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日蓮大聖人・池田大作

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六 中国漢方医学とインド医学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  生命全体をみる東洋医学
 池田 医学の分野では、現代の主流は西洋近代科学の方法論、つまりデカルトの心身二元論のパラダイムを用いた西洋医学で占められております。たしかにこの医学は、外科手術や伝染性疾患には優れた有効性を発揮してきました。しかし最近では、西洋医学の限界性と副作用を指摘する声が大きくなっています。
 具体的には、薬害と耐性菌の問題、成人病の増加、心身症・ノイローゼ・精神病の増加、医療倫理の問題などです。興味深いことに、西洋近代医学の限界性が指摘されるとともに、日本では東洋医学への関心が高まっています。
 中国漢方医学などもそうです。この医学も、後述するアーユルヴェーダ医学や仏教医学とともに、西洋近代医学とは異なった生命観・疾病観に立脚しています。
 中国漢方医学は長い歴史の間に変遷し、また日本に入ってきた漢方は、日本民族の中で変化してきましたが、その基盤となる生命観は西洋近代科学の方法論とはまったく異なっていました。西洋近代科学が解剖学・病理学・細胞学等に立脚していったのに対して、漢方医学は陰陽説・気血説・虚実などによって、生命全体を包括的・システム論的に診断し、治療していきます。
 たとえば陰陽説では、全宇宙との相関のもとに身体も小宇宙として陰陽に分け、この二つがダイナミックに均衡を保っているか否かを見ていきます。気と血、虚と実も、ともに相補的な概念であります。
 また陰陽説と結合するにいたった五行説では、木・火・土・金・水の五大要素を万物に配し、その相互関連を全体的・システム的に判断していきます。さらに、鍼灸医学の基には〈経絡説〉があります。この経絡とか経穴については、多くの学者から種々の見解が出されております。
 このような中国漢方医学の特質として、漢方医の大塚敬節博士は、
 (一)功利性・実用性、
 (二)形式主義、
 (三)消極性・停滞性、
 (四)政治的性格、
 (五)合一性・全機性を挙げて、漢方医学のプラス面とマイナス面をみごとに要約しておられます。(『漢方診療医典、』南山堂)
 たとえば、功利性・実用性という点についていえば、病人が陰であるか陽であるか、実であるか虚であるかを見抜くことこそ漢方的診察の根本問題だと指摘しています。むろん陰陽説、とくに五行説においては、形式主義におちいってしまって停滞した面は否定できないと思います。しかし、個人の人間全体―身体と心を含めて―を、総合的に陰陽や虚実などによって診察し治療していく中国漢方医学、また〈経絡説〉による鍼灸医学も見直されています。
 博士 中国人は、二分論法の一種である陰陽にもとづいた複雑な世界観を展開しました。陰陽はさまざまな形で見ることができましょう。たとえば雄と雌、エネルギーと物質、肉体と霊魂等々です。こうした方向に沿って発展した思考体系はたしかに高雅ではありましたが、自然科学に関するかぎり、それもまた失敗する運命にあったと思うのです。
 中国人もインド人と同じく、経験的な事実をあまり重視しませんでした。そうした事実は枝葉的なものにすぎず、陰陽の抽象論を自在に展開することによって簡単に片づけられたのです。
 鍼療法という中国医学は、実用的で効果がある点では申し分ありません。ある種の外科手術を行う場合に、鍼が麻酔用として役立つことは西洋の外科医たちのあいだでも知られています。鍼療法に副作用がないことは明らかで、大手術を受けた患者が手術室から歩いて出ていったという例も聞いています。ところが中国では、鍼療法がなぜそのように効くのかという点について、事実の裏づけを欠いた一連の独断的な説明がなされているにすぎません。
2  健康とは調和の状態
 池田 一方、インドにおいてはアーユルヴェーダ医学が発達しております。『チャラカ・サンヒター』や『スシュルタ・サンヒター』は、貴重な文献として日本でもよく知られております。また、釈尊の弟子であった名医・耆婆が学んで仏教に取り入れたのも、アーユルヴェーダ医学でありました。
 耆婆はこの古代インド医学を学び、仏教哲理の側から吸収しつつ仏教医学を成立させました。この仏教医学は経典とともに、中国・日本をはじめ東洋の諸民族の病気を治療してきました。
 インドのH・S・シャルマ教授によれば、アーユルヴェーダ医学における健康とは、ドリドーシャ(ヴァーユ、ピッタ、カパ)の平衡や身体的構成要素の必要な機能が保たれていること、五感や魂が活性状態にあることなどを包括的に挙げております。つまり心身の調和、また身体的要素間の調和に健康を求めているようであります。
 仏教医学でも、五大説(地・水・火・風・空)を用いて宇宙と身体との調和、また心身の調和を説いております。そして医学の役割は、これらの各レベルでのダイナミックな調和を回復させることだと考えられております。
 博士 私の育った国では、アーユルヴェーダ医学と西洋医学が並行して用いられています。私の知見では、後者の医師のなかにも、自分や家族のためにはあからさまにアーユルヴェーダ医学を用いている人が多くいます。
 その理由は、先生の言われるように、病気の治療にあたってアーユルヴェーダ医学は、人間のからだ全体の本来のあり方を尊重するからです。副作用はほとんどありません。それは数千年にわたる臨床実験で証明ずみです。これに対して西洋では、薬の臨床実験に五年の期間をついやすことなどめったにありません。
 インドと中国の医療の場合はいずれも、医師はまず症状(たとえばx、y、z)から、その病気―「X」と呼ぶことにします―が何かを見きわめます。それから、病気「X」には治療薬「A」が適当であると判断するのです。その治療薬としては、一般に自然の薬物を混合したものが用いられ、ただちに処方して患者に与えられます。〈Aの投与によってXは軽くなるか、または治る〉というとき、それは数千年にわたってテストされた実証的な相互関係にもとづいているのです。
 インドならびに中国の医師たちは、このような相互関係の確立にめざましい成功を収めました。事実、西洋科学は現在、東洋的治療法における有効な諸要素が何かを見きわめ、その有効な要素のみを分離して利用しようとしています。しかし、それは決して容易な仕事ではないとつけ加えておきます。
3  注目される豊富な薬剤
 池田 中国漢方において大塚博士の指摘された、功利性・実用性という特質ですね。漢方では〈診断即治療〉であり、〈随証治療〉として行われております。これは、西洋近代医学での病名治療と対比される考え方です。
 中国でもインドでも、長い実証的経験をとおしてきわめて豊富な薬剤が開発されてきました。たとえば中国漢方医学では、薬物学のことを〈本草学〉と呼んでいますが、その起源は素朴な用薬法から出発して、やがて内容が多岐にわたるにつれて体系化され、博物学的な色彩さえ帯びています。
 博士 薬剤はいつでも実用に供することができるように、インドでも中国でも、医師たちは天然の産物から得られる薬物を大量に集積しておりました。その多くが効力を発揮したようです。
 紀元前二七〇〇年に神農皇帝が『本草』という医書を著したとされています。これには天然の産物から得られる約八千百六十種の処方薬が網羅されております。チョウセンニンジンは何千年もの間、不老不死の霊薬として珍重されていました。中国人は、海草にはヨードが多量に含まれているので、甲状腺腫の治療に効き目があることを知っていました。
 池田 これまでに漢方の生薬の分析がすすんで、主な薬物の成分がほぼわかりかけています。たとえば、喘息のような病気によく用いられる麻黄からは、元東大教授の長井長義博士によってエフェドリンが分離されております。しかし、麻黄とエフェドリンが必ずしも同じでないところから、ほかの成分も分離されてきており、いまその相互作用が注目されています。これからも、生薬の総合作用が多くの成分の相互作用によってもたらされるという漢方薬の特質が明らかにされていくことでしょう。
 博士 同様に古代インドの薬局方も、広範囲にわたる多種多様の薬物から成っていました。主として草木・薬草・根から取れるものです。
 先ほど挙げられた『チャラカ・サンヒター』のなかでは、五百種の薬草について述べています。そして、これを用途によって便通薬・緩下剤・強壮剤・性欲促進剤などに分類しています。そのほかにも植物性の産物に由来する医薬が、多種多様の病気治療のために調剤されました。
 池田 仏教医学でも、『律蔵』の中に数多くの薬物が記載されています。とくに『大品』には詳細に病気とそれに用いるべき薬が対比して記されており、貴重な文献となっています。
 博士 西洋科学はようやく、そうしたインドや中国古来の処方薬の多くに含まれている、さまざまな有効成分の分析に関心を示すようになりました。血圧を抑制する新式の薬や、もしかするとガンの治療に役立つと思われるある種の薬品が、最近、草木を原料とする東洋の処方薬から抽出されました。もっともっと多くの物が東洋の薬物から当然得られるはずです。
 池田 アーユルヴェーダの生薬のなかでは、インド蛇木の成分(降圧剤)が取り出され、近代医薬品として開発されたことは有名ですね。今後も、アーユルヴェーダ薬物の化学成分の探究がつづけられていくことを期待しています。
 博士 医療の分野では、西洋医学の伝統がまだほとんど手もつけていない部分で、インドも中国もすでに長足の進歩をとげているとみることができます。しかし、どちらの国においても、身体の機能に関する医学理論はおそまつな空理空論にすぎませんでした。
 インド医学も中国漢方医学も、その理論構成には欠陥があります。東洋医学には分析的・還元主義的な研究態度が欠けていました。そのため世界の医学の進歩に遅れをとることになったのです。
 古代の東洋にも、内科医のほかに外科医がいました。彼らもたしかに死体の解剖を行っていましたから、身体の基本的構造について若干の知識はもっていたはずです。だが、身体の働き方の仕組みに関する彼らの知識は、原始的な域にとどまっていました。ですからたとえば、中国の医師は非常に緻密な方法で診脈し、それを診断の一手段としておりましたが、何が脈拍を起こしているのかはまったく知らなかったのです。
 しかし、インドと中国の医療で大いにほめるに足ると思われるのは、からだ全体の健康を重視していることです。病気は身体を構成する一部分の機能障害と考えられ、その治癒はからだ全体の回復にかかっているというのです。この東洋医学の一般的概念を西洋医学に取り入れるならば、長期的に見て西洋医学の質的向上に役立つことは間違いありません。

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