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日蓮大聖人・池田大作

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代表幹部研修会(6) 歴史を動かせ! 「常勝の歌」高らかに

2005.8.15 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  偉大な目的があるから強くなれる
 歌を歌っていこう。歴史が動くとき、そこには歌があった。学会は、歌とともに進んできた。歌で勝ってきた。
 学校も、校歌を生き生きと歌っているところは発展していると言われる。年をとって、歌を歌わなくなると、早く老けるという人もいる。
 声を出すことである。朝日に向かっていくように、はつらつと題目の大音声を響かせていくことである。そして、元気に歌を歌っていくことである。歌は、力の源泉であり、勇気の源泉であり、喜びの源泉である
 さあ、力強く、歌を歌って前進していこう!
 私たちの目的は、何か。それは「広宣流布」である。この世から、一切の不幸や悲惨を無くすことだ。人類の永遠の平和と、幸福の道を築きゆくことだ。生命尊厳の哲理を、一人一人の心の中に打ち立てていくことだ。
 戸田先生は語っておられた。
 「私は広宣流布という尊い仕事に、自分の命をかけた。どんな人間でも、崇高なる目的に生きることによって、強く、大きな力を得ることができる」
 戸田先生が広宣流布にかける思いは、それはそれは、すさまじかった。巌のごとき、鋼のごとき信念であった。偉大な目的があるから、人間は強くなれる。偉大な理想に向かって進むからこそ、人は力を発揮することができる。広宣流布という最高の聖業に生きぬく人生が、どれほど崇高であり、偉大か。今、こうして創価の同志とともに大闘争の歴史を刻めることが、どれほど尊いことか。
 そのことを、リーダーの皆さまが深く自覚し、決意するならば、今の何倍もの力を発揮することができる。もっともっと、強くなることができる。
 強盛な祈りで、わが大生命力をわき出しながら、新たな時代を聞く、勝利の劇をつづり残していただきたい。
2  邪宗門は破滅 学会は大前進
 平成二年(一九九〇年)十二月に「第二次宗門事件」が起きてから、本年で十五年となる。陰険な嫉妬に狂い、学会の破壊を画策した日顕宗のもくろみは、すべて失敗した。宗門の信徒数は、その当時から二パーセントにまで激減した。これに対して創価の同志の連帯は、当時の百十五カ国・地域から、百九十カ国・地域へと拡大した。仏法史に輝く壮挙である。
 邪宗門は破滅の坂を転げ落ちた。学会は、すべてを打ち破り、完全に勝利したのである。
 (日顕宗の反社会性は、裁判でも白日のもとにさらされた。これまで大石寺の「遺骨の大量不法投棄」などで、最高裁判所から八度、断罪されている。法主の日顕自身も二度、断罪されている)
 近代インドの思想家ヴィヴェーカーナンダは述べている。
 「聖職者集団というものは、本来的に冷酷で無情である。それゆえに、聖職者集団が生じるとき宗教は凋落するのだ」(『普遍宗教への階梯』大野純一編訳、コスモ・ライブラリー)
 日顕宗の坊主が、どれほど無慈悲で冷酷であったか。皆さんも、よくご存じであろう。
 イギリスの文人ハズリットは述べている。
 「悪質な偽善者は生まれつきのものである。人をだますためなら情け無用であり、必要とあらばどんな卑劣な手段も使う」(『ハズリット箴言集』中川誠訳、彩流社)
 立派そうな「聖職者」の仮面をまとった坊主たちは、卑劣な手段で学会員を苦しめてきた。その本性は広宣流布への情熱などカケラもない、卑しい性根であった。「第一次宗門事件」(昭和五十年代)でも、傲慢な坊主たちは純真な学会員を、いじめぬいた。
 また、学会の幹部としての立場や社会的な地位を利用し、いかにも自分が正しいような格好をして、学会攻撃に狂奔した反逆者もいた。しかし、こうした輩は皆、最後は破滅した。哀れな人生の末路を歩んでいる。正邪は明快である。仏法の因果の理法は、まことに厳しい。
3  釈尊は戦いぬいたから仏になった
 御聖訓には仰せである。
 「釈尊とともに修行していた人たちは、皆、途中で去ってしまったが、釈尊はただ一人残られたからこそ、仏になられたといえよう」(御書一一八一ページ、趣意)
 釈尊は、最初から「仏」であったわけではない。途中で仏道修行を投げ出さず、忍耐の実践を貫いたからこそ、仏の大境涯を得ることができたのである。簡潔な御文である。しかし、非常に重要な意味がある。仏となった釈尊は、生涯の最後の瞬間まで、みずからが悟った大法を人々に伝えた。幾多の難に屈することなく、弘教に生きぬいた。
 日蓮大聖人も、死罪や流罪など、苛烈な迫害の嵐を乗り越えて、敢然と折伏を続けられた。法華経には「猶多怨嫉。況滅度後」(法華経三六二㌻)――仏の在世でさえ、なお怨嫉が多い。いわんや仏の滅後に、さらに怨嫉が多いのは当然である――と記されている。
 その経文の予言のとおり、大聖人は邪宗の坊主から怨嫉され、迫害された。権力から弾圧された。大聖人の御生涯は、釈尊の在世とは比較にならないほどの大難の連続であられた。
 しかし、こうした大難と闘うことで、釈尊の予言が虚妄でないことを、現実に証明された。そして、一切の難に打ち勝ち、末法の御本仏としての境涯を厳然と顕されたのである。打ち続く弾圧のなかで、大聖人の門下には、退転する者も出た。退転してしまえば、それまで積んできた功徳も、すべて消え去ってしまう。
 大切なことは、絶対に退転しないことだ。広宣流布の歩みを止めないことだ。信心を買いてこそ、何ものにも崩されない、最高の幸福境涯を築くことができるのである。
 また、大聖人は、「秋元御書」で仰せである。
 「人を恐れず、世をはばからずに言うことは、法華経勧持品第十三の『我、身命を愛せず。但、無上道を惜しむ』という文の実践なのである」(御書1074㌻、通解)
 いざという時に、世間の目を恐れて正義を叫べないような、臆病者であってはならない。正義のために戦うことだ。声を上げることだ。行動することだ。見栄や世間体ではない。格好でもない。不惜身命こそ、真の広宣流布の精神なのである。

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