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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(1) 戦い続ける人が青年

2003.8.3 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

前後
1  次の五十年へ大発展の基盤を
 次の五十年を、どう勝利するか。
 次の百年を、どう大発展させていくか。
 広宣流布を担う創価学会が、永遠に栄光の大道を歩みゆくために、私は真剣に祈り、思索し、人材を育てている。
 大事なのは、リーダーが何ものにも負けない力をつけることだ。原点は師弟の魂である。
 昨日より今日、今日より明日へと、自分が変わっていくしかない。リーダー自身が大きく境涯を開くことだ。
 広布の途上には、必ず大難がある。それを勝ち越え、大切な同志を守りぬくために、盤石な強い陣営を築いていきたい。
2  学会活動は、大福運を築いていく。同志の絆は一生である。永遠である。
 創価の大先達である牧口初代会長は言われた。
 「年齢はどうあれ、一日一日、進歩する人が、青年である」
 人生は年齢では決まらない。いくら年は若くても、戦う心がなければ老人だ。一歩たりとも退いてはならない。
 どこへ行こうが、勇んで広布へ戦いぬく。いくつになろうが、心に広布の魂が燃えている。その人が青年なのである。
 牧口先生は、「日蓮大聖人が『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せになって居るように、これこそ宗教の生命というべきもの」(『牧口常三郎全集』8)と喝破された。
 仏法は勝負。王法は賞罰。そして世間は、噂に左右されるものだ。
 現実のなかで勝つか負けるか。これが宗教の生命である。断じて勝利してまいりたい。
3  人を救うのが宗教の目的
 牧口先生は「人を救い世を救うことを除いて宗教の社会的存立の意義があろうか」(『創価教育学大系』上、同全集5)と叫ばれた。堂々たる宣言である。われらも正義を叫びたい。
 「言うべきことを言わないで、後に後悔する卑怯者になってはいけない」と牧口先生は厳しかった。とくに、責任ある立場の人間が言わなければ、いちばん卑怯だ。悪の存在になってしまう。自身にとっても大損である。最後は、何も言えないような人間になり、必ず後悔の人生となる。
 勇気ある言論の闘争で勝つのだ。
 声が仏の仕事をする。声が広宣流布を進める。声が破邪顕正の宝剣となるのである。
 牧口先生は訴えた。
 「大善をするだけの度胸もない小善者は、大した頼みにはならぬ」
 「大敵が現われた場合にはもう役に立たず、そしてお互の信用はなくなってしまう」(同全集10)
 大善のためには勇気をもって行動する。その強さがなければならない。
 ギリシャの詩人アイスキュロスは謳った。「善をめざすわれらが戦いは/未来永劫にわたって勝利を収めよう」(『エウメニデス』橋本隆夫訳、『ギリシャ悲劇全集』1所収、岩波書店)
 善をめざす戦いであるゆえに、われらは勝つ。いな勝たねばならない。
 またアイスキュロスは「まこと、裏切りよりさらに/忌むべき病いはありません」(『縛られたプロメーテウス』伊藤照夫訳、同全集2所収)とつづり残した。いちばん嫌われる人間。卑劣な人間。それは裏切り者だというのである。
 「いかなる義務も恩を返すより重大なものはない」(『義務について』泉井久之助訳、岩波文庫)とは、古代ローマの哲人キケロの信念であった。仏法にも通ずる人生観といえよう。

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