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日蓮大聖人・池田大作

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第七回本部幹部会、第二回全国青年部幹部… 世紀に轟け、民衆の勝鬨

2001.6.27 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  一つの暴論には十倍の正論で反撃!
 有名なフランスの哲学者、ベルクソンの言葉から始めたい。
 「未来は精一杯努力する人たちのものである」(『ベルグソン全集』8、花田圭介・加藤精司訳、白水社)
 遊んでばかりいる人間、困難を避ける人間、意気地のない人間――そういう、価値創造をしない人間には、未来はない。「戦いぬいた人間」に、未来はある。この言葉どおりに、創価学会は前進している。
 ドイツの文豪、ゲーテは謳う。「雷鳴には二倍、三倍、十倍にとどろく雷鳴をもって答えましょう」(『ファウスト』相良守峯訳、岩波文庫)
 雷鳴には、それ以上の雷鳴をもって応えればよい。一つの暴論には、二倍、三倍、十倍の正論をもって反撃する。人間の信念の勝鬨を轟かせていくことだ。
 そして近代中国の父、孫文先生は、新時代の到来を高らかに宣言した。
 「(=中華民国が成立すると)人民は主人に変わり、肯定は召使い(奴僕)に変わったのであります」(「孫文」堀川哲男・近藤秀樹訳、『世界の名著』64所収、中央公論社)。有名な言葉である。
 民衆が主人である。今の日本も、「主権在民」である。
 当然、だれもが選挙権をもち、どの団体や個人が、だれを推そうと、だれに投票しようと、まったく自由である。そうした基本的人権を憲法が保障している。国民一人一人が「主権者」なのである。
2  かつて「貧乏人と病人の集まり」と侮蔑された学会は、今や日本の「平和の柱」となった。すごい時代である。
 創価学会の勝利は、民衆自身が「偉大なる最高の指導者群」として立ち上がった、誉れの歴史である。広宣流布の確かなる前進の証なのである。(拍手)
 きょうは第七回本部幹部会、第二回全国青年部幹部会、第六回常勝関西青年部総会、第一回全国学生部幹部会、さらに中部と静岡の第一回総会、本当におめでとう!(拍手)
 (会場に掲げられている肖像画の)牧口先生と戸田先生も、きょうは、ひときわ、ほほ笑んでおられるように見える。「みんな、一切に勝利して、幹部会に集ってきたな!」と。(笑い、拍手)
3  「聖教新聞」は民衆の目覚めのラッパ
 きょうは、″無冠の友″(「聖教新聞」の配達員グループ)の代表の方々も出席されている。来る朝も、また、来る朝も、太陽とともに、太陽のごとく、配達される″無冠の友″――。
 この尊き皆さまを心からたたえ、応援し、大事にしていくのが、幹部の使命である。それが信心の世界である。
 草創以来、多くの広布のリーダーが、″無冠の友″として薫陶を受けてきた。少しでも、自分が率先して配達する――それが本来の精神である。それを、人まかせにしながら、かりにも、下に見るような態度があるとすれば、それ自体、畜生根性である。
 私は、あらためて、敬愛する″無冠の友″に、「いつも、本当に、ありがとうございます。ご苦労さまです」と心の底から、たたえたい。(拍手)
 文豪ユゴーは言う。「活字文化は生きたラッパです。起床ラッパを鳴らして、諸国の民を目覚めさせます。権利の時代が到来したことを高らかに知らせます」(「言行録」稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 活字文化、すなわち、新聞や書籍の使命は大きい。活字文化は、そのまま歴史である。長く残る。「テレビは一面、幽霊のようだ。パッと消えてしまう」と言っている人もいた。
 ともあれ、″無冠の友″の皆さまこそ、広宣流布の「起床ラッパ」を鳴らし、皆を目覚めさせてくださる、尊い方々である。
 さらにユゴーは言う。――真に国のために戦う正義の人々を擁護するものはいったい何か? それは、健全な活字文化である。では、卑怯者と裏切り者が恐れるものはいったい何か? それもまた、真実の活字文化である――と。
 広宣流布のための「破邪顕正の活字文化」――「聖教新聞」を配っておられる″無冠の友″の皆さまこそ「最高の正義の人」である。(拍手)

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