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日蓮大聖人・池田大作

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中国・広州大学「名誉教授」称号授与式、… われらは「平和の王道」を歩む

2001.11.18 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  「拡大の四国」から二十一世紀の暁鐘が
 はるばると海を越えて、中国から、そしてまた日本の四国から、本日は、ようこそ、お越しくださいました。
 私は万感こめて、「大中国、万歳!」「大四国、万歳!」と申し上げたいのであります。(拍手)
 また、四国青年部総会、おめでとう!
 遠く高知県の足摺岬や四万十川からも、香川県の小豆島からも、徳島県の日和佐海岸からも、愛媛県の南宇和からも、全四国のすみずみから、本当にご苦労さま!(拍手)
 創立の父・牧口常三郎先生が、日本の軍国主義と戦い、獄中で、安詳として殉教されたのは、「十一月十八日」の朝六時すぎの「日の出」の時でありました。(一九四四年〈昭和十九年〉)
 きょう、その時刻にはもう、寒風の中を、勇んで外に飛び出して、東京に向かっていた方々も多くおられたと思います。
 創価の「創立の志」は、青年から青年へ、元初の旭日のごとく、燃え伝わっております。
 ともあれ、二十一世紀の新しい「紅の朝」は、わが誉れの四国青年部によって、ここに晴ればれと暁鐘が打ち鳴らされたと、私は信じるのであります。
 日本中、世界中が、皆さんの雄姿を見つめています。
 「求道と拡大の四国青年部、万歳!」と、重ねて申し上げます。(拍手)
2  さて、今日の大中国の「紅の朝」は、どこから明けていったか。それこそ、牧口先生も『人生地理学』の中で注目されていた、貴・広州こうしゅう(コワンチョウ)なのであります。
 一九一一年(明治四十四年)、「中国民主革命の魁」である孫文先生は、「革命の発祥の地」として広州を選びました。
 「人民こそ皇帝」「民衆こそ帝王」という新しき時代の大建設を、栄光輝く広州の天地から始めたい――これが、孫文先生の熱望であったのであります。
 孫文先生の精神を継承する魯迅先生も、ここ広州で、火を吐くような正義の言論を放ち、青年の育成に全魂を注ぎました。
3  広州は「改革・開放の電源地」
 さらに、若き日の周恩来総理が、勇猛なる革命闘争の陣頭指揮を執ったのも、広州であったのであります。
 近年、広州が「改革・開放の電源地」となって、世界が仰ぎ見る中国の大発展を堂々と牽引してこられたことは、よく知られているとおりであります。広州を中心とする広東省の国内総生産は、この二十年間で約四十倍に拡大し、さらに輸出額は五十倍以上にも達したといわれています。
 先日(十一月十五日)再会したゴルバチョフ元ソ連大統領も、二十一世紀の焦点の一つは中国である」と注目しておられました。

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