Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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七 生命の誕生と進化  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  宇宙との連関
 池田 さて、地球上にどのようにして生命が誕生したかというテーマについても、宇宙との連関において考察していかなければならない問題です。
 太陽系や地球の生成についてはさまざまな説があるようですが、星間雲が重力の作用で徐々に凝縮し、まず太陽が誕生する。そして、そのまわりに円盤状に広がったガスから塵が凝縮し、塵からできた小さな塊がたがいに衝突して、次第に大きな塊となって地球が形成されていった、とされています。九つある惑星のなかで、現実の問題として地球上には生命が誕生し、海から陸・空へと居住空間を広げ、人類にまで発展してきました。
 博士 星間雲が収縮し、ばらばらになって太陽や彗星や外惑星の天王星・海王星・冥王星を形成した、という説には私も同意しております。しかし、地球や火星などの内惑星の形成や巨大惑星の木星や土星の中心部の形成は、昔、第二次世界大戦当時、フレッド・ホイルが主張したように、高速で自転する原始の太陽の赤道地帯からはじき出された、円盤状の熱いガスが関係したと思っています。
 池田 その説は、一般的にも認められているのでしょうか。
 博士 いいえ。アメリカでプラズマ物理学を創始したライマン・スピッツァー二世が、太陽からはじき出されたガスは薄い円盤にはならず、飛び散ってしまうと批判しました。この影響で、ホイルの説は現在、一般には受け入れられていません。
 振り返ってみれば、当時はスピッツァーも若く、十分に現象を観察せず、単純な仮定の上に立った物理学理論を信じすぎたのだと思います。しかも、ホイルは反論をしなかったのです。スピッツァーの論理は筋がとおっているし、反論するには観測事実が少なすぎると思ったのでしょう。
 しかし、最近では、生まれたての太陽に対応した星々の観測が進んできました。しかも、現在の定説は新しい観測事実をうまく説明できておりません。この観測事実の上に立って、現在、定説になっている理論の問題点を洗いなおせば、ホイルの直感が正しかったことがわかると確信しています。
 池田 そのホイル博士の直感というのは、どういうものでしょうか。
 博士 太陽から飛びだした円盤状のガスが冷却するにつれて、金属や鉱物の粒子が凝縮し、その粒子がくっつき合って大きくなり、地球型惑星を形成したと考えるのです。
 太陽系の外域には氷でできた彗星が巨大な群をなして集まっていました。それは何百億という数でした。それらの彗星が互いに衝突した結果、その一部が天王星と海王星を形成しました。そして、これらの惑星になりそこねた彗星は外にはじき出され、現在では太陽系全体を取りかこむ外郭を占拠しているのです。その距離は太陽から〇・一光年です。
 ときどきこの外郭から彗星が飛びだし、途中で方向がそれて太陽系の内域にまでやって来ることがあります。それらの彗星のいくつかは地球などの惑星に衝突するにちがいありません。私たちの考えでは、そうした衝突によって現在、地球の表面にある海洋や大気を構成している揮発性物質の大半が生じたのです。
 H・C・ユーリーが一九六三年に「ホイルの説は人為的すぎる」と批評しました。多くの科学者もユーリーの見解を支持したことは知っています。しかし、状況は急速に変化しております。私はフレッドの考え方に基本的な誤りはないと考えております。また、それを裏づける最近のデータもふんだんにあります。
 池田 彗星などが原始の地球に衝突したとすると、当然のことながら大量の熱が発生したことでしょう。したがって、原始の地球を取り囲んでいた原始大気が蒸発して消滅し、その後、惑星内部からガスが抜け、現在の大気の原形が形成されていったことは容易に理解されます。
2  生命の根源的な〈傾向性〉
 博士 地球が初めて安定した大気と地殻をもつようになったのは、約三十八億年前と考えられています。その時期は、月から得た資料によってかなり正確に推定することができます。つまり、それまでは隕石が月面に激突しつづけていたのに、それがちょうどこの時期にぴったりやんでしまったのです。
 池田 地球から月面を見ると、明るい部分と暗い部分がありますが、アポロ宇宙船による月面探査の結果によれば、明るい部分が隕石の衝突でこまかく砕かれた石の部分で、暗い部分が内部からわきだしてきた溶岩の部分といわれます。そして、明るい部分は三十八億年より古く、暗い部分は三十八億年より若いそうですが。
 博士 そのとおりです。地球と月は、隕石の動くスケールからみると、ゼロといってよいほど近距離にある天体ですから、地球も約三十八億年前まで、常にそうした激突を受けていたと思われます。したがって、隕石の激突が終わったときが、地球の歴史のうえで生命が存続できるようになった最初の時期だったのです。
 池田 グリーンランドで見つかった最古の岩石というのもこれくらいの古さですか。
 博士 そうです。これが最古の堆積岩の出現した時期なのです。堆積岩というのは、より原始的な火成岩が水に浸食されてできたものです。注目すべきことは、原始的な生命体、つまりバクテリアとか、もしかしたらイーストとさえ呼べるようなものの化石が、こうした最古の堆積物の中に発見されているということです。
 池田 南アフリカで発見された三十一億年前のフィグトリー頁岩のことですね。
 博士 その後、ゆっくりと、ほとんど気がつかないほどの速度で、いくつもの長大な地質年代にわたって地球上の生命は進化し、だんだん複雑になっていきました。そして、いくすじにも分かれた進化の枝の一つを通ってやっと人間が出現したのです。約八万年前のことです。
 池田 人間が出現した点について、フランスの分子生物学者、生化学者ジャック・モノーは、『偶然と必然』のなかで「人間はついに、宇宙の無感情な無限の広がりの中に一人いることを知った。その広がりの中から人間はただ偶然によって出現したのである」(Jacques*Monod,Chance*and*Necessity,*translated*from*the*French*by*Austryn*Wainhouse*Alfred*A.Knopf,Inc.1971)と述べています。そして「科学的方法の基本的土台は、自然は客観的であるという仮定である。言い換えると、現象を終局原因、すなわち目的によって解釈することで真の知識が得られるということを系統的に否定することである」(同前)と主張しております。
 私は、この「人間はただ偶然によって出現した」という思想は、科学の客観的な立場から人間が生きることの意味を否定する十九世紀の唯物論思想の影響を、色濃く残しているようにも思うのです。
 博士は、人間の生きる意味と客観性とを両立させるような科学は、はたして可能だと思われますか。
 博士 モノーの主張、すなわち自然についての唯一の正当な解釈は〈目的〉を否定することによって得られる、という見解には同意できません。それは知性を否定することになるからです。
 人間は明らかに知性と意識と目的観を賦与されています。したがって、これらの属性は、まさに大宇宙に本来そなわっている同様の属性に由来しているにちがいない、といえるでしょう。
 池田 近年の分子生物学などの進展によって、生命誕生の謎が解明されようとしています。初めに無機物質が存在し、そこに紫外線や放電のエネルギーが作用してアミノ酸や脂肪酸、そしてたんぱく質や核酸が合成されたとされています。しかし、簡単なたんぱく質でさえ、それを構成するアミノ酸が〈無目的〉に結合すると考えると、ほとんど合成不能であることが示唆されております。
 放送大学教授の野田春彦博士は、アミノ酸を手当たり次第使うという方法をとったのでは、「百個のアミノ酸が註文通りにつながったタンパク質分子が偶然できるまでには、宇宙の物質全体をアミノ酸にしても足りないのである」(野田春彦『生命の起源』、日本放送出版協会)と述べ、核酸の場合も、ほぼ同じような計算をしています。そして、「自然界の物質には生命を作りたがるような傾向があると考えざるを得ない」と述べています。
 私も同様に、生命の発生に関して、目的論を完全に除外することには無理を感じます。そして宇宙の中に生命を誕生させる〈傾向性〉が根源的にそなわっているのではないかと考えています。
 博士 さらに、もし宇宙の年齢をほんの百五十億歳ないし百八十億歳に限定するとすれば、組織化された生命体の誕生には、知性をそなえた存在による意識的な介入が必要となることでしょう。つまり、生命体(たとえば酵素)にとって最も重要な分子の配列は、宇宙全体とつながっている知的存在によって「行われ」なければならなかったことになります。
 私自身としては、それはほとんど考えられないことだと思います。むしろ、宇宙の年齢は限りのないものであり、その無窮の時の流れの中で組織化された生命体が自然に発生したという可能性のほうが大きいと思います。私たちがもっと知らなければならないのは、どのようにして意識が進化し、高等生物の脳細胞という化学構造の中に刻印されるようになったのか、ということです。
3  転換点となった『種の起源』
 池田 地球上における生物の進化に関しては、十九世紀にイギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンが発表した『種の起源』が、生物学の世界だけでなく、思想・哲学を初めさまざまな分野に大きな衝撃を与えました。彼の学説の骨格は次のようなものといわれています。
 (一)生物は一般に多産であって、そのなかには変異をともなうものもある、(二)子孫の間で生存競争が起きるが、変異が有利に働く場合もある、(三)それが自然選択され、有利な変異を遂げたものが生き残ってその種の多数派となる。ここに進化のプロセスが起きる、というものです。このような「自然選択説」を骨格として、「進化論」を打ち立てました。
 これらは十九世紀の思想を基盤にしたものであり、現在の私たちの理解からはほど遠い部分もあります。しかし、その後に立場を異にする学説が提案されたとはいえ、〈ネオ・ダーウィニズム〉に代表されるように、突然変異の発見やメンデルの遺伝法則の再発見、さらには分子遺伝学による遺伝子の解析など、ダーウィン進化論を補強するような知見も多く提示されております。
 したがって、ダーウィンの業績の意義、また「進化」という問題を科学研究の対象として確立したという意義は変わらないと思います。
 博士 提起された問題点はとても興味深いものです。一八五九年にチャールズ・ダーウィンの『種の起源』が発刊されたことが、科学ばかりでなく歴史や社会学においても転換点となったということについて、私も同じ意見です。
 ダーウィン説の社会学的意味には、純粋な科学的意味と同様に深いものがあります。ダーウィンの説のもとになったデータや観察は決して新しいものではありませんでした。すでに三十年ほど前に、イギリスの博物学者エドワード・ブライスが、ほぼ同じような一組の事実を用いて、自然選択は種としての固定した形質をおおむね保持するという、現状維持的な役割を果たしているにすぎない、と主張しました。
 池田 博士の言われるとおり、『種の起源』の中にあるデータは、ビーグル号による観察データはともかくとして、一般的なものも多いようです。たとえば、生物が多産である例として魚の卵の数を挙げたり、変異の例として人が飼育しているハトが野生のハトの変異であることなど、卑近なデータが少なくありません。
 たとえ身近で雑多なものであっても、科学者の洞察眼はいかに本質を突くものであるかを物語っています。ましてや、神がすべての生命を創りだしたという考え方が圧倒的に支配していた時代ですから、なおさらその感を深くします。
 博士 いうまでもありませんが、私たちは地質学上の記録から、種が時の経過とともに多様化し進化するという漸進的傾向を示すことを知っております。最も初期の生物は比較的単純――たとえば単細胞構造――であり、最も新しい生物は複雑で高度の機能をもっています。
 ダーウィンの時代には、完全にそろった地質学上の証拠が得られていたわけではありませんが、それでも進化が起きたことだけはおぼろげながらわかりました。長い時間の単位で進化が行なわれるという事実には異議はありませんでしたが、どのような仕組みで進化が起きるのかという問題は完全には解決されていませんでした。
 ダーウィンの説明は「自然選択」――つまりどの種であれ、生まれてくる膨大な数の成員のなかで最も適したもののみが生き残る、ということでした。一つの種の多数の成員のなかに偶発的に生ずる突然変異体は、あいているニッチ(生態的地位)を競って埋めようとするが、この競争で少しでも上手に生き残ることができた突然変異体は、ますます多くの子孫を生んでいく。このようにして一つの種がほかの種とゆっくりと融合し、新しい目や綱の植物や動物がつくられるのであろう、と考えられたのです。このことに関するダーウィンの説明は次のように要約されています。
 「概していえば、どの種においてもタカや寒気などにやられて、毎年ほぼ同数の個体が死んでいくにちがいない。したがって、一つの種のタカの数が減るだけでも、ほかのあらゆる種が直ちにその影響を受けるにちがいない。かくして、さまざまな形の割り込みが行なわれるが、その究極の原因は適切な構造を選びだすことにあるにちがいない。……いうなれば、くさび十万個分の力が、環境に順応したありとあらゆる構造に作用し、それらを自然界の秩序の中の空所に押し込めようとする。いや、弱い構造を追いだして空所をつくっているのである」 C.Darwin,”Notebooks on Transmutation of Species,1837ー39”(Darwin Manuscript Library,Cambridge University)
 この文章の力あふれる修辞は一八五九年に成功を収めました。また今日においても同様です。しかし、偶然に生ずる複製の際の誤りによって、ある最初の生物――たとえばバクテリア――からありとあらゆる動植物が生まれたとする説は、世人の軽信性につけこむものであり、論理的にも無理な拡大解釈です。
 池田 真理をあいまいにすることもよくありませんが、真理を拡大解釈するのもつつしむべきですね。科学によって明らかにされた事実は、人間が知ろうとしている事実の一つの側面であり、おのずから限界をもっているものです。この限界性を忘れて、不用意に理論を飛躍させることには、きわめて慎重でなければならないでしょう。
 有名なエピソードですが、『種の起源』が発刊されて半年後に行われた公開討論会で、進化論反対論者のサミュエル・ウィルバーフォース主教が、賛成論者のトマス・ハックスリーに対して「一つだけお聞きしたい。先生はサルが自分の祖先だとおっしゃる。では、そのサルの祖先はあなたの祖父方にあたるのですか、それとも祖母方ですか」と質問しました。ハックスリーは少しも動ずることなく「私の祖父がサルだからといって、それは恥ずかしいことではありません。恥ずかしいのは、その偉大な人間の才能を使って真理をあいまいにしている男と私が、共通の祖先をもっているということです」と述べたそうです。

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