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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカ・デューイ研究センター人間教育… 戦いの中に成長が、成長の中に幸福が!

2001.6.6 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  「人権の闘士」デューイ博士
 関東婦人部の皆さま、遠いところ、また雨の中を、たいへんに、ご苦労さまです。(拍手)
 男女学生部の皆さまも、本当に、ありがとうございます。(拍手)
 それは、二十世紀の初め、アメリカで「女性の参政権」を勝ち取っていく戦いの渦中のことでありました。
 ニューヨークの目抜き通りの五番街を、「女性の政治への参加」を訴え、呼びかけながら、快活に、また、にぎやかに行進する人々がおりました。その多くの女性たちに交じって、一人の背の高い壮年がプラカードを高らかに掲げて、一緒に、ひょうひょうと歩いておりました。
 そこには、こう記されていたのであります。「男性は投票できる! それなのに、なぜ、わたしは、投票できないの?」(鶴見俊輔『デューイ』講談社、参昭)と。
 壮年が少しも気づかずに、女性用のプラカードを掲げているほほ笑ましい光景に、沿道の観衆からは、どっと笑いや喝采が起こりました。
 壮年は、プラカードの内容を確かめることもなく、勢いよく、勇んで行進に参加していたのです。この飾り気のない、朗らかな「人権の闘士」こそ、われらのデューイ博士、その人だったのであります。(拍手)
 英邁なヒックマン所長が明快に洞察されているように、デューイ博士と牧口先生には、幾多の共通点があります。その一つとして、私は、お二人が、それぞれ、「女性の世紀」を開くため、けなげな母たちと心を通わせながら、行動し続けてきたという重要な一点に注目したいのであります。
 心より尊敬申し上げるヒックマン所長、ならびに、ご臨席の皆さま方。牧口先生の生誕百三十周年のこの佳き日、先師に代わって、私は、ただ今、貴デューイ研究センターの顕彰を、しかと拝受いたしました。
 第三代として、これにすぐる喜びはございません。まことに、まことに、ありがとうございました。(拍手)
2  日本の勝利は関東から
 きょうは、わが創価学会の最強の平和のスクラムである「関東婦人部」の皆さまが、ご参集くださいました。わが埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の皆さま方、ご苦労さま! ありがとう!(拍手)
 日本の勝利も、「関東」で決まります。なかんずく、埼玉は、人口においても、まもなく愛知を抜く勢いであります。大埼玉の勝利が、日本の勝利を決定する。そういう時代に入りました。
 また全国各地で、今、生き生きと、創価の勝利の大行進が繰り広げられています。なかでも、私は、「関西の尼崎の皆さま、本当にご苦労さま! 勝利を皆が祈っています!」と申し上げたいのであります。(拍手)
 また創価大学を筆頭に、百二十八大学の英知の男女学生部の皆さんも、結成記念の大会、おめでとう!(拍手)。皆さん方の中から、将来、必ずや、大政治家も、またノーベル賞学者も、ありとあらゆる分野の最高のリーダーが陸続と出てくるであろうと、私は確信しております。
 きょうの歴史的な式典に出席された婦人部と学生部の全員の尊き方々のお名前を、私は、後世に厳然と残してまいります。
 なお、私の妻と関東婦人部長から提案があり、このほど、牧口先生の生誕の日である意義深き六月六日が「関東婦人部の日」と決定されたことを、ここで、つつしんで、ご報告させていただきます。関東婦人部、おめでとう! 一人も残らず、全員が幸せになってください!
 仏典は、「六」には「具足」の義があると示しております。関東婦人部に、功徳も、福運も、智慧も、威光勢力も、健康も、長寿も、和楽も、すべてが円満に具足していくことを願っています。そしてまた、団結第一の関東婦人部のもとから、二十一世紀の牧口先生たる大人材が続々と育ち、躍り出てくることを、私たち夫婦は祈りに祈ってまいる決心であります。
3  正義と民主主義のために
 世界市民の模範であるデューイ博士は、八十年ほど前、中国と日本を訪問しました。(一九一九年〜一九二一年)
 博士は、日本の権力が、隣国に対して傲慢であり、しかも、そうした悪をウソでごまかし、隠そうとしていることに、強い怒りを示しております。
 ウソに対して、博士は、まことに鋭く、そして厳しかった。当然でありましょう。なぜならば、陰湿なウソに毒され、騙される人間が多ければ、権力の害悪は、ますます、はびこる。そして、目隠しされた大衆は操作され、正義の人間は嫉妬の讒言によっておとしいれられる。さらにまた、他国との友好を踏みにじる国家主義の狂った暴走が始まってしまうのです。
 ゆえに、悪意のウソは断じて許してはならない。それが歴史の教訓であります。
 現在の日本も、この一点を厳しく監視していかねばならないのです。なお、当時、日本から叙勲の打診を受けたデューイ博士が、その勲章制度が「非民主的」であるという理由から、きっぱりと辞退したことも、有名な史実であります。
 博士は、牧口先生と同じく、特別な自伝を残しておりませんでした。その博士の精神を永遠に継承し、世界に宣揚するために尽力してこられたのが、デューイ研究センターであり、そしてヒックマン所長なのです。(拍手)
 人間としてもっとも尊い、偉大なる魂の後継の道を貫いておられる所長に、私たちは、民衆からの尊敬と信頼という″生命の大勲位″を、真心の大拍手をもって捧げようではありませんか。(拍手)

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