Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各部合同研修会 さあ人間の中へ! 勝利の突破口を開け

2005.8.6 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
1  いかなる法戦も断じて勝ち取れ!
 私の胸には、恩師戸田先生の叫びが響いている。
 「広宣流布のために、いかなる法戦も、断じて勝ち取れ!」
 これが恩師の遺言であった。
 この言葉を、わが尊き全同志に贈りたい。
 きょうはたいへんにご苦労さま! 皆、お元気そうで本当にうれしい。
 ドクター部、白樺会、白樺グループの皆さまは、人々の「生命」を守る大切な方々である。「健康の世紀」を開きゆく、偉大なリーダーである。多くの同志も、さまざまな形でお世話になっている。心から感謝申し上げたい。
 広宣流布の前進において、リーダーの責任は大きい。
 たとえば会合で話をするにしても、参加者の心に残るような、いい話をしないといけない。
 「きょうは、いつもと違うな」と参加者に思われるような、新鮮な、元気の出る話をしてほしい。
 ツンとして、偉ぶっていてはリーダー失格である。「皆さん、お忙しいなか集まってくださり、本当にありがとうございます」――そういう心で、どとまでも謙虚に、真心を込めて接していくことだ。
 もちろん、どんな立派な話でも、自分自身が感激に燃えてしゃべらなければ、他の人を感激させることはできない。奮い立たせることはできない。
 まず、自分が炎と燃えることだ。そして皆の「魂」に火をつけることである。
 会合に来て「生まれ変わったようだ」と言ってもらえるくらいの励ましを送ってほしい。
 そうでなければ、せっかく集まってくださった方々が、かわいそうである。
 ともあれ、リーダー自身が研鎖し、自分を磨いていくことだ。そこから一切の変革が始まるのである。
2  勇気の声で世界を変えよ
 広島への原爆投下から、きょう八月六日で六十年を迎えた。
 じつは、この研修会に参加されている女性ドクター部長も、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを目の当たりにした一人である。
 その体験が、総合月刊誌「潮」の九月号に掲載されており、私も読ませていただいた。深い感銘を受けた。平和への願いと誓いを込めて、その内容を、少々、紹介させていただきたい。
 ――六十年前(一九四五年)の八月六日、幼かった彼女は、広島市から三十キロほど離れた母の故郷に疎開していた。妹と縁の下にもぐって遊んでいた朝八時十五分、地震のような大きな揺れを感じた。しばらくすると、空が真っ黒になった。
 村の開業医であった祖父は、市内で被爆し、命からがらたどり着いた村人たちの治療に当たった。
 祖母も、母も、叔母も、皆が助かるように、浴衣を切り裂いて包帯の代わりにするなど、必死で働いた。
 当時、大人たちは話していたという。
 「ピカドン(原爆)」は、ふつうの爆弾ではない。被爆者の皮がむけて、体から垂れ下がっている。あの人も亡くなった。この人も亡くなった。親しい人たちが、被爆後一週間で次々に亡くなった――と。
 この五歳の八月六日を一つの原点として、彼女は、生命を守る医師という職業を志された。
 そして今、生命尊厳と世界平和のために行動する創価の女性ドクターのリーダーとして、活躍しておられる。社会に慈愛と希望の光を広げておられる。
 勇気の一人が、世界を変えていくのである。
3  広島では″トインビー展″が開催されている。
 (二〇〇三年の夏、東北青年部が企画・主催して、仙台でスタートした「『二十一世紀への対話』――トインビー・池田大作展」は、その後、東北から東京、北海道、関西、四国、神奈川等を巡回。各地で大きな反響を広げてきた。二〇〇五年五月の福岡展では十三万人が来場。各界を代表する来賓二百五十人も参加した。さらに、七月二十二日に開幕した広島展には、多数の識者をはじめ十万人以上が来場した)
 トインビー博士との思い出は尽きない。展示では、博士から私に送られた書簡も公開されているとうかがった。
 博士も二度の世界大戦を経験し、戦争の悲惨さを知りぬいておられた。
 人類の未来を確かなものとするには、人間自身を変革するしかない。そのためには、力ある世界宗教が必要なのです――そう訴える博士の真剣な声が、今も私の胸に響いている。

1
1