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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(5) 指導者は「民衆のために」「民衆とともに」

2005.8.3 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  信心とは「究極の正義の勇気」
 信心とは、究極の勇気である。
 正義に生き、何ものをも恐れることはない。それが信仰者である。
 尊き同志を守るためには、臆病であってはならない。リーダーは、つねに第一線に飛び込んで、猛然と戦う勇者でなければならない。
 私が青年部で戦っていたとろ、戸田先生の悪口をまきちらし、いわれない学会批判を繰り返していた連中がいた。私は、どうしても我慢ならず、一人で相手のところへ行った。そして、師匠の真実を叫びきり、学会の正義を訴えて、その場で相手を理解者に変えていったこともあった。
 学会は強気でいけ――それが戸田先生の教えである。
 いざというときに動けない臆病者、戦えない意気地なしが、何人いても広宣流布は進まない。
 日蓮大聖人は「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」と仰せである。たとえ、無敵の剣を持っていても、使う人間が臆病では、魔は打ち破れない。
 青年ならば、勇気を出すことだ。信心とは最高の正義の勇気である。真の勇者は、つねに一人立つのである。
2  私には、若き日から、学会の一切の責任を担ってきたという自負がある。
 第三代会長になったのが三十二歳のときである。
 広宣流布には、三障四魔がつきものである。まさしく、仏敵との連続闘争の日々であった。また日本中、世界中の同志のことを考えると、三百六十五日、心休まる日はない。それが正直な気持ちである。
 だが、敵がいるから戦えるのだ。戦いがあるから成長できる。感激の同志と、生命の奥底から喜びを分かちあうことができるのだ。これ以上の人生の誉れはないのである。
 どうしたら「道」が開けるか。
 リーダーが自分で動くことだ。自分自身が戦って、広宣流布の結果を示していくのである。
 どうしたら「心」をつかめるか。
 誠実な振る舞いしかない。直接、会って、礼儀を尽くし、話を聞いていく以外にない。すべては、リーダーの一念と行動から始まる。
 人ではない。自分である。大変なことは人にやらせて、自分はうまくやろうというのでは、幹部がいる意味はない。せっかく積んできた福運も消えていく。組織全体もよどんでくる。
 仏法は勝負である。所詮、勝つか負けるかのどちらかしかない。その分かれ目が指導者の一念であろう。
 リーダーが先頭を切っていくことだ。戦う息吹にあふれでいることだ。いつも、生き生きとして、歓喜がある。生命力がある。光っている――このリーダーが勝つのである。
3  繰り返し申し上げるが、皆で女子部を大切にし、尊敬してまいりたい。
 戸田先生も「女子部を大事に」と何度となく叫ばれた。私も青年部時代から、女子部の意見をもっとも大切にしてきた。戸田先生がそうしなさいと言われたのである。
 女子部が伸びれば、学会の未来は盤石である。一人の立派な女子部の存在は、十人、百人に匹敵する力を発揮していくからである。
 たとえば、会社などでも、一人の女子部の活躍によって、会社全体に学会の信頼が広がっているケースが数多くある。家庭にあっても、やはり女子部が中心であろう。娘の言うことには、お父さんも従わざるを得ない(笑い)。結婚すれば、夫をリードし、子どもができれば、後準告の育成の担い手となっていく。
 女子部の使命は、限りなく大きい。活躍の舞台は、無限に広がっている。
 ともあれ、女子部の皆さんには、幸福になってもらいたい。その崩れぬ土台を築くのが青春時代である。そして清らかな、強き信心を持った女性になってもらいたい。
 男性の幹部は、「ナイト(騎士)の精神」で、女子部を守っていくことだ。
 女性が生き生きと力を発揮しているところは、明るい。すがすがしい雰囲気がある。どこまでも伸びていく。女性を大切にしたところが、最後は勝ち栄えていくのである。

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