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日蓮大聖人・池田大作

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第25回「SGIの日」記念提言 平和の文化 対話の大輪

2000.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

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1  「第三の千年」の出発にあたり、私の所感の一端を述べ、発足二十五周年となる「SGIの日」の記念としたいと思います。
 二十世紀の最後の十年は、まことに目まぐるしい激動の十年でした。冷戦構造の終結によって、人類史の未来に明るい展望が開けるかと思ったのも束の間、大小さまざまな地域紛争は、あたかもがパンドラの箱を開けたかのように世界中に飛び火し、争乱は絶えることを知りません。
 冷戦が終結した一九八九年から昨年までの十年間で、紛争や分離独立など劇的な変化を経験した国家の数は約五十に及び、紛争による死者は四百万人にのぼるといいます。
 特に近年は、紛争における非戦闘員(民間人)犠牲者の割合は九割に達し、その半数が子どもたちとなっている点は、まことに憂慮すべき事態といえましょう。
 また、紛争で生き残った人々も大半が難民生活を余儀なくされており、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では、国際的な保護が必要とされる人々の数を約二千三百万人と推定しています。
 「戦争と暴力の世紀」と呼ばれる二十世紀の″負の遺産″を克服すべく、国連は新たなミレニアム(千年紀)の開幕となる本年を「平和の文化のための国際年」と定めました。
 加えて、二十一世紀の最初の十年にあたる明二〇〇一年から二〇一〇年を、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の十年」と設定しています。その意味で本年は、「戦争の文化」から「平和の文化」への転換を目指し、国際社会が団結して行動を開始する絶好の機会であると私は強く訴えたい。
2  ユニセフ(国連児童基金)の『二〇〇〇年 世界子供白書』でも、構造的暴力からの脱却を、一世代のうちに成し遂げる決意で取り組むべきと強調されております。
 昨年、アメリSGIの青年部が″暴力の克服″のための運動に立ち上がりました。厳しい現実に絶望したり、自分たちの身に危険が及ばないからといって、手をとまねいていてはなりません。たとえ小さな一歩であっても、社会の悪を見過ごすことなく、行動を起こすことからすべては始まるのです。
 「いずこの地であろうと悲劇はあってはならない」「世界から悲惨の二字を消し去ってみせる」との力強い意志をもって、私たちはともに前進せねばなりません。その不断の挑戦のなかにこそ、二十一世紀を単なる″二十世紀の延長線上の時代″に終わらせず、新しい「平和と希望の世紀」の軌道をつくりゆくカギがあると、私は思うのです。
 私たち人類が取り組むべき課題は、単に戦争がないといった消極的平和の実現ではなく、「人間の尊厳」を脅かす社会構造を根本から変革する積極的平和の実現にあります。そのためには、国際協力や法制度の整備も必要となりますが、何にもまして、その基盤となるのが「平和の文化」といえましょう。
3  SGIは、一九七五年一月二十六日、世界五十一カ国・地域の代表がグアムに集い、実質的なスタートをみてより、日蓮大聖人の仏法を基調とした「人間主義」を掲げながら、「平和」「文化」「教育」を通じた民衆の連帯を世界百四十八カ国・地域に広げてきました。それは「戦争と暴力の世紀」から「平和と希望の世紀」へ――不幸と悲惨に満ちた人類史の転換を目指しての″民衆の民衆による民衆のための平和運動″であります。「平和の文化」構築のために挑戦を重ねてきたSGIでは、昨年(一九九九年)もハーグとソールで開催されたNGO(非政府組織)の会議で、それぞれシンポジウムを主催し、討議を行ってきました。
 また平和研究機関である「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)においても昨春、三回にわたる連続会議を行い、「平和の文化」構築のための方途を模索してきました。
 いずれの会議でも、焦点として浮かびあがってきたのは、悲劇を生み出す「憎しみと対立の土壌」を、いかに「平和と共存の土壌」へと変えていくかという点であります。
 ひとたび武力紛争が起これば、殺裁や破壊が繰り返されるだけでなく、暴力や恐怖から逃れるために住み慣れた故郷を離れ、難民生活を強いられる人々が多数、出てきます。

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