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代表幹部研修会(7) 広宣流布は「善行の中の善行」

2005.8.17 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  ベルクソン「本当の幸福とは善行がもたらす喜び」
 フランスの哲学者ベルクソン。青春時代、私は彼の著作を愛読した。今と違って、テレビなどは、ない時代であった。青年の有志で読書サークルをつくり、さまざまな著作を取り上げては語りあったことを、懐かしく思い出す。
 ベルクソンの本は、繰り返し、読み込んだものである。ベルクソンは述べている。
 「本当の幸福とは善行がもたらす喜びである」(「ジャン・フィノ著『進歩と幸福』に関する論評」掛下栄一郎訳、『ベルクソン全集』9所収、白水社)
 いい言葉である。本当の幸福は、人のために行動するなかにある。社会のため、世の中のために行動する、なかにある
 私たちでいえば、広宣流布である。折伏である。最高の善行とは、幸福の大法である、この仏法を教えることだ。宿命を転換し、幸福の道を切り開いていけるよう、人々を励ましていくことである。また、社会の平和と繁栄のために尽くしていくことである。大きな視点に立って、世界のため、人類のために貢献していくことだ。
 人々を根底から救い、平和と文化と教育の発展に尽力する。生命尊厳の哲理を人類社会に打ち立てていく――広宣流布こそ、善行の中の善行なのである。
2  油断を排し、絶対無事故で
 昭和二十九年(一九五四年)の十月八日のことである。神奈川の相模湖で、痛ましい事故が起きた。中学生が乗った遊覧船が沈没し、二十二人が亡くなったのである。東京から遠足に来ていた生徒たちであった。
 大事故の原因は何だったのか? それは、遊覧船の定員を大幅に上回る数の生徒を、乗船させたことであった。
 船は、それほど大きくなく、定員は、届け出では二十人程度となっていた。しかし、教員二人と七十人以上もの生徒が乗り込んでしまった。
 引率の教員は、船長に″八十人だが大丈夫か″と尋ねた。船長の答えは″子どもなら八十人くらい乗せたことがある″という、いい加減なものであった。教員二人も、そんなものかと思って船に乗り込んでしまった。
 ところが、船が岸を離れて間もなく激しい浸水が起こり、遊覧船は沈没したのである。懸命の救助活動で、多数の生徒と教員、船長が救出された。しかし、生徒二十二人は行方不明となり、亡くなった。
 未来ある多くの若者の命が、一瞬にして失われてしまった。本当に残念な事件であった。
 大きな事故も、ちょっとした油断から起きる。「これくらい大丈夫だろう」「まあ、何とかなるだろう」――そうした気のゆるみが、取り返しのつかない事故を生む場合がある。
 たとえば、かつて、学会の会合に、おいても、会場にあまりにも多くの人が集まり、床が抜けてしまったことがある。幸い、大事には至らなかった。しかし、もし、けが人が出ていたら大変であった。会場を提供してくださっているお宅にも、多大な迷惑をかけてしまう。
 会合は、「仏子」の集いである。そこで事故があっては、大変なことである。とくに大きな会合の開催にさいしては、リーダーは決して無理をしてはならない。また、無理をさせてもならない。
 どうか、細かいところまで、気を配っていただきたい。
 油断から事故を起こすのは愚かである。厳しく言えば、それは慢心なのである。互いに注意しあい、絶対無事故の会合運営を、あらためて肝に銘じてまいりたい。
3  高い精神性から真の民主主義が
 以前も紹介したが、戸田先生は、ある政治家と懇談した折、次のように語っておられた。
 「選挙民だけでなく、多くの人々から尊敬され、信頼され、私利私欲を投げ捨てる政治家になってもらいたい。それには、立派な人間となることである。人格をつくることである」
 アメリカの第三十四代アイゼンハワー大統領は、「民主主義は、宗教的な基盤がなくては存在しえない」と述べている。一人一人が高い精神性をもってこそ、真の民主主義を実現することができる。
 インドのラジブ・ガンジー首相は語っていた。
 「自分が権力者になりたいというのでなく、人々に奉仕しようという、強烈な意識をもって、私は政治に入った」(シバサンカリ『ラジ一ブ・ガンディーの旅』本国史子訳、せせらぎ出版)
 ラジブ首相とは、かつて東京の迎賓館でお会いした。(一九八五年十一月)
 本当に凛々しい、好男子であった。穏やかな風貌のなかに、強き信念が光っていた。これまでお会いした指導者のなかでも、とりわけ強い印象を受けた一人である。会見ではインドと日本の友好をはじめ、仏教の慈悲の精神、日本の青年への期待などが話題になった。首相は、「日本人らしい日本人に会えた」と喜んでくださったとうかがった。
 ラジブ氏は、首相を辞めた後の九一年五月に暗殺された。本当に残念であった。生きておられれば、もっと多くの仕事を成し遂げられたにちがいない。
 その後も、私はソニア夫人をはじめ、ご家族との交流を続けてきた。忘れることのできない歴史である。

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