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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(3) 広布に戦う人がもっとも尊い!

2005.8.2 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  「これだけやった!」と歴史を
 「拡大」が、学会青年部の伝統である。
 私も、学会青年部の出身である。男子部の部隊長も務めた。皆が、真剣に各部隊を拡大し、人材を育て、大競争をした。
 若き胸には、広宣流布という夢があった。ロマンがあった。戦う気概に満ちあふれでいた。
 生き生きとした青年部の姿に触発されて、学会全体が躍動していた。壮年部、婦人部、青年部が、すばらしい連帯感で結ばれていたのである。
 青年の勝利への勢いが広宣流布の新しい扉を開く――これが学会の歴史である。
 そしてまた、青年部の変わらぬ心意気でなければならない。
 戸田先生は、しばしば「男性は力を持て」と言われた。
 男子部のリーダーは、大きく打って出てもらいたい。伸び伸びと、自由奔放に戦ってもらいたい。重大な立場に就きながら、心が小さくなってしまえば、大きな仕事はできない。与えられたことだけを細々とこなすような、受け身の生き方では、あまりに寂しい。
 ひとたび、広布の戦の庭に立ったならば、「自分は、これだけやった!」と胸を張っていえる結果を厳然と示していくことだ。「これだけの歴史をつくった!」という生きた証を残していくことだ。それでこそ、学会男子部である。
2  創価の女性は「人類の太陽」
 広宣流布――それは、「人材をつくり」「未来をつくり」「平和をつくる」戦いである。
 本当に戦った人は、生々世々、無量無辺の功徳に包まれる。中途半端であったり、格好とか見せかけだけならば、「歓喜の中の大歓喜」はつかめない。すべては、「自分で」決まる。「自分が」決めるのである。
 御聖訓にいわく、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と。
 偉大なる「法」を弘めゆく、偉大なる「人生」を、ともどもに歩んでまいりたい。
 広宣流布の行動は、一切が、自分のため、一家一族のため、同志のためとなっていく。御書に照らし、経文に照らし、断じて間違いない。
 なぜ、学会は、ここまで勝ってくることができたのか。
 それは、ひとえに、婦人部、女子部の皆さま方が真剣に戦ってくださったおかげである。
 「人類の太陽」である″創価の女性″の皆さま方に、心から感謝申し上げたい。本当にありがとうございます!
 これまで何度も語ってきたが、女性を尊重し、女性の意見を大切にしていくことを、再度、確認しあいたい。
 大事なことは、真剣に戦ってくださっている婦人部、女子部の皆さま方を尊敬し、感謝し、讃えていく――その「心」が男性の幹部にあるかどうかである。その「心」があれば、広布の未来は、大きく開かれる。
 そして、使命ある女子部がいちだんと団結し、いちだんと勢いよく進んでいけるよう、婦人部を中心に皆でしっかりと応援してまいりたい。
 また、かりにも、女性を下に見たり、高慢な態度で女性を使うような男性幹部がいたならば、絶対に許してはいけない。断固として、糾弾の声をあげていくべきだ。
 学会の目的は、広宣流布である。
 ゆえに、広布に一生懸命に戦っている人がもっとも尊い。その人をいちばん大事にする組織でなければならない。組織のために会員がいるのではない。会員のために組織があるのだ。
 組織が大事なことは言うまでもないが、それを利用して、いばる幹部がいれば、本末転倒である。厳重に注意していかなければならない。
 「広布に戦う人」を最大に守り、支えていくのが幹部の役割である。
3  大聖人の人権宣言「男女はきらふべからず」
 権力者だから偉いのではない。庶民だから低く見るのでもない。人間は、すべて平等である。もちろん男女も平等である。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」とは、日蓮大聖人の「男女平等の大宣言」であられた。
 それが仏法の根本の精神である。
 きょうは、釈尊の教団における人間主義について、簡潔に要点だけ述べておきたい。
 釈尊は、男女の差別なく、模範の弟子を讃えていった。
 仏典「アングッタラ・ニカーヤ」では、誉れある女性の弟子たちの名前があげられ、それぞれに「大慧中の〔第一〕」「持律中の〔第一〕」「説法者中の〔第一〕」「静慮者中の〔第一〕」(『南伝大蔵経』17、荻原雲來訳、大正新脩大蔵経刊行会)などの尊称が贈られている。
 法のため、人のために奔走する女性たちが最大に讃嘆されているのである。
 また、釈尊の教団では、仏道修行のために外出する女性修行者に対して、細かい注意が与えられていた。経典には、次のように記されている。
 「一人で河を越え、一人で夜間外出し、一人で衆より残つてはならない」(森章司『初期仏教教団の運営理念と実際』国書刊行会)と。
 こうして、具体的に注意をうながしていくことが、危険を未然に防ぐことにもなる。
 私たちも、ふだんからたがいに声を掛けあっていきたい。「声」が「魔」を切っていくのである。
 婦人部、女子部のリーダーの皆さんは、「安全第一」「無事故第一」の活動を、どうかよろしくお願いしたい。
 釈尊に対する女性の弟子たちの感謝の声も残されている。
 ある女性は、次のように語っている。
 「わたしは、正しく覚った人・最上の人に敬礼しつつ、師の教えを実行して、あらゆる苦しみから脱れました」(『仏弟子の告白 尼僧の告白』中村元訳、岩波書店)
 ある女性は、こうも言っている。
 「師の教えを実行しているのですから、どうして安らぎを得ないことがありえましょうか」(『仏弟子の生涯』、『中村元選集〔決定版〕』13所収、春秋社)
 釈尊のもとで修行した女性の弟子たちが、宿業を乗り越え、蘇生の人生を歩んでいった喜びが伝わってくる。
 求道があり、実践があるところ、成長があり、勝利がある。そこにはまた、感動があり、安らぎがあり、発展がある。

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