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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年記念幹部代表者会議 「対話」が人間を結ぶ世界を変える

2005.10.22 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  御聖訓どおりの尊き人生に永遠の功徳が
 きょうは、お忙しいところ、本当にご苦労さま!
 私たちは、日本全国、そして世界百九十カ国・地域の同志とともに、偉大なる広宣流布の勝ち戦をもって、学会創立七十五周年を、晴ればれと飾ることができた。
 本当におめでとう! ありがとう!
 信濃町の学会本部には、世界の多くの識者の方々からも、続々と祝賀の声が寄せられている。
 皆さま方の「忍耐」と「努力」、そして「信念」と「正義」の戦いによって、広宣流布は大きく、大きく広がってきた。この偉大なる事実を、御本仏日蓮大聖人が、どれほど讃嘆しておられることか。牧口先生、戸田先生が、どれほど、お喜びであるか。
 また、広布の途上で亡くなられた先輩方が、どんなに喜んでおられることか。三世十方の仏菩薩が、厳然と皆さま方を守護しゆくことは、仏法の方程式から見て、絶対である。
 私は、皆さま方の絶え間なき奮闘と前進、あらゆる苦難を打ち破りながら指揮を執りゆく、尊き躍動の姿を見つめ、感謝と感涙の思いである。
 私は、全員が健康で、長生きして、一家一族の永遠の福徳を積まれゆくことを、心から祈っている。そして、わが全同志が、栄光の仏の生命を輝かせながら、三世にわたって大果報の人生を開き、大指導者となりゆくことを確信している。
 われら創価学会員の最高・最大の名誉は、大聖人の御聖訓どおりに生き、御聖訓どおりに前進し、御聖訓どおりに戦い、広宣流布のために、この尊き人生を、永遠の功徳を受けながら、勝ちぬいているという事実である。私は、妙法のために戦ってくださる皆さま方に、最敬礼をもって、心からの御礼を申し上げたい。
 七十五年前の十一月十八日に発刊された『創価教育学体系』の緒言で、牧口先生は″わが学会は「同心協力の団体」なり″と宣言された。
 牧口先生、戸田先生の師弟による「同心協力」の第一歩は、今や、この青き地球を包む、壮大な人間主義のネットワークへと広がっている。
 全世界の国々で、広宣流布のために戦ってくださっている方々の人生に、栄光と勝利あれ!――私は、そう祈っている。全同志への最大の感謝と敬意を込めて、少々、スピーチさせていただきたい。
2  会員に尽くすのが真のリーダー
 学会のリーダーとして、また、一人の信仰者として大切なことは何か。それは、地道な活動をコツコツと続けていくことだ。
 個人指導でも、拡大の戦いでも、要領を使わずに、一生懸命に取り組んでいくことである。真剣に、誠実に行動する人には、だれもかなわない。「心こそ大切」である。それが仏法の究極なのである。
 ましてや、会員に対して威張るような人間は、リーダーとして失格だ。そういう人を幹部にしてはならない。会員を励まし、会員のために尽くしていく。それが学会のリーダーである。
 これまで信心がおかしくなり、退転していった人間の多くは、まじめに活動する人たちを陰でバカにしていた。学会活動なんて面倒だ。それよりも、自分の好きなように遊びたい。学会には適当について、あとはうまくやればいい――そういう心根であった。
 また、「身はをちねども心をち」と仰せのごとく、姿は退転していなくても、心では退転している。そういう人間もいた。
 誠実に、苦労を避けないで戦ってきた人は、皆、間違いなく幸福になっている。最後は勝っている。学会とともに生きぬけば、絶対に幸福の人生を歩めるのである。
 私は、五十年以上にわたって、多くの人を見てきた。だから、本当によくわかる。
 富があっても、幸福とは限らない。社会的に偉くても、幸福とは限らない。また、どんなに容姿が優れていても、幸福とは限らない。お金や地位や名声は、はかない。やがて消えていってしまう。だからこそ、仏法が必要なのである。永遠に崩れざる「絶対的幸福」の大境涯を築いていく。そのための信心である。学会活動なのである。
3  師ガンジーを陰で支え続けた弟子バジャージ
 このほど、私は、精神の大国インドの「バジャージ財団」から、「ジャムナラル・バジャージ国際賞」の決定通知をいただいた。たいへんな光栄であり、心から感謝申し上げたい。
 (=同賞は、インドの国外で、マハトマ・ガンジーの思想を広く宣揚した人物に贈られる賞。受賞者の発表が同財団によって行われ、二〇〇五年十一月に名誉会長に授与された)
 インドをはじめ、全世界の″非暴力と平和の闘士″であるSGIの同志とともに、つつしんで、お受けしたい。
 国際賞に冠された「ジャムナラル・バジャージ」とは、マハトマ・ガンジーの高弟で、師とともに、インドの独立闘争を戦った人物の名前である。
 このバジャージが、師ガンジーと出会ったのは二十代の半ばである。以後、二十五年以上にわたり、ガンジーの弟子として生きぬき、戦いきった。そのなかで幾たびも弾圧され、投獄された。獄中闘争は、通算五年間におよんでいる。
 マハトマ・ガンジーは述べている。
 「美しい人格の人は、いとも簡単に人に確信を与え、自然に周りの雰囲気を浄化します」
 「他者のために生命を捧げようという人は、日の当たる場所に自分の居場所を確保する時間など、ないものです」(Arun and Sunanda Gandhi, M.K.Ganghi's Wit and Wisdom, Published by M.K.Gnadhi Institute for Nonviolence.)
 「信念があり、信念から生まれる力を持つ者は、他人から軽んじられでも、少しも苦にしません。内的な力だけを信じています。このため、すべての人と謙虚に接して、世論を喚起し、自分の味方にするのです」(『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史』2、田中敏雄訳注、平凡社)
 こうした師の精神を、弟子バジャージは深く体得していた。彼は、華やかな表舞台ではなく、裏方に徹して、師匠であるガンジーに仕え続けたのである。実業家として、師を経済面からも厳然と支えた。その姿は、実業家としても活躍し、牧口先生の活動を陰で支えた戸田先生の姿とも重なってくる。
 パジャージは、師ガンジーこそが、インドが最も必要とし、守らねばならない、最重要の″宝″であると確信していた。彼の心を支配していた唯一の関心事は、「師匠の負担を、いかに軽くできるか」であったといわれる。
 戸田先生に、お仕えした私には、その真情が、痛いほどわかる。
 戦後、戸田先生の事業が破綻して、莫大な負債を抱えた。社員は一人、また一人と去っていく。先生のもとに残ったのは、事実上、私一人であった。
 先の見通しはまったく立たない。本当に、生きるか死ぬかという状況だった。そうしたなかで、私は先生に申し上げた。
 「先生、借金は必ず、私が働いて返します。どうか、ご安心ください」
 私は、すべてをなげうって阿修羅のごとく働いた。先生を支えぬいた。そして、一切の苦境を乗り越え、先生は、晴れて第二代会長に就任されたのである。
 師匠に仕え、師匠を守りぬいた――これは、私の人生における最高の誇りであり、喜びである。

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