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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部・女子部最高協議会 新しい時代――人材を見つけ、育てよう

2005.3.11 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  平和をめざす女性の連帯が拡大
 婦人部、女子部の皆さん、毎日、本当にご苦労さま!
 広宣流布に奔走される創価の女性たちの活躍は、まことにすばらしい。
 東京、第二総東京の皆さまの懸命なる闘争に、全同志が喝采を贈っている。さらに、神奈川、埼玉、千葉、そして関東をはじめ、全国で、平和をめざす女性の連帯が拡大している。とくに婦人部の皆さまは、見事なる前進をしてこられた。友のため、広布のために、走りに走りぬいて、かってない歴史を築いてくださった。
 また女子部の活躍も光っている。これからは、ますます女子部に力を入れていきたい。
 青年の時代である。男子部、女子部、学生部、未来部に光をあてて、偉大なる人材を育成してまいりたい。
2  広布の本流をまっしぐらに!
 人材は、何もしないでいては、決して育たない。みずから苦労して、新しい人材を見つけ、真剣になって育てていくことである。今こそ、人材育成の大きなうねりを起こしてまいりたい。
 先輩の方々は、若い後輩たちと「一緒に」行動しよう!「一緒に」前進しよう!――その心意気をもつことだ。一緒に動けば楽しいし、計り知れない力が出る。
 もう新しい時代が始まっている。それを、上から眺めているだけでは、魂が老いている姿だ。
 自分から後輩たちのなかに飛び込んでいくことである。「本当にすばらしいね」と皆をほめ讃えていく。「何でもやらせてもらいますよ」と皆に尽くしていく。声をかけるだけでも、皆の力になり喜びになるものだ。一生涯、広宣流布の本流をまっしぐらに進む、すばらしい模範を残していただきたい。
 中国の「竜門の滝」の故事を引かれた御書がある。(「上野殿御返事」御書1560㌻)
 「登竜門」の語源となった滝である。
 滝のもとには多くの魚が集まって登ろうとする。しかし、激流やさまざまな障害があって登りきることができない。その困難を突き抜けて、登りきった魚は竜となる。
 この故事を通して、大聖人は、成仏がいかに困難かを教えておられる。
 言い換えれば、「信心しきった人」が「最後は勝つ」ことを宣言されているのである。途中、どんなに頑張ったとしても、貫かなければ成仏はないのである。行く手にどんな障害があろうと、執念をもって戦いぬくことだ。
 そして″大勝利の登竜門″を、ともに晴ればれと登りきってまいりたい。
 「一華を見て春を推せよ
 「開目抄」の一節である。
 たとえ一輪であっても、寒風のなかに、凛と咲き誇る花があれば、天下の春の到来を知ることができる。
 そして、けなげな女性が、一人、真剣に立ち上がるところ、そこには必ず、さわやかな「希望の春風」が吹き薫り、「歓喜の春」「勝利の春」が広がっていくのである。全国、全世界で、さっそうと活躍される婦人部・女子部の皆さま方を讃え、心からの感謝をとめて、きょうも少々、語り残したい。
3  謝冰心しゃしょうしん女史「人生は八十歳から始まる」
 私と妻は、「中国文学の母」謝冰心先生と深い交友を結んできた。中国を代表する女性作家の一人として、今も深く敬愛され、広く愛読されている。
 (=謝冰心女史と池田名誉会長夫妻は、一九八〇年四月、静岡、北京で会見。謝女史の生誕の地・福建省にある「冰心文学館」から二〇〇四年九月、名誉会長に「名誉館長」、香峯子夫人に「愛心大使」の称号が贈られた)
 謝先生は、戸田先生と同じ一九〇〇年の生まれである。九九年に亡くなるまで、まさしく激動の二十世紀を生きぬかれた。
 温かな人間愛に満ちあふれた方であった。「母の愛」を描き、「女性の幸福」を論じ、「庶民の気高さ」を高らかに謳い上げた。
 日本でも数年間、暮らしておられる。日本の民衆をこよなく愛された。それだけに、中国をはじめアジアの国々を侵略し、人々を苦しめぬいた日本の軍国主義に対しては、厳しかった。
 「人間が人間を圧えつけいじめることだけは、わたしには我慢できない」(『女のひとについて』竹内実訳、朝日新聞社、『訳者あとがき』から)とは、謝先生の生涯を貫いた信念であった。だからこそ、生命尊厳の哲学を掲げて、平和と教育と文化のスクラムを広げる、創価の婦人部・女子部に寄せる信頼は絶大であった。
 「いかなる星にも光ありいかなる花にも香りあり」(「繁星」、『冰心選集』上、人民文学出版社)
 これは、謝先生の詩にある言葉だが、先生の深き人生観を示していると思う。
 どの生命にも、無限の「価値」がある。どの人にも、かけがえのない「使命」がある。
 その「価値」を発揮し、その「使命」を果たしていくために大切なものは何か。
 それは、「活動」であり、「成長(生長)」であると、謝先生は強調されている。
 「生命の象徴は活動です。生長です。一滴一葉の活動と生長とが全宇宙の進化と運行とを作りあげるのです」(『謝冰心自選集 お冬さん』倉石武四郎訳、河出書房)
 川も、流れなければ、死んだ湖になってしまう。種も、成長しなければ、ただの殻で終わってしまう――そう謝先生は言われるのである。
 人間も、生き生きと動き、伸びゆくことだ。個人であれ、団体であれ、成長を止めれば、もはや激流の時代から取り残され、滅び去ってしまう。
 御聖訓には「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せである。厳しい時代であればあるほど、きょうも、一歩、前進! きょうも一つ、新しい創造を!
 たゆまず、地道に、着実に挑戦を続けていく。そこにこそ、大宇宙の本源と連なりゆく、充実と満足の人生が開かれるのである。
 謝先生ご自身、その模範を示された。晩年、脳血栓で倒れ、右半身が麻痺してしまった。しかし、「人生は八十歳から始まる」と、震える手でペンをふるい続けていったのである。その前進の心は、九十歳を超えても変わらなかった。文化大革命の迫害の嵐も乗り越え、さらに病魔も勝ち越えた謝先生には、もはや恐れるものは何もなかったといってよい。
 これからの青年をとよなく愛された謝先生。文学界の新しい人材の成長を自分のこと以上に喜び、徹して励まし、宣揚していかれた。
 若い人を育てる人は、いつまでも若々しい。先生は、こう呼びかけている。
 「か弱き小さな草よ!
  誇りをもて
  あなたこそ
  全世界を美しく彩るものなのだ」
 「小さな岩よ
  もっと堅固になれ
  前から後ろから襲いかかる
  波浪に備えるのだ!」(前掲「繁星」)

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