Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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五 現代科学の宇宙論をめぐって  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  主流の「ビッグバン」説
 博士 近年の天文学者にとって最大の課題は、宇宙はどのようにして始まったのかということです。宇宙はビッグバン(大爆発)によって始まったのか、あるいは宇宙はもともと存在していて、いまもそのままなのかといったことです。
 そのどちらかの選択を迫られているわけですが、現在、多くの科学者が信じ、主流となっているのは「ビッグバン説」です。
 池田 私は青年時代に、戸田第二代会長から、この宇宙は〈原始の火の玉〉から始まったというビッグバン説を唱えたジョージ・ガモフの宇宙論や、アインシュタインの相対性理論の話を聞いたことがあります。独創的で大胆な発想に深い感銘を受けたことを覚えています。
 ガモフが一九四六年に提唱した「宇宙爆発説」によると、この宇宙は今から百数十億年以前、ビッグバンから始まったというものですね。
 そのとき、宇宙は超高温・超高密度のエネルギーで満たされた極小の〈火の玉〉であり、それが急激に膨張・進化してきたものであるとされています。
 はたして、そのビッグバンの瞬間の解明にまで至ることができるのでしょうか。また、ビッグバンから時間・空間が展開してきたと考えても、ビッグバンの瞬間〈以前〉はどうだったのか、なぜビッグバンが起きたのかについて追究したくなってくるものです。
 博士 今おっしゃった点こそ、まさにビッグバン説の枠内では追究してはならないとされていることです。ビッグバン説は現在、主流となっていますが、私はこの学説には基本的に問題があると思います。百五十億年前に大爆発によって宇宙が始まったとするビッグバン説は、証明する具体的証拠がほとんどないのです。反対に、この理論が誤りであることを示唆する一群の証拠がどんどん増えつづけています。つまり宇宙は、まさしくある種の定常状態にあるかもしれないのです。
 そこで、そうした最近の証拠をいくつか検討してみたいと思いますが、その前に、この宇宙論の問題全体を歴史的背景の中で見ておいたほうがよいと思います。
 いつ、どのようにして宇宙は始まったのか、それはなにからできているのか、全体としてどんな形をしているのか、宇宙論ではこうした問題提起をすることによって物理的宇宙を理解しようとします。このような基本的な問題は、昔から人類の心をとらえてきたことでしょう。
 池田 人間がどこからどのようにして出現したのか、長遠の歴史をさかのぼって考えていけば、星や宇宙の存在に突きあたります。
 人間である限り、自分がどこから生まれ、どこへ行こうとしているのか、自分を取り囲む世界はどんな姿をしているのかを、追い求めてやまないものであり、人類の誕生と同時に宇宙への探求が始まったのだと思います。
2  広がった新しい地平
 博士 世界の古代文明を代表する人々、つまりエジプト人、中国人、インド人、ギリシャ人などは、みなこうした問題について、それぞれ独自の考えをつくりあげました。
 偉大な宗教の多くは、類似の問題や関連した問題に対する解答を含んでおり、これらの宗教的見解はたいてい、きわめて堅固に守られていました。現代科学の宇宙論においてさえ、宇宙論の提唱者の頑固さや非妥協性はまったく驚くばかりです。
 初期の宇宙論は当然のことながら、全部とはいわないまでも、ほとんどが地球を中心とするものでした。そうしたモデルからの転換は、約四百年前にコペルニクスの出現によって、宇宙の中心が地球から太陽に移ったときに決定的になりました。以来、周知のように、宇宙論の沿革は常に地平線が広がってきております。
 池田 ガリレオ・ガリレイが一六〇九年から翌年にかけて、みずから製作した望遠鏡で月のあばたを見、太陽の黒点や木星の四大衛星を観測したとき、彼の驚きと感動はどのようであったでしょうか。小さな望遠鏡ですが、肉眼とは比較になりません。
 一六一二年十二月二十八日の夜にはガリレイは海王星の存在を記録していた、と主張している学者もいます。もちろん、ガリレイ自身はそれが土星のかなたにある新しい惑星であるとは気づかなかったようです。海王星は、一八四六年にドイツのヨハン・ガレが発見していますが、この学者の説が正しいとすれば、ガリレイが第一発見者ともいえます。
 レンズ越しの世界にふれて、現代の私たちが、ボイジャーの送ってきた噴火する木星の衛星イオの画像や、土星や天王星の素顔を見たとき以上の驚きがあったにちがいありません。ガリレイの書いた『星界の報告』を読みますと、三百数十年という時間を超えて、感動が生き生きと伝わってきます。また、天動説と地動説とをたたかわせた『天文対話』を著した彼の気持ちもわかるように思われます。既成の概念や権威にとらわれない未知への挑戦が、新しい地平を広げてきたと言えるでしょう。
 博士 まったくそのとおりです。アンドロメダ星雲やソンブレロ(麦わら帽子)などの銀河は、比較的最近――約七十年前――になって、主にアメリカの天文学者E・P・ハッブルの研究によって、私たちの住んでいる銀河つまり天の川の外にある恒星の集まり、すなわち〈島宇宙〉であることがわかりました。
 宇宙全体の構造に直接関係のある最初の動かしがたい証拠も、ハッブルの研究から得られました。最も強力な望遠鏡で遠くの銀河を研究することによって、ハッブルは銀河の後退速度(私たちの銀河から遠ざかる速度)は、その距離が離れれば離れるほど増大することを発見したのです。やがてそこから膨張をつづける宇宙の姿が現れましたが、それは遠くの銀河が、どんどん速度を増しながら私たちから遠ざかっているように見える宇宙です。
 池田 ハッブルは、ウィルソン山天文台の百インチ鏡で数多くの銀河観測をしました。肉眼でも見えるアンドロメダ星雲が、私たちの銀河と同様の渦状銀河であることを知って、当時の人々は感動したことでしょう。アメリカが一九九〇年四月、スペースシャトルを使って打ち上げた宇宙望遠鏡にハッブルの名前が付けられたのも、宇宙の姿を明らかにした彼の業績をみればうなずけます。
 博士 遠くの銀河は私たちから遠ざかっているというこのハッブルの観測は、ほんの束の間でしたが、私たちの銀河だけが宇宙の中心という特典を与えられているとするコペルニクス以前の宇宙観への回帰を思わせました。
 しかし、この納得しがたい状態も、そう長くはつづきませんでした。むずかしそうに見えた問題も、アインシュタインの相対性理論を応用することで、すぐに解決されたからです。全宇宙にまたがる諸問題を扱う場合には、当然この理論を考慮にいれなければならなかったのです。
 こうした検討の結論として、銀河は一つ残らず急速に私たちから遠ざかっているだけでなく、銀河同士もすべて互いに遠ざかっており、特別な地点など関係がないという一つの宇宙モデルができあがったのです。
 池田 銀河が互いに遠ざかっているという事実は、過去にさかのぼっていけば、銀河同士が互いに接近して一点に集まってしまう。こうして、ハッブルの観測を土台にビッグバン理論も生まれたわけですね。
 博士 そうです。もう少しこの宇宙モデルを簡単な比喩で説明しますと、内側から膨らませた球形のゴム風船の表面に等間隔にしるされた点のようなものです。これらの点の動きはハッブルの考えた銀河に似ています。どの一点(銀河)から見ても、他の諸点(諸銀河)はみな遠ざかるのです。
 当然のことながら、銀河の世界は風船の上の点のように二次元ではありません。しかし、宇宙論者たちは厳密な計算を用いて、もし私たちの現実の世界が、風船の比喩のように膨張していると考えれば、計算から出てくる宇宙は、現実に観測されているものと同じような性質の宇宙になるだろう、と主張することはできます。
 このプロセスを膨張から収縮へと逆行させて考えてみると、約百五十億年前か、あるいはもっと以前には、宇宙は一つのきわめて密度の高い〈特異点〉に凝縮していたように見えることでしょう。つまり、宇宙が一定の時点で始まったことを示唆しているわけです。これが基本的にはビッグバン宇宙論です。このモデルを最初に提示したのは、一九二二年、ロシア人の数学者アレクサンドル・フリードマンでした。
 池田 同じくビッグバン理論を提唱したガモフは、宇宙における元素の起源を研究しましたね。
 博士 ええ、この問題に対する解答を求める先駆的な研究が、一九四〇年代の中ごろに、ジョージ・ガモフとその同僚によって行なわれました。
 ガモフの主要な関心事は、化学元素つまりジュウテリウム(重水素)、ヘリウム、リチウムなどが、どのようにして形成されるのかという問題でした。宇宙創成後に数秒が経過して、温度が絶対温度約十億度になったときの宇宙の状態は、核融合のプロセスによって、基本的な構成要素である陽子や中性子からジュウテリウムやヘリウム、さらにいくつかの元素の原子核が形成されるのを説明するのに理想的と思われました。
 池田 想像を絶する高エネルギーの原始宇宙で、物質が生みだされていったということですね。
 博士 ええ、すでに一九四〇年代に天体物理学者たちは、同じくらい高密度・高温の恒星の深部では同様の核反応が起こる、と確信していました。そして宇宙が誕生したときには、これに似たような状況がもっともっと壮大な規模で進行していたと考えられたのです。
 ガモフは、私たちになじみ深い化学元素の大部分は、ビッグバンと関連づけられる〈火の玉〉の中で合成されると信じていましたが、その後の計算により、このようにしてつくられるのは、ジュウテリウム、ヘリウムと多分リチウムだけであることが明らかになりました。
 池田 そこで、水素やヘリウムよりもっと重い元素がどのようにして合成されるのかを研究されたのがホイル博士でした。それが、超新星の爆発の研究ですね。
 博士 そうです。重い元素は恒星の深部で合成されるのです。例えば炭素・窒素・ケイ素・鉄などができるには、恒星の深部でさらに元素合成が行なわれる必要があったのです。その模様は、一九五〇年代にフレッド・ホイル、ウィリアム・ファウラー、ジェフリー・バービッジとその妻マーガレットたちが説明したとおりです。
 ビッグバン宇宙論では、最初のジュウテリウムとヘリウムが合成されたとき、初期の宇宙は絶対温度十億度に相当する輻射場で満たされた熱浴に浸っていたと信じられています。
 宇宙が最初の密度の高い〈火の玉〉の状態から膨張していくにつれて、その温度はだんだん低くなり、現在の絶対温度十度以下にまで下がったにちがいないと考えることができました。このことが確認されれば、それはビッグバン宇宙論のきわめて明白な裏づけになるだろうと思われました。
 ちょうどそのころ、低エネルギーの「宇宙マイクロ波背景輻射」が宇宙に遍満していることを示す最初の証拠が現れたのです。一九六五年のことでした。こうした輻射は、ある種の無線送信に“シュー”という継続的な雑音を引き起こします。
 この輻射の発見は、アルノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって偶然になされました。全天の背景となっているこの電波の海の温度は、絶対温度で二・七度であることがわかりました。(黒体スペクトルをもつ)この放射は、空のあらゆる方向から同じ強さでやって来るようでした。
 この新事実に直ちに加えられた説明は、ガモフとその同僚たちが主張したものと大体同じで、背景の温度は、まさしく宇宙が約百五十億年前に爆発によって始まったときの余熱であるということでした。
 池田 人類初の人工衛星スプートニクが飛んだのは一九五七年ですが、六〇年代にはエコーなど多数の通信衛星が打ち上げられるようになり、通信技術も飛躍的に進歩しました。「宇宙マイクロ波背景輻射」の発見はこうした状況の中でなされたと聞いております。この発見があってビッグバン宇宙論が勢いを得ました。
 博士 そうです。これと対立する宇宙論は当時、即座に放棄されるだろうと考えられました。その後、この理論はますます強く信じられるようになり、宇宙論者たちは「宇宙マイクロ波背景輻射」を、ビッグバンの決定的で反論のできない最終の証明であるとみなすに至りました。
 ところが、これは決して決定的な証明ではなかったのです。〈背景輻射〉それ自体の存在は論争の余地がないのですが、それが後にも先にもたった一度だけのビッグバンの放射のなごりであるという説明は、証明もされていないし、内在的な欠陥がないわけでもないのです。
3  〈背景輻射〉をめぐって
 池田 そうすると、ビッグバン説にも不都合があるということですね。
 博士 一つのめだった難点は、〈背景輻射〉が空全体に驚くほどむらなく分布していることです。仮に〈背景輻射〉が本当に最初のビッグバンで生じたものとすれば、後に銀河団が形成されたときに、観測可能の不規則な痕跡をそこに残したはずです。その痕跡は(例えば最近のアメリカの衛星による実験の際に)たいへん注意深く探求されましたが、見つかったのは微細なリプルだけであり、これはビッグバン説以外の観点からも説明できるものです。
 池田 なるほど。そうしますと、博士ご自身は、この「宇宙マイクロ波背景輻射」の存在について、どのような見解を示されていますか。
 博士 考えられることは、〈背景輻射〉の大部分が何か未知の作用によってむらなくならされたか、あるいはもしかしたら、それが生じたのはまったくビッグバン宇宙の始まりの時点ではなかったということです。フレッド・ホイルと私が明らかにしたところによれば、この「宇宙マイクロ波背景輻射」を説明するには、星雲の光を吸収してマイクロ波を発するアイアン・ウィスカー(鉄の髭)が、宇宙全体に分布していると考えればよいのです。
 池田 そのアイアン・ウィスカーとは、簡単にいうとどういうものですか。
 博士 宇宙には塵が充満しています。この塵から太陽や地球をはじめとして、さまざまな天体が生まれてくるわけです。この塵の起源や性質を世界で初めて理論的に調べたのが、私の主要な研究の一つです。これは天文学者たちが認めています。アイアン・ウィスカーという考えは、この研究の中で出てきたものです。
 つまり、星の一生の最期に超新星爆発が起きますが、このとき星を形成している超高温度の物質が宇宙空間にまき散らされます。
 星の中心部にある物質は鉄が主成分ですから、灼熱の鉄が、突然、真空中にばらまかれたと考えてください。物質は膨張するとき冷えますから、真空中に拡散したとき、鉄はかたまります。鉄の物性データをよく調べると、鉄が宇宙にまき散らされたとき、どのような形にかたまるか、計算することができます。また、その物質が光を吸収したとき、その光をどのように変化させるかもわかります。
 私はその計算をしました。その結果、鉄は小さな髭をいっぱいもつ小さな塵になることがわかったのです。この塵をアイアン・ウィスカー、つまり〈鉄の髭〉といいます。
 池田 非常に面白い観点です。超新星は、最近では一九八七年に大マゼラン雲に出現しました。質量が太陽の七、八倍以上の星は、寿命が尽きるとき大爆発を起こすそうですが、そのとき星は急速に明るく輝き始め、太陽の数億倍から数百億倍の明るさにもなります。名前は超新星ですが、星の最期の姿ですね。
 博士 そのとおりです。
 池田 もう一つ、先ほど言われた〈リプル〉というのでしょうか、微細な〈背景輻射〉の変動は、いったい何でしょうか。どのようにしてできたのでしょうか。
 博士 「宇宙マイクロ波背景輻射」の中に微細なリプルが存在することに気づいたのはジョージ・スムート博士で、彼はこのことを一九九二年四月に発表しました。
 これらのリプルについてはビッグバン説による説明がなされ、広く喧伝されました。しかし、それはビッグバン説以外でもいくつかの観点から説明できるのです。例えば、もともとフレッド・ホイルとジェイヤント・ナーリカーが提唱した宇宙論によれば、リプルは〈リトルバン〉(小爆発)につづいて星雲が形成されたことを示すものと考えられるでしょう。
 もう一つの可能性としては、これらのリプルは、私が研究しているアイアン・ウィスカーが不規則に分布していることに起因すると考えることもできます。
 池田 そうですか。この星の中でつくられ、超新星の爆発で外に出てきた、鉄の微粒子の宇宙拡散の研究によって、博士たちは現代の宇宙論に一石を投じられたわけですね。
 博士 おっしゃるとおりです。宇宙論者のなかにはこれに立腹するものもおりました。自分たちの確信がたいへん弱められ、大事にしていた〈証拠〉の正当性が疑われるようになったからです。
 超新星によって宇宙にまき散らされた鉄の塵が、星からの熱と光をあびて二・七度(絶対温度)に加熱され、それによって「宇宙マイクロ波背景輻射」とまったく同様の現象が引き起こされていたのです。まぎらわしいといえば、たしかにまぎらわしい状況です。

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