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日蓮大聖人・池田大作

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第27回「SGIの日」記念提言 人間主義――地球文明の夜明け

2002.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
1  二十一世紀最初の年となった昨年は、「戦争と暴力の二十世紀」に別れを告げ、新たな一歩を昨み出そうとする人類に、極めて重い問いを突きつける事件が起こりました。いうまでもなく、アメリカを襲った「九・一一」の名で語られる同時多発テロ事件であります。
 数千人もの尊い人命を、崩れゆく超高層ビルの瓦喋の中に無残に葬り去った前例のないテロ行対は、いかなる大義や名分を掲げようとも、絶対に許されてはならないことであります。
 国連が「文明間の対話年」を謳っていたにもかかわらず、寛容と共生の精神に基づく対話とまったく対極に位置するテロが世界を震撼させたことは、あまりにも苦々しい悲劇でした。
 しかも、あれだけの被害をもたらしながら、犯行声明ひとつ出さない匿名性、その卑劣さは、人間であることの深部を脅かす悪魔的行為であります。まさに「文明間の対話」を標傍する世界に対する、かつてない挑戦であり、侮辱であり、蹂躙以外のなにものでもありません。
2  また今回のテロという許し難い非人道的な犯罪が、世界の人々に与えた心理的な影響も無視できません。
 歴史家のアーサー・シュレジンジャー氏は、九・一一以降のアメリカを「不安と苦悶に満ちた社会」と表現しましたが、その日を境に″世界は一変した″と見る識者は数多い。
 二十四人もの被害者を出しながら、不思議なほど当事者意識が薄いとされる日本でも、不安が確実に増加していることは、各種世論調査からも明らかです。
 巨大な塔のような高層ビルの崩壊や、炭痘菌テロがもたらした社会の混乱を、「黙示録」になぞらえる声もあるほど、憂欝なミレニアム(千年紀)のムードが、アメリカのみならず世界に広がっていることは否めません。米英両国を中心とする軍事行動によって、事態は一応の終息をみましたが、今回のテロが社会に残した傷跡は、経済的な打撃も含め、あまりにも大きい。だからといって、テロの余波で、時代が暗転していってしまえば、それこそテロリストの思うつぼです。テロの大きな目的が、人々を不安や混乱に陥れ、恐怖や不信感を煽ることにある以上、断じてその脅しに屈してはならず、それを凌駕する「人間精神の力」を湧き出すことが強く求められます。
3  「闇が深ければ深いほど暁は近い」という言葉があります。しかし、新しい時代の扉が独りでに開くことはない。悲劇から立ち上がり、それを真正面から見据えて時代変革の″最大のチャンス″に転じていくかどうかは、あくまで人間にかかっている。
 今こそ、ゲーテが言っているように「人間とは信仰と、湧き立つ勇気とがあればどんな困難な企てをも征服するものである」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川書店)と、面を上げ、大きく息を吸い、この困難な課題に挑んでいきたいと、念じてやみません。
 「国連文明間の対話年」を暗転させてしまった凶悪犯罪――それを「文明の衝突」「文明間戦争」という最悪の事態に立ち入らせないために、それをあくまで犯罪として位置づけていくことが肝要でしょう。この点は後述しますが、私がかねてより「国際刑事裁判所」の設置を急ぐべきだと主張してきたのも、テロが、本来「犯罪」として「処罰」されるべき性格を有しているからです。
 もとより「処罰」すれば済む問題ではなく、それを未然に防止し、あるいは″芽″のうちに摘み取ってしまうための国際法、国際警察などの側面も、セットで検討されなければならない。
 同時に、そうした制度づくりや予防的措置と並行して、抜本療法も進めなければなりません。今回の問題をきっかけに、テロを生む土壌、背景がさまざまに指摘されました。アフガニスタン復興支援のための国際協力のシステムづくりも、ようやく緒に就こうとしているのは、喜ばしい限りです。

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