Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部・海外代表協議会 誠実で勝て! リーダー率先で勝て!

2005.5.31 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

前後
1  戸田先生「妙法を受持した女性は最も尊貴」
 私が青春時代から愛読してきた詩人に、アメリカのウォルト・ホイットマンがいる(一八一九年五月三十一日生まれ)。偉大なる「女性の世紀」を展望していたホイットマンは、こう高らかに謳った。
 「ふり仰ぐ旗として力づよき母を掲げよ、優しき女性を高く振りかざせ、万人の頭上に星さながからに輝く女性ひとを、(君たちのこらず頭を垂れよ)」(「開拓者よ、おお開拓者よ」鍋島能弘・酒本雅之訳、『草の葉』中、岩波文庫)
 「創価の母」である婦人部の皆さまこそ、ついに開幕した「女性の世紀」の希望の星であり、太陽である。
 ホイットマンが「君たちのこらず頭を垂れよ」と呼びかけたとおり、もっとも偉大な婦人部の皆さま方に、私どもは最敬礼してまいりたい。
 全国の婦人部の同志は、広布のため、学会のために、本当によく頑張ってくださっている。心から感謝し、賞讃申し上げたい。(拍手)
 昭和二十六年(一九五一年)の六月十日、戸田先生が第二代会長に就任して真っ先に結成されたのが、わが婦人部である。
 結成の日、戸田先生は集った五十二人の代表に対して、妙法受持の女性はもっとも尊貴な女性であり、そのことを深く自覚してほしいと語られた。
 さらに、″妙法の実践の証明が、未来にどう開花していくか、私とともに、どこまでも戦ってもらいたい″と呼びかけられたのである。
 五十四年前、戸田先生の大いなる期待のもとで出発した婦人部は、戸田先生とともに、そして、先生の不二の弟子である私とともに、懸命に走りぬいてくださった。今や、誇りも高く、世界一の婦人部となった。
 「婦人部の日」、おめでとう!(拍手)
2  全うする人が真の勝利者
 きょうは、広宣流布の重要な責任を担うリーダーの会議であるゆえに、何点か語り残しておきたい。
 信心で大切なのは、「全うすること」である。
 戦いを全うする。自分の立場を全うする。広宣流布の信心を、一生涯、最後まで貫いてこそ本物である。全うしぬいた人が、本当の勝利者である。
 青年部、そして青年部出身のリーダーは、広布の敵と戦いぬく「勇気」と「力」がなければならない。
 三類の強敵と戦えない意気地なしではいけない。弱い青年部になってはならない。青年部が弱くなったら、学会の未来はない。広宣流布を阻む極悪を断じて許さず、徹底して戦い、完全に打ち倒してこそ、正義の指導者である。
 私は青年時代、戸田先生のもとで、厳しい薫陶を受けきった。そして、うるわしい民衆の城を脅かすあらゆる敵と、ただ一人矢面に立って戦いぬいてきた。尊き無名の庶民とともに、今日の世界的な創価学会を築き上げた。
 青年部のリーダーは、そうやって築かれた学会の組織の上に、あぐらをかいていてはいけない。甘えてはいけない。敵とも戦わず、苦労もしないで、いい気でいるような、″格好だけ″のリーダーであってはならない。仏法は因果の理法である。生命の因果は厳しい。自分の行いの報いは、必ず自分が受ける。何よりも、そのようなリーダーであっては、会員の皆さんがかわいそうである。
 広布のために奮闘してくださる同志に心から感謝し、「皆さんに喜んでもらおう」「自分にできることは何でもしよう」「力の限り、希望と励ましを送ろう」と、必死になって戦うことである。
3  あの昭和三十一年(一九五六年)の″大阪の戦い″のとき、私は二十八歳の青年であった。
 勝っか。負けるか。多くの人が、勝利は不可能だと見ていた。
 しかし、戸田先生のため、同志のため、学会の未来のため、絶対に負けるわけにはいかなかった。私は億劫の辛労を尽くし、死にものぐるいで戦った。
 東京と大阪を何度も往復し、何カ月も大阪に滞在した。朝は、早朝から飛び出して、大阪中を走りぬいた。
 夜は、深夜の関西本部で、人知れず丑寅勤行を続けた。毎日、くたくたに疲れ果てたが、大生命力を奮い起こして、一日、また一日と戦いぬいた。
 そうして迎えた決戦の日。早朝の五時過ぎ、関西本部の静かな館内に電話のベルが響いた。受話器を取ると、それは東京の戸田先生からであった。東京は、厳しい情勢であった。
 先生は言われた。
 「大作、関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 この私の答えを、先生は、本当に喜んでくださった。あのときの先生の、心からのうれしそうな声を、今も忘れることができない。
 私は師匠の戸田先生に、人生のすべてを捧げて、尽くしぬいた。創価学会は、師弟の精神が根本である。この魂を、断じて忘れてはならない。

1
1