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日蓮大聖人・池田大作

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挑戦を受けて立つ  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 博士が十三歳の時、お父上のアウグスト・ガルトゥング博士がナチスの手によって強制収容所へ連行されたとうかがいました。お父上はかつてオスロ市の副市長を務められ、また医師としても献身された方とうかがっておりますが、十代の少年にとって最愛の父を捕らわれた不安と苦悩は、耐えがたいものがあったと推察されます。
 このことが、博士が人道と平和への貢献を決意される動機となったともお聞きしていますが――。
 ガルトゥング 私の動機は二つありました。私的な次元では、私は、第二次世界大戦中に全ノルウェーを、そしてとりわけ私たちの小さな家庭を苦しめた、あの激しい狂気に影響されました。どうしたらあのような恐ろしい出来事を回避できるだろうか、(今日の私に言わせれば)どうすればヨーロッパ全体のカルマ(業)を改善できるだろうか、そして率直に子ども心に、どうしたら父に私たちと同じ家の中でずっと一緒に生活してもらえるだろうか――その方法を見つけだしたかったのです。
 その解答は、武力による抵抗であるのか、それとも非暴力の自己防衛であるのか――。その答えが、ナチスによる暴力的な占領を受け入れることでなかったのは、いうまでもありません。当時、ノルウェー国民はその選択に苦悩したのであり、今もなおそのことで非常に苦しんでいます。私たちノルウェー人は、ドイツによるノルウェー侵攻の日である一九四〇年四月九日にちなんだ、いわゆる“四月九日コンプレックス”に悩まされているといわれています。
 私の第二の動機は、これとはまったく違ったものです。現代社会に生きる多くのティーンエイジャーと同じく、私も意義ある生涯の職業、ある種の使命とすらいえるものを、探し求めておりました。この職業探求の道程で考慮の対象となったのは、医師、化学者、物理学者、社会科学者などでした。そして、最後に到達したのが平和研究者だったのです。ただし問題が一つありました。それは、当時はまだ、この平和研究という職業が存在していなかったことです。それは、これから創始しなければならない新しい学問の分野だったのです。これには、たいへんな苦闘がともないました。自然科学と社会科学の二つの学部で、並行して研究を進めなければならなかったのです。たしかにこれは困難な仕事ではありましたが、私はそのことを少しも後悔しておりません。なぜなら、そのおかげで私は学問についての、また人間の状況についての、さまざまな考え方に心を開かれたからです。“挑戦を避けるのではなく受けて立つ”というのが、私が生涯一貫してとろうと努めてきた方針です。その根底にあるのは、私たちは数々の挑戦を通じて成長するのであり、一つの挑戦を克服することによって次の挑戦に立ち向かえる、という単純な信念です。たしかに、平和のための仕事は挑戦の名に十二分に値するものでしたし、今でもそう感じております。この挑戦に応じたおかげで、私は、平和と紛争に関する実行可能な理論を発展させることを、人生の目標の一つと定めることになったのです。
 こうしてみると、私の動機は、頭脳と心の両方からのものだったのです。私はこの両者は互いに反発し合うものではなく、“陰陽”の関係にあると解釈しています。つまり、心の中にも頭脳の働きがあり、頭脳の中にも心の働きがあるのです。そのいずれにもあらゆるレベルで十分な注意を払う必要があり、そのためには、十分な「内なる対話」が必要です。
 私の心は平和を強く求めていたのですが、私の頭脳はそれをどう達成すればよいのかわかりませんでした。そして私の頭脳は、心による導きが不十分であったために迷ってしまったのです。こうして何年間にもわたって苦悩し、準備し、待機したあげく、一九五〇年代になってようやく、私は最初の控え目なプロジェクトをいくつかスタートさせました。やがて私の天職への探求に対する最終的な解答は、平和研究という形で現れたわけですが、この研究分野は、やがて努力のかいあって、大学の教科として確立されるようになりました。そして、今日ではしだいに評価を高めつつあります。
 池田 「挑戦してみる、何事も試みることなしにはあきらめない」という博士のスローガンは、じつにすばらしいものです。全面的に同感です。現実をいくらあれこれ解釈しても、実際に挑戦してみなくては、一歩も前に進みません。私が青年時代から愛読したゲーテの『ファウスト』に「人間は、努力をする限り、迷うものだ」とありますが、挑戦の努力は現実との格闘と試行錯誤の過程を通して人間を鍛え、またそこからなんらかの変革への突破口が開かれていきます。これは、私が十九歳で仏法に巡りあい、平和への戦いを開始してからいちだんと深く実感されるようになりました。
 「挑戦」という言葉には若々しい青年の気概があふれています。とくに最近の青年には挑戦の汗を流すことを厭い、“わけ知り顔”で現状に安住する傾向が強いといわれますが、そこには本当の満足はないと思います。目標を立て、挑戦していく――その行動のなかで身体でつかんだものだけが、経験という人生の財産となっていくものです。博士の言葉は、青年への最大の贈り物であると思います。
 私が十九歳の時に仏法を平和の哲学として信仰したのは、もちろん恩師戸田城聖先生の偉大な人格にふれたのが直接の動機ですが、そこにいたるまでに、戦後、出征した長兄がミャンマー(旧ビルマ)で戦死したことを知らされた時の母の嘆きを目のあたりにし、また戦火によるわが家の焼失といった経験もし、戦争を憎む気持ちが強まっていったという背景がありました。戦争が終わり、それまでの価値観が崩壊した戦後の青春期に、信じて悔いない人生と平和の原理を求めていました。そうした時期に仏法に巡りあったのです。
 人間のための宗教、平和のための宗教である仏法を、日本中に、世界中に流布していくことは前代未聞の事業であり、その挑戦のなかで、私はあらゆることを学びました。人間の強さも弱さも、崇高さも卑小さも、賢明さも愚かさも……。それらの一切は私を鍛え、ますます仏法への確信を深めさせてくれました。今、SGI(創価学会インタナショナル)は仏法を基調として、平和な世界の実現のために活動していますが、それは私の生涯にわたる挑戦であると決めています。

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