Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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首都圏最高会議 友の喜びはわが喜び! 苦楽を共に勝利山ヘ

2003.7.8 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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1  リーダーは苦労こそ財産
 皆のハートをつかむことだ。立場があるから、人がつくのではない。光る人格、温かな人間味に、人はついてくる。組織も伸びる。青年も育つ。
 リーダーにとつては、苦労こそ財産である。苦難に直面して初めて、「ああ人間は、こんなにも苦しむものか」「こんなにも心配するものか」と心の底からわかる。それを乗り越えて、人の心がわかる人間になる。大きく深い人生になる。
 心を開いて、皆の心に飛び込むことだ。友の苦しみを一緒に苦しみ、友の喜びを一緒に喜ぶ。親身になって、苦楽をともにしながら、栄光の山へ進んでいく。ここに勝利の要諦があるのだ。
 友に安心を与え、「立派だ」「見事だ」と信頼される名指導者であっていただきたい。
2  われらは英知の真髄の王道を歩む
 忘れ得ぬトルストイの言葉に、こうあった。
 「英知に対する迫害、攻撃、弾圧を嘆き悲しむのは誤りである。もし英知が道に外れた生活の愚行を摘発しないならば、それはもはや英知ではないであろう」(『トルストイ ことばの日めくり』小沼文彦編訳、女子パウロ会)
 まったく同感である。創価学会は、まさしく、この英知の真髄の正道を進んでいる。だからこそ、「愚行」の悪人から攻撃される。しかし、全世界の心ある知性からは、揺るぎない信頼を勝ち得ているのである。
 さらに、トルストイの名言に、「真に重要な仕事にたずさわっている人はだれでも、その生活においてはつねに気取らない。なぜならば、余計なことに頭を使う暇はないからである」(同前)とある。たしかに、そのとおりであろう。
 仏法では「本有無作」と説く。″はたらかさず、つくろわず、もとのまま″の姿で、わが生命を最高に輝かせていくのだと教えている。
 気取りや見栄があっては、本当の力は出ない。それをかなぐり捨てて、大願に突き進みゆく人生こそ、いちばん尊く美しい。
 広宣流布の勝利のために、一心不乱に戦う「必死の一人」は、万軍に勝る。その人を諸天善神が厳然と護るのである。
3  「仏法は勝負」の実証は厳然と
 東京、神奈川、埼玉、千葉をはじめ首都圏、そして全国の同志の偉大な広布の健闘を、心から讃えたい。
 なかんずく、一切の原動力である婦人部の皆さま方の強盛なる破邪顕正の祈りと行動を、私は最大に賞讃したい。
 「仏法は勝負」の実証は、私たちの眼前に、厳然と現れている。
 有名な「祈祷抄」には、こう仰せである。
 「(梵天・帝釈などは)どうして、仏前の誓い、自身が成仏した法華経の恩を忘れて、法華経の行者を捨てられることがあろうか――などと思い続けると、頼もしいことである。
 したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつけるように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の色を浮かべるように、必ず叶うのである」(御書1347㌻、通解)
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 「法華経に勝る兵法なし」の信心である。
 恩師の「追撃の手をゆるめるな!」の叫びのままに、さらに強盛に祈りぬき、祈りきり、梵天・帝釈等を揺り動かしながら、爽快なる勝ぢ戦を続けてまいりたい。
 御聖訓には「(北条重時殿は)念仏者らにたぶらかされて日蓮を怨まれたので、わが身といい、その一門といい、皆、滅んでしまわれたのである」(御書1093㌻、通解)と厳しく仰せである。
 学会は、大聖人の仏勅どおりに広宣流布を進めゆく団体である。学会の前進を妨害し、広宣流布を破壊する人間は皆、惨めな末路をたどっている。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」の現証は、皆さまが、ご存じのとおりだ。
 大聖人は首都圏の先達の門下に「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(御書1039㌻、通解)と、したためておられる。
 この仰せのごとく、全同志が、無量無辺の大福運に包まれゆくことを、私は真剣に祈る日々である。

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