Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第26回「SGIの日」記念提言 生命の世紀へ大いなる潮流

2001.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

前後
1  いよいよ始まった二十一世紀――この新しい世紀がどのような時代になるのか、昨年来、多くの展望がなされています。生命工学や情報工学といった科学技術の進展への期待が寄せられる一方で、政治や経済面での行く先の不透明感も語られています。
 「期待」と「不安」というこつのコントラストは、世紀の変わり目に特有のものかもしれませんが、二十世紀の開幕と比較すると、当時のような楽観的な気分は影をひそめてしまった感があるようです。
 その背景には、″二十世紀は人類の役に立ったのか″といった問いが正面きって投げかけられてしまうほどの幻滅感が手伝っているのかもしれません。科学技術の目覚ましい進歩で多くの恩恵がもたらされた反面、戦争が絶え間なく起こり、未曾有の悲劇が繰り広げられた時代の深い闇が、人々の心に拭い去れぬ影を落としております。
2  時流をいかに生命尊厳の思潮へと転じるか
 では、そうした闇を晴らすための光明となるものは一体何か。果たして二十一世紀は何を基調に据えていくべきなのか――。
 このテーマを考える時、私の胸に浮かんでくるのは、″現代化学の父″ライナス・ポーリング博士との語らいの思い出です。博士と編んだ対談集の中で、私が″二十一世紀を「生命の世紀」に″との年来の持論を述べたところ、博士は全面的に賛意を寄せてくださり、「その意味されるものは、人間生命そのものに今まで以上に焦点が合わされ、人間の幸福と健康が大事にされる時代だと思います」(『「生命の世紀」への探求』。本全集第14巻収録)と述べられていたことが忘れられません。
 一九〇一年に生まれ、文字通り二十世紀という激動の時代を生き抜くなかで、科学者として、また平和運動家として、人間と社会のあり方を真摯に問い続けてこられた博士の言葉だけに、千鈎の重みを感じました。その対談集のタイトルを『「生命の世紀」への探求』と名付けたのも、″生命そのもの″に焦点を当でなければ、人類が真に乗り越えるべき課題も、また進むべき道も浮かび上がってはこないとの思いからでした。
3  では、鳥瞰図的に歴史の流れを振り返った時、二十世紀は、私たちの前にどのような姿をもって立ち現れてくるでしょうか。歴史家エリック・ホブズボーム氏の大著『20世紀の歴史』(河合秀和訳、三省堂。以下、同書から引用)は、その意味で示唆に富む書物であります。冒頭には″十二人が見た二十世紀″と題し、世界を代表する識者の見解が列挙されていますが、悲痛な叫びにも似た言葉が並んでいることが私の目を引きました。
 「今世紀は、人類史上もっとも暴力的な世紀であったと、私は考えざるを得ない」(イギリスのノーベル賞作家、ウィリアム・ゴールデイング)
 「私は、それを虐殺と戦争の世紀としてしか見ていない」(フランスの生態学者、ルネ・デュモン)
 ホブズボーム氏はこれらの声を紹介した上で、「省察力のある多くの人々がなぜ、満足感をもって、また未来にたいする自信をもって二〇世紀を回顧していないのだろうか」と自問自答し、こう述べております。
 「それは二〇世紀が疑いもなく、その世紀を満たしている戦争の規模、頻度、期間のすべてについて、歴史の記録に残っているもっとも残酷な世紀であり、(中略)歴史上もっとも厳しい飢饉から組織的な大量殺裁にいたるまで、それが生み出した人間による人間の破滅のかつて前例のない規模の大きさについてもそうだったからである」と。

1
1