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日蓮大聖人・池田大作

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各都合同研修会(3) リーダーは勇気と希望を皆に贈れ

2005.8.19 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  マータイ博士 「他の人のために働く時が、最も幸せ」
 会員に奉仕する。それが、幹部の責務である。
 「私は他の人のために働く時が、最も幸せで、最高の時なのです」とは、今年二月にお会いした、アフリカ女性初のノーベル平和賞受賞者、ケニアのワンガリ・マータイ博士の信念である。
 会談のさいには、美しい笑顔を浮かべながら、こう語られていた。
 「人に奉仕することで、満足感を得ることができるのだということを、若い人たちにも、理解させてあげなくてはいけません。不平・不満というのは、自分のことだけを考えていると、ますます増長していくものです」
 深くかみしめるべき言葉である。広布のリーダーは、わが同志が、安心し、満足して戦えるように、心を配ることだ。手を打つことだ。勇気の出るひとこと、希望が湧く励ましを贈ることだ。そうすれば、今の何倍もの力が出る。
2  妙法に生きる女性は最高に尊貴
 創価の女性たちが、社会に着実に連帯を広げている。行動によって、未来を開いている。とくに婦人部の皆さまの、けなげなる大奮闘に、心から感謝したい。
 幼子を抱えながら、「共に成長」の毎日を送るお母さん。懸命に働きながら、大きく友好の輪を拡大している友。「わが家の宿命転換は私が!」と、一切を担い進みゆく広布の母。いつも若々しく、後輩の模範となって進む多宝の友。
 ある壮年の幹部が、しみじみと語っていた。
 「学会の婦人部は、本当にすごい。さまざまな悩みと戦いながら、広布のために勇敢に行動している姿は、どんな高位の人よりも尊い。どんな有名人よりも美しい。私は自分の信心を猛省した。断固、立ち上がる決意をした」と。
 私もまた、婦人部の皆さまに最大の敬意を表したい。何より御本仏日蓮大聖人が、皆さまを賞讃し、守りに守りゆくことは間違いない。大聖人は、次のように女性門下を励まされている。
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
 御本尊を抱きしめ、仏意仏勅の学会とともに広宣流布に進む女性は、何も恐れる必要はない。何ものも、貴女を不幸にすることはできない。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる
 このあまりにも有名な御文もまた、強き信心を貫いた女性の門下に贈られた一節である。
 女子部の活躍も、本当にすばらしい。私は女子部を応援したい。広布の未来は、女子部で決まる。戸田先生は、それはそれは、女子部を大切にされた。「女子部は、全員が、絶対に幸福になってもらいたい」というお気持ちであられた。だからこそ、信心の指導は厳格だった。
 人生は長い。現実は厳しい。思わぬ試練や、嵐の日がある。青春時代に確固たる信心を培い、教学を身につけなければ、真の幸福をつかむことはできないからである。生活のさまざまな側面においても、女子部の友が、正しき信心の軌道を歩みぬけるよう、心を砕いておられた。
 女子部の使命は、まことに大きい。青春時代に職場・地域で輝き、結婚をした場合には、その一家、一族を支えていく。企業をはじめ、各界のリーダーから、″学会の女子部は、本当に立派だ″と感嘆の声が寄せられることも多い。
 広布の活動に、遠慮はいらない。もっともっと、女子部を増やそう。同世代の、若き女性たちに連帯を広げていくことだ。にぎやかで、楽しいところには、自然と人が集まってくる。
 女子部の育成に、全力をあげていきたい。婦人部の皆さんも、女子部がますます成長し、活躍できるよう、応援してあげてほしい。たとえ今、どんな状況にあっても、妙法を持った女子部の皆さんの未来は、大きく開けている。これからの人生である。賢明に、勇気をもって、正しき人生を歩んでほしい。女子部の皆さん、頑張ってください!
3  悔いなき一生を、庶民とともに愉快に、勇敢に
 御書を拝しつつ、生死の問題について、少々、語っておきたい。生と死を真剣に見つめてこそ、今を悔いなく生きることができるからだ。
 日蓮大聖人は、こう仰せである。
 「死後の地獄等という苦悩の世界に行ったならば、王の位も、将軍の位も、何の役にも立たない。獄卒(地獄の鬼)の責めに合う姿は、猿回しに回される猿と変わらない。こうなった時は、どうして名聞名利や我慢偏執(我を頼んで心が傲り、偏ったものに執着すること)の心でいられょうか」(御書1439㌻、通解)
 死は、誰人も逃れられない、厳粛なる事実である。死を前にした時、人間の虚飾は、すべて、はぎ取られる。大富豪も、権力者も、庶民もない。財産や肩書を、死後の世界に持っていくわけにはいかない。生きている間に、自分はいったい何をなしたか――その一点が、厳しく問われるのである。この限られた人生を、一個の人間として、どう生きるか。この無常の人生の中で、いかにして永遠につながる、価値ある何かを成し遂げられるか。それこそ、最も根幹の問題である。
 私は、体が弱かったせいもあり、若いころから「生と死」の問題を見つめながら生きてきた。
 病に苦しみながら、激しい法戦に明け暮れる私に、ある時、戸田先生は言われた。
 「いつ臨終になっても、悠然と、従容たる人生であれ、信心であれ」と。
 私は、この師の言葉のままに進んできた。地位や名声といった、はかない、かりそめにすぎないものなど、まったく眼中になかった。「愉快に、勇気をもって、庶民と一緒に、この一生を生きぬいていきたい」――こういう心であった。戸田先生も、「それが最も正しい生き方である」と、深くうなずいてくださった。
 この決意で無名の庶民の中に飛び込み、病める人、貧しき人、わが宿命と勇敢に戦っている人たちと肩を組み、励まし合いながら生きてきた。戸田先生の事業が失敗し、最も苦境にあった時は、すべてを捧げ、どん底の中で先生を支えぬいた。進学の希望もなげうって働きに働き続けた。
 現在、私は光栄にも、皆さまの代表として、世界から、数々の栄誉をお受けしている。すべて、不惜身命で師匠を守り、広宣流布に戦ってきたがゆえに、御本尊からいただいた功徳だと思っている。

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