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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念祝賀代表者会議 会って語れば道は開ける

2005.4.15 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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1  福徳は春の野に花が開くように
 晴れやかな五月三日「創価学会の日」に向けて、全同志が「前進また前進!」の息吹にあふれでいる。皆さん、まことにご苦労さまです!
 この世でもっとも尊いのは、広宣流布のために行動している人である。組織の中で責住を担って、苦労しながら戦っている人である。私は、そうした方々を、心の底から、最大に讃えたい。
 また、日蓮大聖人が、三世十方の諸仏、諸天が、その人を最大に讃嘆し、護りゆくことは、絶対に間違いない。
 大聖人は、門下が福徳に包まれ、幸福になっていくことを、何よりの喜びとされた。鎌倉で戦う四条金吾への御手紙には、「願いが叶っていく様子は、潮が満ちてくるようであり、春の野に花が開くようです」(御書1110㌻、通解)と仰せである。
 もちろん、人生には、さまざまな悩みがある。
 しかし、何があろうと、すべてを「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」していける。必ず、「所願満足」の人生の軌道を歩んでいける。
 それが妙法の偉大な力なのである。
 わが大切な同志が、皆、健康で、幸福で、希望に燃えて、勝利の人生を進んでいかれることを、私も妻も、真剣に祈っている。祈り続けている。
 ともあれ、広宣流布は、瞬時も停滞してはならない、永遠にわたる「精神の大闘争」である。
 創価学会はその名のとおり、つねに「価値の創造」に挑み、「学びゆく会」である。
 学会の世界には、深遠な理念が光り、生きた思想が脈打っている。だから強い。
 本日も、人類の希望の道を開きゆく皆さまの、前進の糧になればとの思いで、少々、残させていただきたい。
2  名通訳ありて世界に対話の道
 今月十二日、私は南米コロンビア共和国のウリベ大統領と有意義な会見を行った。「太平洋の隣人」であるコロンビアと日本、さらに中南米とアジア地域を結びゆく、平和友好の対話を広げることができた。その折に、コロンビアの関係者の方々が、「SGI(創価学会インタナショナル)の通訳はすばらしい。完璧である」と絶賛されていた。
 以前も申し上げたが、若き日に語学を習得できなかったことが、私の一生の後悔である。
 戦争中、英語は敵国語であり、学ぶことも許されなかった。戦後は、肺病と闘いながら広布の拡大に走り、戸田先生の事業の再建に奮闘する日々で、多忙を極めた。私は万般の学問を戸田先生から教わったが、明治生まれの先生は、語学は得意ではなかった。そこで、英語を勉強していた先生の奥様が教えるようにしよう――そこまで先生は考えてくださった。
 結局、私は、別の人に英語の個人教授を受けた。だが、運悪く、月謝を取ることばかり考える人で(笑い)、まともに教えてくれなかったのである。
 本日はSGI公認通訳の代表の方々も出席されている。皆さまの尽力により、世界中に平和と人道の連帯を開くことができた。尊き使命の一人一人に、この席をお借りして、心から感謝申し上げたい。(拍手)
 私は皆さまとともに、数々の出会いの歴史を刻んできた。
 イギリスでは、アン王女、チャールズ皇太子への表敬も思い出深い。サッチャー元首相、メジャー前首相をはじめ各界の指導者とも対話した。(アン王女への表敬は一九八九年五月、バッキンガム宮殿で。チャールズ皇太子への表敬は九四年六月、皇太子の私邸で。サッチャー元首相との会談は八九年五月、九一年六月の二回。メジャー前首相とは九一年六月)
 さて、ウリベ大統領との会見場所は、品川区にある駐日コロンビア大使公邸であった。その行き帰りの道すがら、品川区と、お隣の目黒区、そして渋谷区、港区を車で回った。同志の健気なご活躍の様子をうかがいながら、車中から真剣に題目を送らせていただいた。
3  コロンビアとの縁は幾重にも
 コロンビアとの縁は、幾重にも深い。
 四十五年前の一九六〇年十月、初の海外訪問の時に、給油のため、首都ボゴタのエル・ドラド空港に降り立った。満天の星を仰ぎながら、大地に染みこませる思いで、題目を唱えたことが懐かしい。
 今回の大統領との会見に同席されていたバルコ外務大臣とは、十五年ぶりの再会となった。
 外務大臣は、かつて私が二度、忘れ得ぬ出会いを重ねた、故バルコ元大統領のご息女である。一九九〇年、東京富士美術館で開催された「コロンビア大黄金展」の開会式に、大統領夫人であるお母さまとともに出席してくださった。そして今回は、コロンビアの外交のリーダーとして来日されたのである。お母さまもご健在であるとうかがい、私はうれしかった。
 お父さまであるバルコ大統領との最初の語らいは、一九八九年、師走の東京であった。
 その直前に、首都ボゴタで起きた爆弾テロの一報が入り、緊迫した空気の中での会見となった。私は短時間のごあいさつだけで失礼させていただくつもりだった。大統領は、強靭な精神力を発揮して、勇敢に指揮を執っておられた。
 私は申し上げた。
 「指導者は『柱』です。柱が厳然としていれば、民衆の家は揺るがない。指導者は『橋』です。怒濤逆巻く社会にも、『希望の橋』があれば、人々は安心です」
 大統領は言われた。
 「平和、それは『人類共通の目的』です。この実現のために、手を携えて進んでいきたいのです」
 再会は二年後の六月、イギリスのロンドンであった。大統領職を離れ、駐イギリス大使として赴任されていたバルコ氏から、大使公邸にお招きいただいたのである。
 「私は友情と報恩を重んずる」――南米解放の英雄ボリバルの言葉を私は心に刻んだ。

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