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日蓮大聖人・池田大作

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第九回本部幹部会 「青年の成長」が「人類の希望の拡大」

2001.9.5 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

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1  仏法とは行動! 行動こそ喜び!
 青年部が伸びている。会合での話一つとっても、格段に進歩している。
 未来の創価学会を担いゆく青年の大いなる成長の軌道が、厳然とできあがってきた。(拍手)
 海外の皆さま、ようこそ!
 きょうは、フランスの友も来ておられる。有名なフランスの哲学者であるアランは言った。
 「つねに迫害は宗教を強化したのだった」(『人間論』原亨吉訳、白水社)
 迫害があるほど、宗教は強くなる。これが歴史の方程式である。
 また、アメリカの思想家ソロー。故郷をこよなく愛した彼は、「各人にとって一番よい場所はいま立っているところ」(H・S・ソルト『ヘンリー・ソローの暮らし』山口晃訳、風行社)という信条であったという。
 自分が今いるところ、そこが一番なんだ、と。
 仏法は「本有常住」「常寂光土」と説く。今、自分がいるところ。自分が悩みながら、現実と格闘しているところ。そこを勝利の場所に変えていけるのが、妙法なのである。
 また、ロシアの大文豪トルストイは、つづっている。
 「絶えず渇望がぼくを苦しめる……名声の渇望ではなくて(名声なんか欲しくもないし、軽蔑している)、人々の幸福と利益に大きな影響を及ぼしたいという渇望である」(『日記・書簡』中村融訳、『トルストイ全集』18、河出書房新社)
 まさに創価学会の精神である。
 「自分が偉くなりたい」とか「有名人になりたい」とか、そんな自己満足の願望ではない。どうしたら、ほかの人を幸福にできるかという尊い願いである。
 トルストイのような大哲人になると、その精神は仏法に非常に近い。
 さらに、フランスの文豪ロマン・ロランは叫んだ。「行動なしには、完全な、生きた、真の思想は決してありません!」(「どこから見ても美しい顔」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』36所収、みすず書房)と。
 どんな宗教も、哲学も、行動が伴わなければ、本物ではない。
 仏法とは行動である。行動こそ喜びである。
 日顕宗は、広宣流布への行動がない。にせの宗教であり、死せる宗教である。
 そして、古代ローマの哲学者セネカは言う。
 「自分自身の内から生じた喜びは確固にして不動であり、またますます力を増し、最後に至るまで本人に随行します」(『道徳書簡集』茂手木元蔵訳、東海大学出版)
 与えられたもの。お世辞を使われたもの。盗んだもの――そういうものからくる喜びは、虚栄であり、自分自身の身につかない。全部、途中で消え去ってしまう。
 御聖訓に「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せのとおり、最高の喜びは、不動の信心にわく。生命の中にわく。
 信仰に生きぬくなかに究極の喜びがある。勝利がある。
2  ソクラテス「対話のためならどこへでも」
 有名な『ソクラテスの弁明』には、こうある。
 「わたしは、あなたがたを目ざめさせるのに、各人一人一人に、どこへでもついて行って、膝をまじえて、全日、説得したり、非難したりすることを、少しもやめないものなのです」(田中美知太郎訳、『プラトン全集』1所収、岩波書店)
 皆を目覚めさせるためなら、どこへでも行く。膝を交えて、一生懸命、説得する。破折する。
 それは、私たちにとっては、折伏である。正義の対話である。
 たとえ、非難を受けても、絶対にやめない。いちばん正しい人生であり、行動であるゆえに。
 これがギリシャの哲人が示し残した、人生の究極の姿なのである。
3  今年は猛暑であった。秋に移りゆく今の季節は、気温の変化が大きく、体調を崩すことも多い。健康には十分留意していただきたい。
 病気の時や、たいへんに疲れている場合は、勤行は、方便品・自我偈でもよい。題目百遍でもよい。
 大事なのは、広宣流布に生きぬく信心の一念と行動である。
 聡明な「信心即生活」「信心即健康」の日々であっていただきたい。

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