Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山梨代表協議会 強い信心こそ最強の力

2001.4.4 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

前後
1  朗らかな勝利の前進
 新世紀の最初の春を、わが山梨の同志と迎えることができ、私は、うれしい。きょうは、代表と、希望輝く山梨の二十一世紀を展望して語りあいたい。
 山梨は、朗らかに、勝利の前進を続けておられる。今月、ついに、盤石なる「四百地区」「千ブロック」を達成される。おめでとう! 偉大な歴史である。「山梨、万歳!」と私は心から祝福申し上げたい。
 この雄大な甲斐の天地で、皆さまは、友のため、法のために、日夜、励ましの歩みを運んでおられる。広宣流布の万年の未来を見つめて、この甲斐の地で大法戦の総仕上げをされた日蓮大聖人も、また、甲斐ご出身の日興上人も、この山梨の広宣流布の拡大を、どれほど、お喜びになっておられることか。
 きょう、私も、この教学研修センターの地元を車で回りながら、地域のご繁栄、そして、わが同志の皆さま方のご健康、ご多幸、無事安穏を祈り、お題目を送らせていただいた。
 (東八代本部〈宝坂支部、八代支部、境川支部〉と、石和いさわ本部〈石和支部、東石和支部、一位支部〉と、西石和本部〈西石和支部、川中島支部、春日居支部〉)
 八代のあるお宅には、三色旗が翻り、庭には立派な桜が満開に咲き香っていた。私は、車中から合掌した。和歌を一首、贈らせていただいた。
  三色旗
    甲斐の山々
      日に映えて
  春爛漫の
      桜城かな
2  また、ここ教学研修センターを整備し、荘厳してくださっている「守る会」の皆さまに、感謝の一首を贈りたい。
  四季の花
    なんと嬉しき
      心かな
  研修城は
      光り勝ちたり
3  仏法は人間究極の勝利の力
 仏法は、釈尊以来、魔と仏との闘争である。一般の社会の次元の、学問とか、産業とか、政治といったものよりも、もっと深い生命の次元の世界である。
 因果の理法のうえから、永遠性に生きぬく生命の実体、生命の真髄を明かしている法則である。
 生命は永遠である。その生命を、三世の不幸の流転にさまようままにするのか。それとも、三世永遠に、仏という最高の力と、喜びと、勝利と、栄光をもてる、人間究極の真髄を築いていくのかどうか。それが仏法の次元である。
 それは闘争である。したがって、古来、仏法者の人生は、「魔」という厳しい「迫害」「障害」との闘争をともなうのである。
 仏法では、今の時代を末法という。末法は「闘諍言訟」「白法隠没」と説かれる。
 闘諍言訟、すなわち、争い、論争が絶えない。悪人がふえてくる。そして白法隠没――正法正義を白法といい、それが隠れてしまうことを隠没という。そういう時代だからこそ、平和のために戦わねばならない。戦う人が光る。
 魔との戦い――それは、自己自身を鍛え、訓練してくれる。仏に成りゆく「関門」と言ってよい。
 正しい信仰を持つ人には、さまざまな現実のうえに、「三障四魔」とか、「三類の強敵」という、嫉妬の攻撃や、権威の支配、無知ゆえの中傷があるが、驚いてはならない。
 「難来るを以て安楽と意得可きなり」。″難が来たら喜べ″と、大聖哲は叫んでおられる。
 このことを、とくに青年は忘れないでもらいたい。これから、長い長い二十一世紀の大舞台で活躍しゆく皆さんに、仏法の真髄と法則を知っていただきたい。
 「難即悟達」――人生における仏法の難、信仰上の難は、すなわち全部が「仏に成るため」である。仏に成るということは、「永遠の幸福」「永遠の勝利」を意味する。永遠の仏と等しき人格と、人間としての究極の力を持てる自分自身になることである。
 だからこそ、信仰している人はもちろん、信仰していない人も含めて、青年のために、仏法の本義を語っていきたい。

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