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日蓮大聖人・池田大作

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一 詩と科学と  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  少年時代の感動
 池田 私たちの対談は、宇宙というロマンあふれる舞台がテーマです。天文学の専門家であられる博士と、こうして楽しく有意義に語り合えることをうれしく思います。
 博士 この対談は、東と西の文化・哲学・科学の対話ということで、タイムリーな意味をもつと思います。
 私は池田先生との対談を大きな名誉と思っております。
 池田 私こそ、恐縮です。
 まずはじめに、私は〈人間学〉の一専門家として、〈人間〉がいかに形成されるかに深い関心をいだいています。博士が天文学への志をもたれたのは少年時代とうかがっていますが、どのような動機からだったのでしょうか。
 博士の母国スリランカは、熱帯性で雨期・乾期がはっきりとした気候帯にあります。きっと子どものころに見上げたきらびやかな星空が、博士を天文の道へとうながしたのではないでしょうか。
 博士 私は、もの思いにふけりがちな子供でした。孤独を大いに楽しみ、友人たちとつき合うよりも自分自身の思索とつき合うのが好きでした。
 おっしゃるとおり、スリランカの自然はすばらしいものがあります。自宅付近のヤシの木の並木がつづく海岸を毎日、夕方の決まった時刻によく独りで散歩して遊びました。巨大な太陽が、黄、オレンジ、赤と変わりゆく自身の色合いに大空を染めながら、水平線のかなたに沈んでいくのを眺めたものでした。
 スリランカは赤道の近くに位置していますので、たそがれどきがほんの束の間しかつづきません。したがって日没の壮大な光景も、電灯がスイッチを切られたときのように、突然、急ぎ足で消えていくのです。
 池田 三十年ほど前(一九六一年)、初めて私は貴国スリランカを訪問しました。そのときに見た、荘厳な夕日は忘れることができません。明から暗へ大宇宙のリズムが変転する一瞬、自然の情景は神秘の音色を奏でているようでした。
 博士 美しい表現ですね。日没につづく光景は、雲一つなく、月明かりもない夜空の場合は、いっそう印象的なものです。気がつくと、堂々たる天の川が、光でできた花輪さながらに、優雅なアーチとなって天空に横たわっているのです。
 このときの体験を十四歳のころ、短い詩に書きとどめたことを今でも覚えています。
  見上げたる
  星満てる空
  今宵なる
  愛といのちの
  いかに多きや
2  池田 この短い詩の中に、今日の博士の姿がすでに映っているような気がします。美しい詩は美しい心に生まれる。豊かな自然は人の心を磨き、豊かな詩心を触発するものですね。
 十四、五歳のころといえば、最も多感な、〈人生の原形〉ができあがる時期と言えるでしょう。純粋なもの、美しいものに感動し、真実を探求し、自分自身を発見する年ごろです。
 いま東京では、〈光害〉のため明るい星さえあまりよく見えませんが、私も少年時代、夏の夜など、宝石をちりばめたような満天の星を銀漢(天の川)の帯が横切り、古の人々の願いを託した星座の物語に、深遠な宇宙へ心の翼を広げたものです。
 博士 この詩の中に、十四歳のときに感じた私の気持ちが忠実に表現されています。故郷スリランカの星をちりばめた空は、私の心の中に深くいつまでも残る印象となって刻印されたのです。当時は、スリランカもまだ、都市の照明は星空の眺めをさまたげませんでしたから。
 池田 実は私の末の息子も、中学一年のころ、天体観測に熱中していました。土星の環の美しさ、不思議さにすっかり魅せられてしまったのです。妻と相談して望遠鏡を買ってあげました。それからは、天文学関係の本を何十冊もそろえて勉強し、寒い冬の真夜中でもオリオン座の大星雲やすばるをあきずに眺めていました。広々とした宇宙の中に、夢がぐんぐんと広がっていくのだと思います。
 博士は、いつごろから詩に興味をもつようになられたのですか。
 博士 それはまだ幼かったころですが、やがて病みつきになりました。優れた詩は、ちょうど美しい日没のように、私を感動させてやむことがありません。私は数多くの英詩を読みました。そして十歳のころ、自分も詩作に筆を染めてみたい、周囲の世界に関する自分の気持ちを詩によって表現してみたい、と思い立ちました。
 池田 私も青年時代から詩が好きでした。詩とは〈人間〉と〈社会〉と〈宇宙〉を結ぶ心ではないでしょうか。
 一九八八年に開催された第十回世界詩人会議には、依頼があり「『詩――人類の展望』詩心の復権への一考察」と題する論文を寄稿しました。
 大宇宙の目に見えない法則、社会という変化してやまない現実世界を貫く法、そして人間の心の法――それらが融合し、律動し合いながら、悠久なる時空の中で展開される生命の壮大なドラマ。詩心は、その宇宙生命の脈動に満ちた世界の扉を開き、創造の根源の力に迫るものです。
 また詩歌にかぎらず、絵画・音楽等の優れた芸術作品にふれたときの、胸中のうちふるえるような感動、生命の充足感は、宇宙の精妙なるリズムにうながされて天空へと飛翔しゆくがごとき、自己拡大のたしかなる実感といえましょう。
 ところで、この短い詩は、俳句に似ていますね。博士は俳句もなさるとうかがっていますが。
3  俳句への関心
 博士 ええ、私にはじめて俳句の手ほどきをしてくれたのは、たしかセイロン大学で私が師事したダグラス・アマラセカラだったと思います。彼は非凡な数学者でしたが、同時に優れた文化人でもありました。れっきとした芸術家であり、画家だったのです。
 生まれて初めて芭蕉の俳句(もちろん翻訳されたもの)を読んだとき、私はこれこそ自分に適した文学様式であると感じました。この様式は表現の正確さという点で、ほかに類例のないものでした。その正確さが私の気質にぴったり合ったのです。しかも、この俳句に使われる単語の数はきわめてわずかでしたが、そこに呼びだされる心象は宇宙の果てにまで達していたのです。
   満月の夜
   ひすいの仏が
   灯明のほのかな光に
   見え隠れしながら
   微笑んだ 安らかに
    (一九五九年)
 俳句は〈宇宙的〉といってもよいような属性をもっており、その点で、おそらくこれに匹敵する表現形式はほかにないでしょう。一つの俳句を詠みますと、ほんの数秒のうちに宇宙のなんらかの側面を深く、そして強く経験することができます。
 池田 俳句は、極小の十七文字(音節)の中に、極大の天地をも収めようとする芸術です。博士の俳句への関心は、大変に興味深く感じます。二冊の俳句集も出版されているそうですが。
 博士 そうです。一九五八年と一九六一年に出版しました。実をいうと、専門である科学の分野では、当時まだ一冊も出版していなかったのです(笑い)。六一年の俳句集は、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジから評価され、同校のパウエル英詩賞を受賞しました。
 池田 それは、すばらしいことです。
 博士 ここで申し上げたいことは、俳句風の詩が現代英詩全体におよぼした影響は皆無に等しいということです。アメリカにエズラ・パウンドという詩人がおりましたが、名のある現代西欧詩人のうちで、俳句様式(「イマジズム」という名称で知られるようになった)を英詩の正当的な形式として取り入れようと試みたのは、おそらくこのパウンドただ一人でしょう。
 「イマジズム」の影響がなぜもっと広範囲におよばなかったのか――私にはこの点がいささか意外に思われます。それは多分、文化的にみて本来不適当な組み合わせであったからでしょう。二十世紀の西欧物質主義と俳句哲学とでは、根っから相いれない矛盾するものだったのです。
 池田 天文学者である博士が、大宇宙の神秘を表現するのに、日本の伝統的な詩の一つのジャンルである俳句の形態を用いられたのは、興味深いことです。
 わが国で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も、かつて「私は一体何を求めているのか。一言で要約するならば、〈詩の世界〉というのが適切であろう」(「唐詩選」、『湯川秀樹著作集』6、岩波書店)という意味のことを語っていたのを思いだします。
 仏教においても、経典の形成過程はまず詩(韻文)によってなされ、散文的な部分は後に加えられたのではないか、ともいわれております。もちろん、詩のほうが人々の記憶に残りやすいという実利的な要請もあったと思いますが、それ以上に、釈尊の悟りの境地という生命奥底の無形の内実を表現するには、散文による概念的な説明よりも、一挙に本質の洞察に導くような詩の表現が適していたからではないでしょうか。
 博士 なるほど、よくわかります。
 池田 大乗仏教の中心経典であり、釈尊の悟りを表出している『法華経』では、無限にして永劫に流転する大宇宙の様相を描きあげるとともに、一方では、一瞬の生命に内包される絶妙な働きを説いております。そして、極大の大宇宙と極小の「一念」の生命の働きを貫く〈法〉を「一念三千」として説き明かすのですが、その表現方法はきわめて文学的な、なかんずく詩的な要素に満ちあふれております。
 俳句も詩の一種ですが、そうした詩の世界は、崇高なる宗教的な悟りの境地、精緻な哲学の直感に通底するものがあるようです。

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