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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念協議会 「異体同心」ですべての山を越えよ

2006.3.29 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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1  花盛りの創価城
 桜花爛漫の創価の本陣に、意気軒高なる全国の広宣流布の指導者の方々と一堂に会することができ、これほどの喜びはない。わが学会も、「希望の春」「勝利の春」の盛りである。
 皆さん、本当にありがとう! 学会創立八十周年に向けて、元気に前進しよう!
 日蓮大聖人は有名な「十字御書」のなかで、「われら凡夫は、まつげが近くにあるのと、大空が遠くにあるのとを見ることはできない。(それと同じように)われらの心のなかに仏がおられることを知らないでいたのです」(御書1491㌻、通解)と仰せになられた。
 そして、凡夫の心のなかに仏の生命があることの譬えとして、「蓮は清らかなものですが、泥から生え出ます。栴檀は香りのよいものですが、大地から生じます。桜の花は趣のあるものですが、木の中から咲き出ます」(御書1492㌻、通解)と認められている。
 今年も厳寒の冬を乗り越えて、全国各地の会館で、桜の花が見事に開花している。
 一月に″日本一桜が早く咲く″名所の沖縄平和記念墓地公園から、五月に満開を迎える北海道・厚田の戸田記念墓地公園まで、全国から桜の便りが絶えることはない。
 学会本部周辺の桜も、一本また一本、大切にしながら育ててきたものである。
 桜の手入れをはじめ、会館の整備に当たってくださっている、すべての皆さま方にあらためて心から感謝申し上げたい。
 私たちが、朝な夕な読誦している寿量品には、こう記されている。
 「我が此の土は安穏にして 天人は常に充満せり 園林諸の堂閣どうかくは 種種の宝もて荘厳し 宝樹は華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天は天鼓を撃って 常に衆の伎楽を作sい 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず」
 ここ学会本部をはじめ、わが「創価の城」に大勢の同志がにぎやかに集い、栄えゆく姿を見るとき、この自我偈の文が脳裏に浮かんでくる。″花盛りの創価城″の姿は、「平和の花」「友情の花」「幸福の花」を咲かせゆく学会の未来を象徴しているかのようである。
2  「正義」の旗を永遠に
 桜花の季節とともに、今年もまた、「四・二」そして「五・三」がめぐり来る。
 私が第三代会長に就任したのは、今から四十六年前。昭和三十五年(一九六〇年)の五月三日だった。三十二歳であった。
 戸田先生が昭和三十三年(一九五八年)の四月二日に逝去されてから、二年余りが経っていた。約二年の間、会長不在の、空白の期間があったのである。
 ″柱″のない学会は、前進の勢いが衰え、なんともいえぬわびしさと複雑な空気に包まれていった。反学会の評論家たちは「学会は空中分解する」などと書き立てた。
 そのとき、「第三代会長を推戴せよ! 学会の首脳たちは、何をしているのか!」と、決然と立ち上がったのは、埼玉の青年部であった。「三代会長となる人は決まっている! 推戴を急げ!」と叫ぶ彼らの声に押されて、当時の首脳たちも動き始めた。
 戸田先生の心を知っていた人ならば、だれが三代会長になるべきかは明白であった。理事会は全会一致で、私の会長推戴を決定した。そして五月の三日、私は戸田先生の弟子として勇敢に立ち、日本、そして世界を舞台に、猛然と広布の戦いを開始したのである。
3  海を見つめて世界広布の指揮を
 私が第三代会長を辞任したのは、昭和五十四年(一九七九年)四月二十四日であった。
 その直後の五月三日、創価大学の体育館で行われた本部総会が、私の実質的な″会長辞任の総会″となった。私は総会を終えると、東京の本部には帰らず、その足で神奈川へ向かった。神奈川文化会館に行って、はるかな未来と広大な海を見つめて、全世界の広宣流布の指揮を執ろう!――そう決意していた。
 五月五日、私は神奈川文化会館で、大きく「正義」と書いた。脇書には「われ一人正義の旗持つ也」とつづり、この書を永久に保管するように言った。何があろうと、正義は正義である。仏法は勝負である。正義は、断じて勝たねばならないのだ。
 わが人生は、まさしく波澗万丈であった。頼みとできる何ものも持たず、ただ一人、戸田先生の後を術いで、「正義」の旗を蹴げて戦いぬいてきた。ともあれ、埼玉と神奈川には、深い歴史が刻まれているのである。
 私は、御書に仰せのとおりの精神で戦っている。牧口先生、戸田先生の教えのまま、広宣流布のために戦っている。ほかには、何もない。私の声は、戸田先生と一体である。牧口先生と一体である。師弟不二の道を歩みぬいてきた私は、そう確信を持って言いきることができる。戸田先生は、こう言われていた。
 「創立者を大切にしたところは栄える。創立者をないがしろにし、原点を忘れたところは、必ず派閥ができ、勢力争いが盛んになって乱れる。分裂と混乱と破壊の道へ落ちていく」
 創立者を大事にするかどうかで、その団体の未来は決まる。
 私は師匠の戸田先生を、最後の最後まで守りぬいた。自分のすべてを棋げて、先生と学会に尽くしぬいた。
 ″師匠が健康で、長生きして、指揮を執ってくださる。それが最高唯一の幸せである″
 この一点を胸に、一直線に突き進んだ。だから、今日の学会の大発展がある。このことを、絶対に忘れてはならない。

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