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日蓮大聖人・池田大作

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第六回本部幹部会、第二回全国婦人部幹部… 胸を張れ! 民衆よ立ち上がれ!

2001.5.21 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  「最高の法」を持つ人こそ「最高に尊貴」
 きょうは、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパの国、さらにアフリカのナイジェリア、韓国をはじめ、世界十五カ国のSGIの同志が幹部会に集ってくださった。遠いところ、ありがとう! ご苦労さま!(拍手)
 また、九州の第二回総会、中国の第一回総会、沖縄の第一回総会、おめでとう!(拍手)
 さらに、世界一の婦人部の皆さま、結成五十周年、本当におめでとう!(拍手)
 二十一世紀は「女性の世紀」である。男性陣は皆、起立して、婦人部の方々に最敬礼しましょう!(男性が立ち、感謝と祝福をこめて最敬礼)
2  明二〇〇二年は、文豪ヴィクトル・ユゴーの生誕二百周年である。ユゴーは呼びかけた。
 「ああ! 民衆よ!」「思いもおよばぬ巨大な姿を見せてやりなさい。あなたが目覚めるという、あっと驚く奇跡を見せてやりなさい」「立ちあがりなさい! 立ちあがりなさい!」(「言行録」稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 偉大な力があるのは、権力者でもなければ、有名人でもない。「民衆」である。
 民衆よ、小さくなるな。民衆が動く、巨大な姿。それを敵に見せつけるのだ!――と。
 日蓮大聖人の仏法は、「民衆のための仏法」である。
 民衆よ立ち上がれ!
 これがユゴーの叫びであり、戸田先生の叫びであり、創価学会の叫びである。
 近代中国の父・孫文博士の有名な言葉がある。
 「政治の力は大きな善もできるし、大きな悪もできる」
 「国を救い人を救おうと思えば、悪い政治を除かなければだめである」(横山英・中山義弘『孫文』清水書院)
 政治は良いこともできるが、悪いこともできる。悪い政治は、たたき壊せ!――こうして孫文博士は、大中国の革命の火蓋を切ったのである。
3  今は民主主義の世の中だから、上も下もない。人間は全部、平等のはずである。
 「そうは言っても、テレビをつけると、いわゆる有名人ばかりが脚光を浴びて、なぜか偉そうにしていますね」と、ある人が言っていた。
 では、人間、だれが本当に偉いのか。
 御書に「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」――法が妙であるゆえに、その法を受持する人が貴い。人が貴いゆえに、その人がいる所も尊い――と。
 「最高の法」を持った人間が「最高に尊貴」なのである。これが本当の人間主義である。妙法を弘めている皆さまが、どれほど尊いか。
 戸田先生は、よく言われていた。「自分がどれだけ偉いか。それを、皆、忘れているのだ。たしかに、うちに帰っても、たいした食事もない。家も、宮殿みたいに大きくはない。だから貧乏人根性で卑下するけれども、とんでもない。人間それ自体が偉大なんだ。建物なんて、将来、買えばいいし、それに、いつかは壊れてしまうものだ」と。
 また戸田先生は、「四信五品抄」を引いて指導された。こういう御文である。
 「南無妙法蓮華経と唱えるわが弟子の位は、諸宗の元祖よりも勝れること、百千万億倍なり。国中の諸人よ、わが末弟等を軽んじてはならない」(御書三四二ページ、趣意)
 皆さまは、妙法を唱えるのみならず、全国へ、全世界へ弘めている。広宣流布しておられる。すごい立場である。
 ″日本中の人よ、全人類よ、わが弟子たちを軽んじてはならない″――そう大聖人が仰せである。これに背く人間には、仏罰は厳然である。
 無認識の壁にぶつかったとしても、「あんな人間がなんだ!」「こんな迫害がなんだ!」と笑いとばしながら、誇り高く、胸を張って生きぬいていただきたい。

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