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日蓮大聖人・池田大作

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SGI代表協議会 勇敢に行動を! 千里の道も一歩から

2005.1.9 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  「求道の王者」を心から賞讃
 千里の道も一歩から始まる。人生の道、幸福の道、広宣流布の道もまた同じである。
 きょうも一歩! きょうも前へ!
 何があろうと、断じて歩みをとめない。そうすれば、勝利は最後に待っているものだ。
 途中には、いろいろなことがあるだろう。苦しい時もある。しかし、負けてはいけない。退いてはならない。朗らかに、希望の歌を歌って進みゆくのだ。
 悪逆な人間が出たならば、「あの愚か者よ!」と叫びながら、正義の言論で打ち砕けばよい。
 わが道を進みゆけ!
 所願満足の自分自身を堂々と築くのだ。
 そして最後に勝とう! すべてに! すべての戦いに! ともに楽しく進みましょう!
 遠路はるばる来日されたSGIの同志の皆さま、ようこそ!(拍手)
 地球の反対側から、お見えになったブラジルの皆さまをはじめ、アメリカの皆さま、カナダの皆さま、ドイツの皆さま、さらにスペイン、香港の皆さま、本当に、ご苦労さま!
 皆さんのお元気な姿を見て、私は涙が出るほどうれしい。
 偉大なる「求道の王者」を、私は心から賞讃したい。(拍手)
 通訳の皆さま方、また、役員の方々も、ありがとうございます。
2  わが忘れ得ぬブラジルの友
 一九八四年の二月、私は念願がかなって、十八年ぶりに、ブラジルを訪問した。今も、あの日のことが、鮮やかに思い出される。愛する、心から愛するわがブラジルの同志は、広大な全土から、サンパウロのブラジル文化会館をめざして駆けつけてくださった。
 なかでも、一番遠方のメンバーは、ブラジル北部、パラー州ベレン市の友であった。
 アマゾン川の河口の町であるベレン市からサンパウロまでは三千キロ以上。じつに、五十五時間もバスに揺られ続けての道のりである。
 あの日、ブラジル文化会館に晴ればれと集われた同志と記念撮影したことは、生涯、忘れ得ぬ思い出である。
 現在、この遠方のベレン市にもパラー文化会館が誕生し、創価の人間主義の広場として、共感と信頼を広げておられる。まさしく、″一波″は″万波″となったのである。
 ブラジルといえば、「ブラジル文学アカデミー」のアタイデ総裁と、お会いしたことも懐かしい。
 九三年二月のことである。当時、九十四歳の総裁が、空港で、私の到着を二時間も前から待っていてくださった。
 (総裁の体を気づかい、SGIの友が、別室で休んでくださいと言うと、総裁は、こう語った。
 「私はもう百年近くも生きているのです。九十四年間も池田会長を待っていたのです。一時間や二時間、なんでもありません」)
 総裁は、お会いするやいなや、私の手を取り、「池田会長、いっしょに戦いましょう。力を合わせて、人類の歴史を変えましょう!」と力強く語られた。あの烈々たる眼光は忘れられない。「人権と人道の巨人」であり、黄金の偉大な人生を歩まれた方であった。
 海外には、こういう本物の闘士がおられる。
 きょうはカナダSGIの議長も参加されている。
 私は一九六〇年十月、世界広布の第一歩の旅の途上、初めてカナダを訪れた。メンバーのいないはずのトロントの空港で、待っていてくれたのが、議長であった。当時、未入会であったが、日本のお母さんからの手紙で、私たちの来訪を知り、ただ一人、空港に駆けつけてくださった。
 やがて入会し、たった一人から、懸命に折伏に歩かれ、今日のカナダの大発展を築かれたのである。お母さんも、さぞかし、お喜びのことであろう。
 思えば、SGIが発足した七五年一月二十六日、アメリカ・グアムでの平和会議には、五十一カ国・地域から同志が集ってくださった。
 三十年前のことである。航空路も今ほど整っておらず、移動ひとつとっても大変であった。
 その時代に、アフリカからも、南米からも、地涌の友は勇み集ってくださったのである。
 遠路をものともせず、「法を求めよう」、そして「法を弘めよう」――との心こそ、SGI発足以来の伝統である。
 日蓮大聖人は、遠く険しい旅路を越えて訪ねてきた女性の門下を最大に讃嘆され、「釈尊の十大弟子の一人、目連尊者が全世界を瞬時に飛び回れるような大境涯になったのは、過去世に、仏法を求めて千里の道のりを通ったからなのですよ」(御書一二二二ページ、趣意)と励ましておられる。
 今回の研修で来日された皆さん一人一人にも、さまざまなご苦労が、おありであったろう。
 旅費や日程のやり繰りも大変である。そのなかを、真剣に仏法を求めて、足を運ばれる尊き一念。まさに「信心即行動」の模範のお姿である。その功徳は絶大である。
 海外から日本へ研修に来られることが、どんなに大変か。
 その真剣なる心は、七百年前、遠い佐渡の大聖人のもとへ、海や川を渡り、深い山々を越えて、危険に満ちた道を歩き通していかれた門下の方々の信心の志にも通ずると私は思う。
 皆さま方の強く深き、尊い心を、大聖人は、どれほど讃えておられるか。
 その功徳と福運は、広大無辺であり、生々世々、子孫末代をも包みゆくことは、間違いない。
 仏法は、三世を貫く絶対の生命の法則であるからだ。
3  「日本の平和運動を学会がリード」
 さて、SGIが発足した三十年前、世界のメディアは、どのように創価の前進を見ていたか。
 七五年一月十八日、SGI発足の一週間ほど前のことである。
 世界最大の通信社の「AP通信」が、創価学会と私を紹介する記事を、全世界に打電した。
 この記事では、私が、アメリカのキッシンジャー国務長官、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理らと、相次いで会見したことなどにふれ、グアムでSGI発足の会議が行われることに言及している。
 (記事は、いちじるしい経済成長を遂げた日本のイメージを反映して、次のような書き出しで始まる。
 「かつてのトランジスタのセールスマンの国、日本が、世界で最も数少なく、最も貴重な商品の一つ――平和――を売るスーパー・セールスマンを生みだした。その人は日本に公称一千万人の会員を、また海外に四十一万四千人の会員を持つ仏教徒団体である創価学会会長、池田大作氏である」
 さらに、こうつづられている。
 「池田氏は、核廃絶および戦争反対の民衆運動を主唱しているが、より長期的には各国間の教育・文化交流に平和への望みを託している。同時に、池田氏は、外交政策の手段としての戦争を、憲法により禁止している唯一の国である日本が、平和運動に、より深く関与するよう主張している」
 「二万人もの会員による会合を、幾十となく主宰する一方、創価学会の運営や宗教・文化活動にもたずさわる池田氏は、見たところ、疲れを知らないようだ」)
 すでに三十年前、世界を代表するメディアが、創価学会の目的と歴史と行動を取材し、平和を築く民衆運動として深く注目していたのである。
 AP通信の記事は、歴史学者のトインビー博士が小説『人間革命』の英語版に寄せてくださった前書を引用して、こう結ばれていた。
 「絶望と幻滅の社会の中で、小さな組織であった創価学会は高い理念を掲げ、理念達成に強い確信を持っていた。
 これを裏づけるように、戦後三十年で、創価学会は現在の組織へと大きく発展したのである」
 SGIが発足した年は、第二次世界大戦の終結から三十年の節目にあたっていた。
 その日から、また三十年の時を刻んだ。
 この間、創価の平和と文化と教育の大連帯は、全世界に広がった。
 まさしく、トインビー博士が指摘されていたように、SGIが発展したのは、「高い理念」と、その理念の達成への「強い確信」があったからである。
 私たちSGIの同志は、世界広宣流布、そして世界平和実現への確信を、いやまして強め、深めつつ、今ふたたびの前進を威風も堂々と開始してまいりたい。(拍手)

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