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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 さあ会合革命! 皆に勇気と喜びを

2004.10.8 スピーチ(2004.9〜)(池田大作全集第97巻)

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1  リーダー率先! そこから勝利が
 伝統の全国総県長会議の開催、本当にご苦労さま!
 全国で新しいリーダーが立ち上がった。わが使命の天地で、「日本一」の誉れの歴史をつくっていただきたい。そのためにも、「会合革命」をすることだ。
 皆を喜ばせてあげる。もっと楽な気持ちにさせてあげることである。
 朝の集いならば、「皆さん、朝から、本当にすみません!」「ありがとうございます!」――ていねいに、さわやかに、心からの感謝を伝える。
 そういう小さな積み重ねが、広宣流布のすそ野を何倍にも広げていくのである。
 教科書を棒読みするような話をする幹部。つんとして、威張る幹部。それではリーダー失格である。同志愛が学会の世界であるからだ。リーダーは決して気取らないことだ。独りよがりのわがままは団結を壊す。「広布の一兵卒」の心を忘れてはならない。
 法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経六七七㌻)とある。
 役職の上下ではない。折伏に励む人。広宣流布へ行動する人。その人を讃えるべきだ。大事にすべきだ。最敬礼していくべきである。
 どうか、「勇気」「誠実」「感謝」の心が光るリーダーであっていただきたい。
 まず自分自身が学ぶことだ。成長することだ。それが広宣流布の原動力になる。
 戸田先生は、青年が、くだらない雑誌などを読んでいたら、烈火のごとく叱られた。
 良書を読むことだ。そこに知性の光がある。
 西洋の格言に、「家に書物なきは、人に魂なきがごとし」(キケロ)とあるとおりである。
2  リーダーがすべてに率先する。そこから勝利が生まれる。自分も福運がついてくる。
 勇敢に広布へ戦う人を諸天は守り、讃えるのである。
 一切は戦いである。人生も、社会も、広宣流布も。戦いは絶対に負けてはならない。
 広宣流布のために――この一点に心を定め、祈って祈って祈りぬけば、必ず道は開ける。
 自分が「一騎当千」になることである。戸田先生は私をいちばん大変なところへ行かせた。そとで私は勝ち抜いた。苦戦だからこそ、勝って楽しい。何もしなくても勝てるなら、喜びもない。大きな功徳もなければ、張り合いもない。
 男性は、勝って勝って勝ち抜いて、偉大な人間になってもらいたい。
 そして女子部は、一人も残らず、最高の幸福者になっていただきたい。
 広布の庭で青春を舞いゆく女子部の皆さんは、本当に尊い。宝の方々である。婦人部・壮年部の方々は、わが娘と思って、全力で応援していただきたい。
 ともあれ、信心は三世永遠である。最後の最後まで、民衆のなかへ、同志のなかへ、飛び込んでいくのだ。それがすばらしい歴史になって永遠に輝いていく。
 そして、新しい人材を育てていただきたい。先輩は後輩を温かく見守りながら、後輩の奮闘に対して、「本当によくやった」「見事だ」と讃えることである。ほめることである。その励ましの力で人材は伸びていく。
 きょうの総県長会議は「創価完勝の年」の総仕上げの会議であり、「青年・拡大の年」へ新出発の会議でもある。
 日蓮大聖人の仏法は「本因妙」の仏法である。つねに「今から」「これから」「きょうから」、たゆみなき「菩薩道」の行動を決然と開始していくのである。
 大聖人は「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」、「今一重強盛に御志あるべし」、そして「月月・日日につより給へ」と仰せである。
 きょう、ここにお集まりの一人一人が、「青年の心」「拡大の息吹」に燃えているかどうかである。自身の深き決意から、「青年・拡大の年」の勝利の大前進は始まるからだ。
3  同志を讃える心に功徳が
 日蓮大聖人は、「妙密上人御消息(法華経功徳抄)」で、こう仰せである。
 「金は焼けば、いよいよ色がよくなり、剣は研げば、いよいよ鋭くなる。それと同じように、法華経(御本尊)の功徳は、讃嘆すれば、ますます勝る」(御書一二四一ページ、通解)
 法華経(御本尊)の功徳は、讃えれば讃えるほどいよいよ大きくなる。増していく。私たちの身を飾っていくのである。
 また、「末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応(身に行うこと、口に述べること、心に思うことが一致していること)の信心で一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍勝れていると(仏典に)説かれている」(御書一〇四四ページ、通解)とある。
 末法の法華経の行者を讃えることは、きわめて長い間、これほどないというほどの真心をもって仏を供養するよりも、はるかに勝れた無量の功徳がある。
 敷衍して言うならば、広宣流布のために戦う地涌の同志を最大にねぎらい、ほめ讃えていく。その「心」にこそ、御本尊の功徳はいよいよ薫る。福徳は輝きを増していく。弘教・拡大にけなげに戦う友を心から讃える。最大に感謝する――そうしたリーダーの皆さまであっていただきたい。
 さらに諸御抄を拝したい。「佐渡御書」には、こう仰せである。
 「外道や悪人は如来が説いた正法を破ることはできない。仏弟子らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』と言われるとおりである」(御書九五七ページ、通解)
 正法は外から破壊されるのではない。むしろ、内部から食い破られるのである。釈尊の時代の提婆達多、そして大聖人御在世の三位房など、弟子でありながら後に師敵対し、広布の和合を破壊しようとした者がいた。
 学会においても、最高幹部でありながら退転し、同志を裏切り、学会攻撃に狂奔した人間が出たことは、皆さまがご存じのとおりである。まさに「師子身中の虫」である。こうした仏法破壊の悪とは断固として戦いぬくことだ。
 また、「新池御書」には、こう記されている。
 「(伝教大師の釈には)いやしい畜生でさえ、このように礼を知っている。どうして人間同士の間においてその礼がなくてもよいものかと大要、仰せになっている。彼ら(禅僧たち)が法に迷っていることは道理である。人の道さえも知らないのだから。これこそ天魔の振る舞いではないか」(御書一四四四ページ、通解)
 禅宗の僧への破折であるが、僧衣を着ただけで偉くなったと錯覚し、智徳の人を軽んじる傲慢さを弾呵しておられる。僧侶の権威をカサに着て人々を見くだす――現代で言えば日顕宗である。
 これらの振る舞いは、天魔の所為であるとの厳しき仰せである。

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