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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表者会議 青年よ強く進め! 偉大な自分史をつくれ

2005.1.28 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  男女は同権 女子部を守り、最大の応援を
 きょうは、ご苦労さま!
 私たちは″創価家族″である。わが家にいるような気持ちで、どうか、リラックスして聞いていただきたい。ここには、男子部も、学生部の友もいる。女子部の皆さんもいる。かけがえのない青春時代を、人類の希望の哲学を広めゆくために走りぬいておられる。これほど尊いことはない。
 男女同権である。末法という乱れた時代に、妙法を流布しゆく者は「男女はきらふべからず」と日蓮大聖人は明確に仰せである。
 さらに、御書には、「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」と記されている。
 妙法を持ち、広める女性は、他の一切の男性にも勝る。全人類をリードする偉大な存在である。これが日蓮大聖人の仏法の定理なのである。
 女子部の友が、勇んで広布へ行動し、希望の花を咲かせゆく姿。
 無理解や偏見をもっ人に真実を訴え、かたくなな友にも粘り強い励ましを贈り続ける姿。
 このけなげな女子部の姿を、大聖人が最高に賞讃れ、守りに守られることは、御聖訓に照らして絶対にまちがいない。
 また、とくに壮年部のリーダーは、これまで以上に女子部を守り、最大の応援をお願いしたい。
 決してふざけがあってはならない。女性を下に見るのは冒涜である。
 女子部の皆さんが、一人ももれなく、最高に幸福な人生を勝ち取ってもらいたい――そう真剣に祈り、真心こめて行動していくのが、本当の男性であり、紳士である。
 どうか女子部の皆さんは、「自分らしく」生きぬいてください。
 どこまでも自分らしく、尊き同志をほめ讃え、悩める友を元気づけながら進むことである。
 一方で、学会利用の傲慢な輩に対しては、毅然たる態度をとるべきだ。同志の幸福を懸命に祈るとともに、悪を戒めゆく真剣な祈りを重ねながら、強く、強く生きぬくことである。
2  同志の功労を永遠に顕彰
 人生の勝負は最終章で決まる。
 最後まで広宣流布に生きぬいた人は、永遠の名誉と功徳と勝利の記念碑が輝きわたる。
 ここで、中国方面の広布に駆けた副会長のことを語り残しておきたい。諸君の模範の先輩であり、同志である。
 彼は、二〇〇一年の九月五日の早朝、東京の病院で逝去された。五十八歳であった。
 その前日に上京し、学会本部での方面長協議会に出席した。
 この年の夏、中国方面は堂々たる勝利を飾り、彼は、凱旋将軍のように晴ればれとした表情で、全国の方面長たちと語りあった。宿舎に戻った後、未明に息苦しさをおぼえ、近くの大学病院へ。
 その後、意識を失い、安らかに息を引きとった。
 その日は本部幹部会が行われる日であった。その席上、彼の功労を讃えるために、アメリカ創価大学の校友賞が贈られる運びと、なっていた。私は彼と会うのを楽しみにしていた。
 じつは彼は、四十五歳の時、心筋梗塞の発作を起こしている。その時は医師から「あと五分遅ければ、間に合わなかった」と言われた。まさしく九死に一生を得た。
 それから十三年――。
 彼は「更賜寿命」の実証を示し、大中国に勝利の旗を打ち立てた。
 そして、最後に学会本部に来て、使命の人生を飾ったのである。
 私は、広宣流布の道なき道を開いた同志の戦いを讃えたい。とくに亡くなられた友の功労を永遠に顕彰したい。
 学会の本格的な発展はこれからだ。世界平和の希望の大城を、いよいよ堅固に築いていく。
 後世の人々が仰ぎ見るであろう、その大建築の礎には、無数の友の人生をかけた激闘があったことを、決して忘れてはならない。
3  カント「高慢は阿呆」
 初代会長牧口先生が、獄中で、最後まで精読されたのが、ドイツの哲学者カントであった。
 「高慢は阿呆である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)とは、カントの鋭い洞察である。
 現代にも、高慢な人間がいる。われ尊しと思い上がり、無礼にも他人を侮辱する。カントに言わせれば、「阿呆」である。「阿呆」を相手にしても仕方がない。
 だからわれらは、まっすぐに理想に向かって突き進む。そして勝利すればいいのである。
 大聖人は「(無間地獄を免れようと思うならば、身命を惜しまず、法を求めなさい。もし、そうでなければ)五体を地に投げ、全身に汗を流しなさい。もしそうでなければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。もしそうでなければ、奴婢となって法華経の行者に仕えなさい」(御書五三七ページ、通解)と仰せである。「不惜身命の信心」を教えておられる。これが大聖人の厳命である。
 時には、「学会活動は忙しい」「勤行するのも大変だ」(笑い)――そう思う人もいるかもしれない。しかし、活動も、勤行も、全部、自分のためである。これを、よく胸に入れていただきたい。
 だれかに威張るためにやるのではない。
 「法華経の行者に仕えよ」と仰せである。広宣流布のために仕えることが、大聖人に仕えることである。ここに根本がある。その使命は大きい。功徳も大きい。
 そのとおりに進んできたのが、創価学会である。

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