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日蓮大聖人・池田大作

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創立七十五周年幹部特別研修会(4) 声は社会を変える武器!

2005.8.12 スピーチ(2005.8〜)(池田大作全集第99巻)

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1  「戦い続ける」ところが栄える
 戦いは、執念深く攻めぬいたほうが勝つ。これが鉄則である。最後の最後まで、攻めて攻めて攻めぬく。これが本当の指揮である。中途半端はいけない。執念深く! 戦いは、勝っか、負けるかしかない。祈って、祈って、祈りぬくのだ。戦って、戦って、戦いぬくのだ。勝利の結果を見届けるまで! とくに、戦いの中心となる人間は、気取りなどかなぐり捨てて、死に物狂いで進むのだ。
 戦いは、意地と忍耐がなければならない。まず、リーダーが、動き、語り、励ますのだ。他人事だと思えば、力は出ない。「自分自身の戦いだ」と思えば、「戦おう」と心が定まる。戦えば、強くなる。戦わなければ、卑劣な敵に食い破られる。人も、団体も、「戦い続ける」ところだけが、他の何倍も発展し、栄えていくのである。
2  「民衆こそ王者」と胸を張れ
 近代中国の父・孫文は語った。
 「皇帝時代においてはただ一人の人間が皇帝だったが、民国になってはこの四億人がすべて皇帝なのです。これが、民をもって主となすということであり、これこそ民権の実行であります」(「講演集」堀川哲男・近藤秀樹訳、『世界の名著』78所収、中央公論社)
 民主主義の社会である以上、指導者は民衆のしもべである。民衆のために苦しみ、命を使うべきである。それでこそ、民衆は指導者を信頼し、尊敬することができる。
 しかし、傲慢や、保身や、つまらない欲のために、権力を悪用する者がいる。放っておくと、つけあがり、威張り始める。本来は″主″のはずの民衆が、″僕″のはずの権力者から、馬鹿にされてしまうのである。
 そのような転倒を正して、「民衆こそ王者」と胸を張れる社会をつくらねばならない。私たち創価の連帯こそ、「現実を変革するため」の大いなる希望であることを、強く申し上げておきたい。
3  正義は正義! 堂々と事実を訴えよ
 日蓮大聖人は、重書である「開目抄」などで、繰り返し、涅槃経の次の一節を引いておられる。
 「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり
 ――もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵である――。
 正法を破壊し、民衆を苦しめる者は、一人たりとも許しはしない! 日蓮大聖人の仏法は、正義を貫き、人間愛に燃える「戦う仏法」である。戸田先生も、後世のために叫ばれた。
 「悪と戦わないのは悪である。仏法ではない。悪と戦うことが善である。真実の仏法である」
 学会には、真面目で、誠実な方が多い。実際に学会員と接して、そのように感じ、信頼してくださっている方も多い。だからこそ、その点につけ込んで、学会を悪用しようと画策する者も出てくる。大切な会員に迷惑をかける邪悪な動きは、絶対に見逃してはならない。人間も、組織も、つねに変化のなかにある。日々、動いている。発展するか、衰退するか。つねに戦いの連続だ。
 学会は、広宣流布を目指す和合僧団である。破和合僧の動きを放置する者は、結果的に、悪に加担したことになってしまう。悪の蠢動と戦わなくなれば、その組織は必ず敵に侵されてしまうのである。ゆえに、悪は悪であり、正義は正義であると、堂々と「事実」を訴えることである。思っているだけで口に出さなければ、物事は動かない。結果も出ない。損をするだけである。悪と戦ってこそ善であり、真実の仏法者である。この一点をともに確かめ合い、さらに勢いよく進んでいきたい。

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