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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 国連の現実  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

前後
1  第四の超大国
 池田 これまで、日本、アジア、ヨーロッパ、ソ連、アメリカと、それぞれの国や地域がもつ問題について、話しあってきました。
 ここで、あなたが半世紀にわたって提唱され、運動を推進してこられたパン・ヨーロッパ主義の立場から、ヨーロッパが世界政治において果たすことのできる役割は何なのか、また国連の現状と将来、世界連邦への希望などについて、ご意見をうかがいたいと思います。
 クーデンホーフ これまでにもお話ししましたように、私は、ヨーロッパが米中とならぶ″第四の超大国″になることを、望んでいます。ご存じのように、今日の世界政治は、米ソ中の三つの超大国――つまり二つの共産主義国と一つの民主主義国によって、牛耳られております。ですから私は、バランス・オブ・パワー(力の均衡)のために、世界の平和のためにも、ヨーロッパは世界第四の超大国になるべきだと思います。
 私は核保有国である英仏を含むヨーロッパが、パン・ヨーロッパ主義――欧州統合運動に結束すれば、国際政治において、決定的な役割を果たすことができると考えるのです。
 なぜかと言いますと、ヨーロッパは、その歴史的な経験のうえから、国際的な諸問題に対して、米ソ中の三カ国よりも、より理想的なアドバイスができると信ずるからです。
 池田 私も、ヨーロッパがその豊かな歴史的経験と英知によって、これからの世界に、大きく貢献していくものと信じています。
 そこで考えるのですが、あなたの言われる第四の超大国は、当然、米ソ中のような核による力の政治とは、おのずから違った基盤に立つべきだと思いますが、この点について、あなたのご意見はいかがでしょうか。
 力の均衡に支配されている国際政治に対して、ヨーロッパがアドバイスできることは、いったい何でしょうか。
 クーデンホーフ ヨーロッパの将来のあり方は、現在のスイスにならうべきだと思います。ヨーロッパは、多くの国々から成り立っているため、こちらから戦争をしかけるということは、不可能です。万一、ヨーロッパがひとたび攻撃をしかけたり、あるいは征服しようとした場合には、ただちに自己分裂してしまうでしょう。もしも将来、ヨーロッパにとって、戦争があるとすれば、それは攻撃の戦いではなく、防衛の戦いでしかありえません。
 池田 近い将来、ヨーロッパがスイスのように、平和愛好国として、一つの勢力に結集することは、はたして可能でしょうか。
 クーデンホーフ ヨーロッパの四大国――フランス、ドイツ、イギリス、イタリアが合意すれば、それは可能だと思います。この四大国が統合すれば、人口的には大国ヨーロッパが構成されます。その他のヨーロッパ諸国も、自然にこれに加わるでしょう。大切なのは、四大国の協力です。
 池田 その場合、四大国のリーダーシップをとるのはどの国でしょうか。ひと口にヨーロッパといっても、宗教、言語、民族、歴史、伝統の違いなど非常に多様化していますね。政体についても、共和政体あり、君主政体あり、というように……。
 クーデンホーフ だれが指導者、どの国がリーダーシップをとる、ということではないと思います。
 私は今、パリとロンドン間の相互理解をつくろうと努力していますが、そのために、二つの委員会を設立しました。一つはピユール・ビヨット将軍を委員長とするパリの委員会、もう一つは、セルウィン・ロイド氏を委員長とするロンドンの委員会です。
 委員会の目的は、フランスとイギリスとの間の協調、理解をつくりだすことにあります。ヨーロッパは、またいっそう四大国間の調和と協力を推進するための国際機関の創設に努力すべきだと思います。
2  国連はこれで良いか
 池田 国連の現状についてどうごらんになりますか。国連中心主義という主張がある反面、国連は、はたしてこれでいいのか、という悲観的な見方も増えています。私は、国連を将来の世界連邦への確実なステップにしていかなければならない、と考えていますが……。
 クーデンホーフ インドシナ戦争でも中東紛争でも国連は、すでに、力がないことが、証明されています。かつて、国際連盟は、第二次大戦の勃発によって崩壊しましたが、今の国連は、それよりもまだ無力化している状態です。にもかかわらず、さしあたって抜本的な改革は期待できません。
 私は、世界のすべての国家が、真に協力しあえるようになるためには、まったく新しい国連憲章が制定されなければならない、と考えます。この新しい憲章は、世界のあらゆる国民や政府、議会によって、承認されるものでなければなりません。
 別の言い方をすれば、すでに形骸化している国連の現在の機構を生き返らせるために、私は新しい世界機構がつくられなければならない、と思うわけです。
 もちろん、この機構は、世界平和を願うすべての人々によって、承認されるような、それ自体の独立した主権と権限をもつことが必要でしょう。
 池田 国連のあり方について、私の考えは、あなたの言われるのと、少し違います。私は、国連の憲章や機構を変えたとしても、これによって、事態が根本的に変わるとは思いません。
 問題は、現在、国連が当面している懸案である地域戦争、軍縮等の諸問題をいかに解決し、どのように克服していくかにあるわけです。
 これらの問題がなおざりにされているかぎり、たとえ新しい機構ができたとしても、これらの問題を根本的に解決することはできないのであって、現在の欠陥は、新機構にそのまま持ち込まれることになると思います。
 重要なことは、そこへ行き着くまでの道程です。国連を無力化しているのは、国連自体のあり方というよりは、アメリカやソ連などの超大国の意思や行動が優先されているためだ、と考えます。
 クーデンホーフ 国連が、これまでの超大国支配から脱皮することは、困難でしょう。問題は、総会に出席する小国も超大国も同じ投票権しかもっていないことにあると思います。つまり、大国が十分な権利を与えられていないことにあるわけです。
 世界連邦ができるまでは、世界平和は現実には超大国間の協力によってのみ可能であって、超大国の支配に反対しても実現できるというものではないと思います。
 平和主義者は一般に、抽象的な権利を過大評価し、現実に働いている力というものを過小評価しがちですね。ところが残念なことに、歴史はこれまで武力によってつくられてきました。だから平和というものも、武力によって守られていくのではないでしょうか。
 池田 私は、大国の力による支配が不変だとは思いません。平和共存を前面に押し出して努力することが大切だと信じています。確かに
 一挙に変革できるとは考えませんが、そのための段階的な方策は十分に研究すべきです。
 ″力による国際政治″の現状を改革するためには、究極的にはこれらの大国政府を支えている国民大衆の意識革命以外にありません。
 力すなわち武力に頼る政治は、ひるがえって言えば、国家的利益のためには民衆の貴重な生命をも犠牲にする政府である、ということに気づかねばなりません。
 その意味で、日本の憲法は、戦争の放棄を宣言した世界唯一の憲法です。国民の基本的人権、生命の安全を保障している憲法や理念は、どこの国にも共通していますが、現実には、国家自体が交戦権をもっているために、国民の基本的人権と生命の安全は脅かされており、また現実に犠牲にされております。
 したがって、私は、戦争放棄こそ、人権擁護の重要なカギとなるものだと思います。
 この点、日本国憲法の戦争放棄の条項は、国民の権利を守るための先駆的な意義と価値をもつ、と考えますが、いかがでしょうか。
 クーデンホーフ まつたく同意見です。戦争放棄こそ日本国憲法の基本的条項だと思います。日本国民は、この条項によって、世界平和へのパイオニアとなった、と言えましょう。
 私は、先日、愛知外相に会ったとき、世界平和のパイオニアである日本を広く世界に知らせるためにこの条項を印刷して、額に入れ、各大使館に掲示してはどうか、と話したくらいです。
 新しい世界機構への第一歩は、まずなによりも、米ソの和解と協力がなければなりません。この二カ国がまず戦争と軍拡に反対する同盟を結び、ついで中国もこの同盟に参加させるようにすべきです。ヨーロッパも、やがて第四の超大国になるでしょう。
 日本は、その世界に誇る憲法を堅持して、平和主義、中立主義を貫くことによって、これら超大国の間にあって、大きな使命を果たすことができるものと信じます。
 そのために、日本としては、アメリカやヨーロッパのみならず、中ソ両大国とも友好関係を保つことが先決ですね。
3  大国のエゴイズム
 池田 国連の話をもう少しつづけたいと思います。あなたがおっしゃるように、現実の国際政治を動かしているのは″力の論理″であり、したがって、超大国が支配権を独占しているのが実情でしょう。
 しかし、そうした力による横暴を抑制し、平和を実現するために生まれたのが国連であったとすれば、国連からは″力の論理″は排除されねばならない。
 ですから、今の国連において、最も大きな問題は、このエゴイズムに対する歯止めをどこに求めるか、ということだと思います。
 クーデンホーフ 大国のエゴイズムを抑止する最善の方法は、繰り返すようですが、第一段階として、平和のための米ソの歩み寄り以外にはないと思います。両国とも、最近は、軍事費の削減に関心があることを表明しております。
 池田 米ソ両国の歩み寄りは、すでに早くから始まっているわけですが、問題は、両国が世界政治や国連の舞台で利害の共通する問題については、互いに手を組み合って、独占的な支配権を確立しようとしていることです。つまり、膨大な核兵器を後ろ盾にして、経済援助の力で、全世界の国々に、ニラミをきかせていることです。
 現在、世界平和にとって最大の脅威は、いうまでもなく核兵器であり、日本は、世界で唯一の被爆国です。
 かつて、ケネディ大統領は、偶発、誤算、あるいは狂気による核戦争によって、人類はまさに絶滅の危機にある、と訴えましたが、私も、人類が平和に輝く二十一世紀を迎えるために、ただちに核兵器の製造を中止し、これを廃棄しなければならない、とこれまでもしばしば訴えてきました。
 日本こそ最先頭に立って、世界の世論をその方向へリードしていくべきだと思います。
 あなたは、今日の国際政治の流れのうえから、核兵器をはじめ、あらゆる軍備撤廃を究極的に実現するためには、いったいどうしたらいいと考えますか。
 クーデンホーフ 私も、二、三年前までは、第三次世界大戦が起こるとすれば、間違いなくそれは核戦争だろう、と憂慮しておりました。しかし今では、そうは思いません。なぜなら、すべての国が、核戦争は自殺行為だ、と気がついているからです。
 私も、核兵器は廃棄すべきだ、と信じていますが、その撤廃は、大変困難な仕事です。なぜかと言いますと、核保有国がたとえ、核兵器廃棄条約にサインしたとしても、現実には、その完全な廃棄を強制することはできないからです。
 とくに私は、全体主義国の場合を懸念します。全体主義国家は、表向き、核兵器の全廃を発表したとしても、厳しい報道管制をしいて、ひそかに核兵器をどこかに隠しておくことができるからです。
 こうした国々では、議会もマスコミも、それを暴露することはできません。そして、戦争が起こればその核兵器で威嚇することもできるし、さらに事態が緊迫した場合には、それを脅迫の武器として、実際に使うこともできるからです。これは、非常に危険なことです。
 これに対して、民主主義国の場合は、議会によってコントロールされ、報道機関によって監視されていますから、核兵器を隠しもつということは、実際にはできません。したがって全体主義国よりも、はるかに不利な状況下に置かれることになると言えましょう。
 だから私は、この問題の解決は他の方法に求めなければならないと思います。それは各国とは独立の世界的な主権を有する世界政府のようなものがつくられることです。それ以外に方途はありません。
 これは、現在ではまだ実現不可能でしょうが、将来はたぶん、可能になると思います。私は、この世界政府に軍事力を集中させるようにすべきだと思います。
 ただし、世界政府の軍事力は、たんに威嚇の目的でのみ保持するものであって、もし、条約に違反して兵器を隠しもっている国があった場合には、世界政府の威嚇によって廃棄させるようにしておくべきです。
 池田 核撤廃ということは、現実には、あなたのおっしゃるように、大変、困難な問題だと思います。
 ただ、国際政治の動向を見ると、世界の指導者たちは″敵国″を恐れるという考え方の枠を、いまだに出ておりませんね。
 核兵器の脅威の実態を知るならば、真に恐るべき″敵″とは、たとえば、アメリカ対中国、中国対ソ連、ソ連対アメリカ……といったものではなく、核兵器の巨大な、決定的な破壊力そのものである、ということがわかるはずです。それを身をもって知ったのが日本であったと思います。
 その意味で、日本は核兵器廃棄、世界平和確立ヘ向かって、独自に推進的役割を果たすことができる立場にあるわけです。

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