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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 アジアと西欧  

「文明・西と東」クーデンホーフ・カレルギー(全集102)

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1  日本は第六の大陸
 池田 最近、ヨーロッパやアメリカでは、日本に対する関心が高まってきて、日本とは何か、日本とはどういう国か、という論議が盛んに行われているようですが、日本はあなたの生まれ故郷でもあり、すでに二度も訪問されている国です。まず、あなたの″日本観″をお聞かせください。
 クーデンホーフ 私はこのごろ、日本は一つの独立した大陸ではないか、と考えるようになりました。そして、これまでのアジア観も変えていったほうがよい、と思うようになりました。
 池田 ユニークなご意見ですね。
 クーデンホーフ 私の意見はつまり、こういうことです。
 日本は長い間、自分でもアジアの一部であると考えてきました。世界もそうです。しかし、日本の地理的、文化的基盤を考えると、また第二次大戦後のめざましい国力の発展を見ると、世界第六番の大陸である、と考えたほうが妥当なのです。
 しかも、現在および将来の世界政治を考えた場合、日本はアジア大陸から独立した存在である、とはっきり認識したほうがよいと思うわけです。
 池田 日本の位置づけを再検討するという点では、私も賛成です。
 クーデンホーフ 地理的にみますと、日本は巨大なユ―ラシア大陸の東のはずれにあり、太平洋に面した列島です。
 大陸とは何か、という明快な定義は、じつはありません。一般に大陸とは、大洋に囲まれた巨大な島と考えられていますね。その意味からすると、ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、南極は大陸です。ヨーロッパはユーラシア大陸の極西にある半島とも言うべきもの、インドは南の半島、日本はユーラシア大陸の極東にある列島です。
 池田 地理的観点からすればうなずけます。あなたの説によると、いわゆるアジア大陸というのは存在しない?
 クーデンホーフ 私は、いわゆるアジア大陸というものはなく、ただあるのは、大西洋から太平洋にまたがる巨大なユーラシア大陸である、と考えているのです。
 アジア・ヨーロッパという概念をつくりだしたのは、ギリシャの歴史家、ヘロドトスです。彼は中国、日本、シベリアなどの存在は、当然のことながら知りませんでした。知っていたのは、ペルシャとインドだけ、それをアジアとみなしたのです。
 当時、ギリシャ人は、黒海が北洋の湾の一部であると考え、ヨーロッパはアジアから離れた独立の大陸であろうと考えていました。ョーロッパとアジアが、別個の大陸であるかのような考え方は、ここから生まれたのです。
 だが、これは正しくありませんね。ヨーロッパは、ユーラシア大陸の西の半島です。日本は東にある列島です。
 ″ヨーロッパ半島″を大陸と呼ぶなら、″日本列島″も大陸と言ってよいでしょう。
 池田 しかし、あなたの日本大陸論は、たんにそのような地理的見解からのみ生まれたわけではないでしよう。
 クーデンホーフ ええ、地理的定義だけではありません。このような地理的定義以外に、大陸には文明論的定義があってよいと思います。私が言わんとするポイントはここにあるのです。
 つまり、この文明論的定義によれば、日本はまさにそれ自体、一つの大陸と言えると思います。日本はユーラシア大陸の中で、独自の文明と伝統をもっているからです。その文明は、現代においては、隣国の中国やソ連の文明よりも、むしろ、ヨーロッパ文明に近いと言えます。
 別の言い方をすると、日本という第六の大陸は、地理的には共産主義アジアに隣接し、政治的には同盟国アメリカに近く、文明的には、はるか遠いヨーロッパに近いと言えるのです。
 池田 アジアとヨーロッパの文化の流れを見ますと、日本は確かにユニークな位置にありますね。シルクロードが、ユーラシア大陸を東西に貫く文化交流の大動脈であった時代において、その東のターミナル(終着点)は日本だったわけです。
 私は、日本の文明は、東洋的要素と西洋的要素をあわせもっていると考えます。一千年以上にわたってアジア、とくに中国の文化を受け入れ、近代にいたって、ここ百年というLのは、もっぱら欧米の文化を取り入れてきました。現在は、こうした従来の個々の文明が、互いに融合していく時代に入ってきているように思われます。
 その意味で、これまでの世界の文化のそれぞれの中枢であった欧米とアジアの間にあって、日本はその架け橋となるべき、最も重要な立場にあると思います。
 クーデンホーフ そうですね。それこそ、日本の使命だと思います。この使命は、中国が共産化して以来、ますます重大なものとなってきました。なぜかと言いますと、中国が共産主義化した結果、西洋文明と仏教と儒教――この三つを融合した文化をもつ国は、世界では日本だけ、ということになったからです。その意味でも、私は、日本を独立した一つの文化大陸と呼びたいのです。
2  日本とアジア
 池田 「日本は第六の大陸である」とするあなたのご意見には、「日本はアジアの一部ではない」という意味が含まれているわけですね。
 クーデンホーフ 私は、日本はみずからアジアの一部分であるという考えをやめるべきだ、と思うのです。また、アジアの一部として、アジアを指導する立場に立とうとする考えもやめるべきだと思います。
 なぜかと言いますと、もしそうすれば、中国との間にライバル関係が起こることは必至だからです。その結果は、新しい戦争にまきこまれるか、それとも中国の衛星国になりさがるか、いずれかの道しか残されていない、と思えるからです。
 したがって、日本が平和を願い自主独立を保っていきたいと望むならば、アジアの一部であるという認識を放棄して、第六の大陸として、新しい文明――それは太平洋文明とも言うべき、文明の中心になるという考え方に立つべきだと思うのです。
 池田 非常に大胆な、興味あるご意見ですが、私はやはり、歴史的に言っても、民族的に言っても、また文化的に言っても日本はアジアの一部であり、日本はアジアの中にある国だと考えます。
 われわれ日本人がアジアを考えるとき、″指導的立場に立とうとするな″と言われるあなたのご意見は、重要な問題だと思います。
 それはかつての日本が、配なの植民地解放という美名のもとに、軍国主義にもとづいた大東亜共栄圏という構想をかかげ、アジア諸国を侵略したという歴史的事実があるからです。アジア諸国にも、これを強く警戒する気持ちがあるのです。
 あなたは、日本はアジアの一部ではない、と言われるわけですが、このような歴史的事実をふまえたうえで、日本が第六の大陸として、太平洋文明を形成していくにはどうすればよいか、他のアジア諸国とどのようにうまく調和していけばよいか――私は非常にむずかしい問題だと考えます。
 クーデンホーフ 日本が太平洋文明を築くには、まずオーストラリアと、インドネシアとの関係を拡大すべきだと思います。日本―インドネシア―オーストラリアで、経済共同体を樹立するわけです。
 ついで、ニュージーランド、フイリピンなどの国々と提携します。いかに日本が第六の大陸であっても、経済的に孤立することは危険であり、またそのようなことは不可能なことですから。
 池田 今、挙げられた国々は、アジアのいわゆる自由主義国ですね。私は、アジアの大半を占めている共産圏諸国との融和も、きわめて重大な課題だと思います。
 ソ連、中国、モンゴル、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)などの共産主義諸国は、いずれもどちらかというと、内陸部に属しますが、モンゴル以外は、皆太平洋にも面しています。太平洋文明というものは、当然、これらの国々との協力関係を無視しては、成り立たないのではないでしょうか。
 それにまた、これからの世界は、もはや資本主義国だとか共産主義国だとか、はっきり二つに色分けできないようになってくると思います。
 経済、貿易面でも、資本主義国と共産主義国との結びつきは、今後もいっそう強まるだろうと思われます。また強めていかなければ、世界の平和も繁栄も実現は不可能でしょう。
 そこで日本も、オーストラリア、インドネシア、フイリピンなどの自由圏諸国とばかりではなく、ソ連ともシベリア開発で協力し、また中国とも積極的に貿易を図って、アジアの対立関係を緩和することが重要だと思います。
 クーデンホーフ 日本はまず、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、フィリピンといった太平洋の自由諸国と協力して、独自のコモンマーケット(共同市場)を発展させる努力をすべきだと思います。日本経済はアメリカやヨーロッパにだけ頼っていては、将来を保証することはできません。
 池田 現在のアジアの様子を見ますと、経済援助の名のもとに、大国による内政干渉が競合し、大国同士の衝突の場になっています。
 アジアが政治的に自立するためには、まず経済的に自立することが大切です。私は″アジア人の手で、アジアの経済的、政治的自立を″という原則が貫かれねばならないと思います。われわれはこの原則に立脚すべきです。
 日本は、他の超大国のようなやり方ではなく、大国意識を捨てて、アジア各国の経済自立を助けるために、経済援助や技術援助を積極的に行っていくべきだと思うのです。
3  日本とヨーロッパ
 クーデンホーフ ヨーロッパ人は、日本の文化、とりわけ伝統的な演劇と絵画に強い関心をいだいています。話は古くなりますが、ヨーロッパの最も優れた文化人であり、一九二〇年代に駐日大使を務めたフランスの詩人、ポール・クローデルは、パリに帰ってきたとき、私にこう言いました。
 「もう、あのような劇場へ行けなくなって、残念です。フランスの演劇は、日本と比べると、あまりにもリアルすぎる……」
 彼は、日本の伝統的な演劇は、フランスよりはるかにまさっていると考えていたようです。
 また彼の戯曲「ル・スリエ・ドサタン」(邦訳「しゅすの靴」)は日本の古典的な演劇から、大きな誘響を受けた、とも語っていました。
 池田 そのように、外国からは、日本の古い伝統は、高く評価されているのに、日本人自身が、それらをどんどん失っている傾向があります。
 自然も文化も、古いものは、失われる一方です。これは、近代化への激しいバイタリテイーのなせるところですが、一面、私は残念に思っています。
 ところで、日本とヨーロッパの文明、あるいは道徳観は、その形成過程も、お互いに非常によく似ていると言われていますね。地理的には、この二つは、はるかに離れているのに、強い類似性があるのは、興味ぶかいことですね。
 クーデンホーフ それは、日本とヨーロッパの気候風土が非常に類似しているからです。同じような気候風土のもとで、よく似た文明が生まれたのです。
 地球儀を見ればわかりますが、日本とヨーロッパは、確かに経度の上では離れています。だが緯度の上ではほぼ同一線上にあります。インドやアフリカ、あるいは南米と同じ緯度の上を通過することはないのです。
 私に言わせれば、日本民族というのは広々とした太平洋に迷い出た、偉大なヨーロッパ民族のようなものです。
 日本とヨーロッパの気候は、極地的でも熱帯的でもなく、また過酷な砂漠もなく、暑すぎることも、寒すぎることもありません。日本人もヨーロッパ人も、四季が次々と移り変わる魅力にあふれた自然に囲まれて暮らしています。そこには、山や丘、平野や湖、川や泉、本々や花々があり、海も手の届くところにあります。
 池田 文化的な環境も似ていますね。ヨーロッパ文明がエジプトやメソポタミアの古代文明を吸収して生まれたように、日本も中国やインドの古代文明の恩恵を受けて育ってきました。そう考えると、なにか類似性、共通性といったものがあるように感じられますね。
 クーデンホーフ 日本とヨーロッパの間には、アメリカとソ連という二つの若い大国がありますが、この二国の過去と未来が、われわれの東西文化圏とは、非常に異なるものであるのも、運命的と言えましょう。
 私が東西文明について、もう一点挙げておきたいことがあります。それは、東西文明を築いたのは、日本では仏教の僧侶階級と武士階級、ヨーロッパではキリスト教の僧侶階級と騎士団であった、ということです。
 東西文明の基礎が、このように、まったく類似したエリート集団の手になったということは、注目すべきことだと思っています。
 池田 日本人は、外国の文化を吸収し、それを消化して、新しいものをつくりあげる、そういうことに、非常に優れています。しかしその反面、近代に入ってからは、みずから創造するということでは、劣っていると言われていますが……。
 クーデンホーフ どんな偉大な文化でも、よく考えてみますと、他の文化を吸収し、それを基盤としたものが多いのです。
 西洋文明の例にしても、アルフアベットは古代フェニキアから来たものですし、宗教はユダヤからです。数字はアラビアから学んだものです。このように、ひと口に、西洋文明といっても、多くの異質の文化を吸収した結果できあがったものです。
 日本についても、同じことが言えると思います。私は、一つの文明が、他の文明を吸収する度合いが
 強ければ強いほど、その文明にとって、プラスになるものだと考えます。
 池田 日本文化は、独自の特質をもつ文化ですが、それは、他国の模倣と吸収によって発展してきたと言ってよい。
 これからは、創造的・主体的であることによって世界の文明に積極的に貢献すべき時が来たと言えましょう。そうすることによって大きな価値を発揮することができると思います。
 最近では、日本の科学者は、欧米に行っても、学ぶべき新しいものはほとんどなにもない、という状態のようです。もちろん、いろいろな分野によって、事情の違いはあるでしょうが、全体的にみて、吸収段階は終わりに近づいており、独自な創造に取り組まなければならないところに来ていると言えましょう。

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