Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

牧口先生生誕記念協議会 創価の師弟は教育で勝った!

2005.6.6 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
1  国家主義と命がけで戦った牧口先生
 アメリカの広宣流布の尊き指導者の皆さま! 遠いところ、本当に、ようこそお越しくださった。第二総東京の代表の皆さま、いつも、ご苦労さま! ありがとう!
 きょう、私は、緑まばゆい村山総区、秋川総区、さらに新立川総区の天地を車で通り、妻とともに、すべての同志の皆さまの健康と幸福と勝利を祈って、題目を送らせていただいた。
 第二総東京は、どの地域も大発展している。どの地域も大勝利である。とくに婦人部の皆さま方の力は大きい。心から讃嘆申し上げたい。
 きょう六月六日は、「創価教育の父」牧口常三郎先生の誕生日である。牧口先生は、一八七一年(明治四年)のお生まれ。今年で生誕百三十四年となる。
 創価の原点の一日を、先生の魂をとどめる東京牧口記念会館で、晴ればれと迎えることができ、本当にうれしい。ここ八王子は、わが婦人部の祈りに応えて、諸天も寿ぐすがすがしい快晴となった。
 牧口先生の遺徳を偲びつつ、少々、お話ししたい。
 牧口先生は、国家権力と戦い、獄死された。(一九四三年〈昭和十八年〉七月六日、伊豆・下田で連行され、四四年十一月十八日、七十三歳で獄死)
 もちろん、先生には何の罪もなかった。「創価学会の思想は危ない」という、理不尽な弾圧であった。ご承知のとおり、検挙の理由は「治安維持法違反」と「不敬罪」である。
 牧口先生は、軍部におもねった宗門とは対照的に、正法正義を貫き、戦争推進のイデオロギーである国家神道に断じて従わなかった。当時の悪法のもとでは、それだけで処罰の理由となったのである。
 老齢の大学者の先生を、一介の役人にすぎない特高刑事や検事が、いじめにいじめた。権力を笠に着て、居丈高に振る舞い、怒鳴った。これが「権力の魔性」の恐ろしさである。
 狂った日本であった。愚かな日本であった。権力が、牧口先生を殺したのである。何の罪もない、それどころか、世界的大学者の先生に、日本は、「獄死」をもって報いたのである。
 永遠の平和を築く戦いは、所詮、「権力の魔性」との戦いであることを、絶対に忘れてはならない。それを忘れ、油断すれば、広宣流布の将来は危ないからだ。
2  しかし牧口先生は、権力の横暴に、一歩も引かなかった。それを証明する「訊問調書」が残っている。(旧内務省の資料『特高月報』の昭和十八年八月分に記載、『牧口常三郎全集』10所収)
 先生は刑事に堂々と答えられた。そして、当時の聖戦思想を真っ向から否定された。
 「(=立正安国論には)この法(=法華経)が国内から滅亡するのを見捨て置いたならば、やがて国には内乱・革命・飢僅・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであろうと仰せられてあります」
 「現在の日支事変(=日中戦争)や大東亜戦争等にしても、その原因はやはり謗法国であるところから起きている」
 「この大法にもとる事は、人類としても、はたまた国家としても許されない事で、反すればただちに法罰を受ける」(句読点を適宜、補った。『牧口常三郎全集』からの引用は以下同じ)
 戦争でいちばん犠牲になり、苦しむのは、いつも民衆である。しかし、国は「神州不滅」などとあおって、国民を戦争に駆り立てた。それに、はっきりと異議を唱えたのである。正法を迫害する国は、滅亡するのが道理であると喝破されたのである。
 軍国主義の時代である。しかも獄中である。どれほどの信念であられたか。どれほどの壮絶な戦いであったか。先生は、創価学会の永遠の誇りである。その直系が私たちなのである。
3  牧口先生のことを語られる時、戸田先生は涙を流すのがつねであった。「仇は必ず討ってみせる」という怒りと決意が、燃え盛っておられた。
 牧口先生と戸田先生は、警視庁の取調室で一緒になった。(逮捕から二カ月後の昭和十八年九月)
 その時、牧口先生は、ご家族から差し入れられた愛用のカミソリを手に取り、懐かしそうに見つめておられたという。その時、刑事が大声で怒鳴った。「ここをどこと思う。刃物をいじるとはなにごとだ」
 戸田先生は、のちに、こう語っておられる。
 「先生は無念そうに、その刃物をおかれました。身は国法に従えども、心は国法に従わず。先生は創価学会の会長である。そのときの、わたくしのくやしさ」
 そして、牧口先生が東京拘置所に移される時が、師弟の最後の別れとなった。
 「『先生、お丈夫で』と申しあげるのが、わたくしのせいいっぱいでございました。あなたはご返事もなくうなずかれた、あのお姿、あのお目には、無限の慈愛と勇気を感じました」
 あまりにも崇高な師弟の歴史である。
 信念に生きる立派な人間、偉大な思想をもった人間は、かえって弾圧され、牢に入れられる。
 なかでも当時、韓・朝鮮半島の人々の場合、その処遇は苛烈を極めた。戸田先生は、それを振り返り、「どうして日本は、こんなにひどいのか!」と悔しがっておられた。その先生の血涙の叫びを、私は忘れることができない。

1
1