Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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十 釈尊の「無記」(沈黙)の意味するも…  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  積極的な意思表示
 博士 次に、多くの基本的問題に関する釈尊の見解は、幾分あいまいなままになっています。『中部経典』(マッジマ・ニカーヤ)に伝えられるマールンキャプッタという僧と釈尊との対話の中で、僧は釈尊に、なにゆえに次のような質問に答えようとしないのかを問います。
 すなわち、「世界は永遠なのか、否か。世界は有限なのか、それとも無限か。生命は身体に存するのか、それとも魂にか。存在するものは死後も存続するのか、否か」。
 池田 これらの質問に対して、釈尊はつねに「無記」を通したことですね。
 博士 ええ、それはもう徹底したものでした。あるときは次のように答えています。
 「ジャングルの中を歩いているひとりの男を想像しなさい。途中で毒を塗った矢にあたってしまう。毒の矢が身体につきささったままでは彼は死ぬでしょう。その負傷者は言います。『だれが矢を射たのか、その人は背が高いか低いか、太っているか、やせているか、若いか、それとも年をとっているか、高いカーストの出身か、低いカーストの出身か、これらを知るまでは私はこの矢を抜きません』。私、仏陀が言います。『汝、マールンキャプッタよ。その男は正しい解答を得る前に死ぬであろう』」
 池田 通常、「無記」の根拠として、この経典にあるような「毒矢の譬」が引き合いに出されます。「釈尊の沈黙」について有名な論文を書いたトロイ・ウィルソン・オルガンなどは、究極的な問題を見失って、無益な瑣末の問題に迷うことを避けるためというのが真実の理由に近いのではないか、と推測しています。(Troy*Wilson*Organ,”The*Silence*of*Buddha,”Philosophy*East*and*West,IV2*1954)
 博士 どうやらそうらしいですね。ただ私にとってわかりにくいことは、釈尊はこれらの重要な事柄に関して明快な説明をしようとせずに、人間の苦しみやその諸原因といったことに集中していたということです。一方、仏教のその後の解釈において、これらの質問のいくつかに対する明白な答えが示されており、それらは近代科学の見解と矛盾しないものとなっています。
 上述したような世界の本質に関する重要な質問に対しての釈尊の黙止ということについて、どう考えておられますか。
 池田 「無記」の意義について消極的・厭世的イメージをいだく人は、形而上学的な思弁をきらったとか、悟りは言語化できないとか、また「無記」は釈尊が哲学的思弁より悟りへの実践を重んじたのであると主張したりします。
 そこで、私は「梵天勧請」のエピソードを思い起こしてみたいと思います。
 博士 『ヴィナヤ(律蔵)』の『マハーヴァッガ(大品)』には、釈尊が悟りの境地に到達して仏陀となったあと、五週間、自受法楽していたが、その後、釈尊の心に次のような思いが生じたとあります。
 つまり、自ら悟った真理が貪りと瞋りに悩まされている人々にはとうてい理解できないであろうと予想し、説法への思いが消失していった。そのとき「世界の主・梵天」が、釈尊に悟りの真理を説法するように勧めるという話ですね。
 池田 そうです。釈尊は、貪りと瞋りに悩まされている人々には悟りの真理を知ることはできないであろうから、説法する気にはなれないという思いを梵天に告げています。
 博士 それでも梵天は二度目の勧請を行い、釈尊は二度目の拒否をし、梵天が三度目の勧請をしたとき、釈尊は悟りの眼で世の中の生きとし生けるものを観察しています。そして、世の中には汚れのない者や汚れの多い者、利根の者や鈍根の者、性質の善い者や悪い者、教えやすい者や教えにくい者など、さまざまな者がいることを知って、釈尊はついに説法の決意をします。
 そして、その決意をこめて梵天に次のように呼びかけます。「耳ある者どもに甘露の門は開かれた。(おのが)信仰を捨てよ」。この釈尊の説法への決意を聞いて、世界の主・梵天は「私は釈尊が教えを説かれるための機会をつくることができた」と考えて、釈尊に敬礼して姿を消したとあります。この梵天勧請の意味についても、古来さまざまな解釈がありました。
 池田 私は、菩提樹のもとで釈尊が、自分の悟った真理を民衆に説くべきか否かについて大いに逡巡しつつ、ついに説法を決意するにいたった〈生命内の葛藤〉を、釈尊と梵天の対話という形式で表現したのだと思います。釈尊の内なる世界ではすでに宇宙と一体化し、宇宙生命を自己自身のものとして生きる釈尊が苦慮したことは、煩悩の中にいる民衆をどうすれば〈創造的覚醒〉へと導くことができるか、という一点であったと思われるからです。
 したがって、ここに登場する梵天とは、根源的な宇宙生命にそなわる創造的エネルギーの神話化を指しています。ゆえに、この「梵天勧請」の説話が意図していたものは、衆生への大慈悲のゆえに、仏の悟りという言語化しがたいものをあえて言語化しようとしたことであった。そこに仏の説法の開始があり、仏教が開創されたのです。
 釈尊は、人々を悟りへと導くために説法したのです。どのように言葉で語るにせよ、人々を悟りへと導かないときには、釈尊はあえて沈黙したといってよいのではないでしょうか。つまり「無記」とは一つの積極的意思表示であったのです。
2  「無明」を断ち切るために
 博士 それ以外にも、釈尊が沈黙を守った問題は数多くあったのでしょうか。
 池田 実は、「無記」の対象となった問いは、遍歴修行者(パリバージャカ)たちの好んで発した問いだったのです。
 『スッタ・ニパータ』には、バラモン教に反対する勢力の人々――このなかには遍歴修行者もいたと考えられます――が論争し、口論し合い、かえって混迷の度を深めていった状況が述べられています。ある人々が「真理」であると主張するテーゼを、他の人々は「虚偽」であると主張する。まさに、その立場によって「真理」とも「虚偽」ともいえるテーゼの代表的な例が、釈尊が沈黙した問いでした。
 釈尊は、悟りのもたらす中道の智慧によって、バラモン教徒にもそれに反対する勢力にも、生命のなかに深層の欲望・エゴイズムとしての「無明」が存在することを見抜いたのです。
 実は、その「無明」こそが苦悩の輪廻をもたらす原因だったのです。そして「無明」とは、先ほど話し合ったように、仏教の示す〈包括的世界観〉への無知にほかなりません。
 このように、釈尊の黙止についての背景を考えますと、そこにはらまれた深い意義が明らかになると思うのです。
 議論のための議論にあけくれ、その論争に勝つことによって、かえって名誉欲にとらわれるような議論であったことは、『スッタ・ニパータ』に指摘されているところです。慈悲心からあふれでる民衆救済の議論ではなく、「無明」という深層のエゴイズム、煩悩に汚された議論だったのです。そのような議論の輪に加わることは、かえって「無明」の度合いを増すことになります。
 釈尊の〈大いなる沈黙〉は、断固として議論をこばむことによって、各自の生命内奥の煩悩に気づかせ、「無明」、渇愛の根源を断ち切っていったのです。そこに、釈尊の慈悲心のもたらす「無記」の積極的な意義があると思うのです。
 釈尊の言葉は、煩悩に汚れた世間一般の言説を超越していました。釈尊の沈黙も同様に、「無明」を断ち切り、コスモスを創造しゆく慈悲の行為のきわめて積極的な表出であったと考えたい。そして、釈尊の意志を感受し「無明」を断ち切ったところに、真如を洞察する智慧がわき、博士が言われる〈包括的世界観〉にもとづく数々の知恵が表明されることになったのです。

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