の対談集も世に問いました。彼も幼いころ、父親をスターリン治下の粛清によって失うなど、苛酷な時代を生きてきました。しかし、彼は、どんな絶望的な状況下におかれても、理想と希望を失いませんでした。小学生の時代に、村の学校の先生から「おまえの父親の名を言われたときに、決して目をふせるな!」と言われたことを絶対に忘れずに、生きぬいてきたというのです。彼もまた、理想と現実との落差に苦しみながらも、夢想家にもならず、世をはかなむ絶望家にもならず、二つの手綱を必死に握りつづけてきた一人といえます。
 じつは、数年前、彼が西ドイツ(当時)の「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」紙のインタビューを受けていたのですが、その時、「あなたにとって最大の不幸とは、どんなことですか」という質問に対して、こう答えているのです。
 「私は迷信家なので、答えるとそのとおりになってしまいそうなので、答えません」
 たんなるユーモアといってしまえばそれまでですが、そのような質問に答えようとしたとたんに、彼の脳裏には過去の辛い思い出の数々が走馬灯のようにかけめぐり、それが未来に投影されていたにちがいありません。それを軽くユーモアでつつんで、あたたかく記者に投げかける――その余裕というか、にじみ出てくる人間性が、彼の持ち味なのです。博士のおっしゃる「現実主義者」の対極に位置する人格として、アイトマートフ氏のことを思い浮かべました。
 とまれ、A・マーシャルが言うように、「クール・ヘッド・アンド・ウォーム・ハート(冷静な頭脳とあたたかい心)」こそ、何事であれ、物事を成就していく条件でしょう。「頭では現実主義者であれ、そして心には理想主義の炎を燃やしつづけよ」という博士の言葉に、私も大賛成です。

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