Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

方面代表協議会 勝利で飾れわが人生の劇

2001.3.28 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

前後
1  最後まで「戦う心」を手放すな
 全国の方面代表の皆さま、いつも本当にご苦労さまです。
 人生、総仕上げが大事である。
 飛行機は着陸する時、だんだん高度を下げていく。しかし人生の最終章は、ずっと同じ「心の高度」でいくべきだ。「心の速度」を落とさずに進むべきだ。亡くなる五分前まで。
 それでこそ、次代を担う青年が育つ。後輩に厳然とバトンタッチしていける。ここが大事である。指導者は、最後の最後まで、断じて「戦う心」を手放してはならない。
 戦いは理屈では勝てない。計算では勝てない。勢いで決まる。執念で決まる。人材で決まる。一心不乱の行動で決まる。
 新しい人材を、どんどん伸ばすことだ。思うぞんぶん、活躍してもらうことだ。決して先輩が抑えてはいけない。
 いよいよ女性の時代である。女子部が焦点である。婦人部もまた、いちだんと力を発揮すべき時代に入った。
 そして、青年部を本格的に鍛えたい。青年が気どりやになったり、貴族のようになったり、格好主義になれば、おしまいである。もはや成長はない。
 「現実の勝利の証を自分でつくれ」「苦労を誇りとせよ」「わが青春の金字塔を堂々と打ち立てよ!」と申し上げたい。
2  広布の巌窟王の誓い
 久方ぶりに、東京・巣鴨の東京戸田記念講堂を訪問させていただいた。(三月二十七日)
 万朶ばんだの桜に包まれて、戸田先生が逝去されたのは、四十三年前の四月二日。以来、私は、一日たりとも、先生のことを思わない日はない。
 戸田先生は昭和二十五年(一九五〇年)、牧口先生の七回忌の法要で、こう述懐されている。
 「(=警視庁から)巣鴨(=の東京拘置所)に移されるとき、(=牧口)先生と対面がゆるされました。
 わたくしは『先生、おからだをたいせつに』と申しました。
 わかれて車に乗るとき、先生は『戸田君は、戸田君は』と申されたそうです。
 わたくしは若い、先生はご老体である。先生が一日も早く(=牢獄から)出られますように。わたくしは(=獄中生活が)いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように、と唱えた題目も、わたくしの力のたりなさか、翌年(=昭和十九年)、先生は獄死されました。
 『牧口は死んだよ』と知らされたときの、わたくしの無念さ。一晩中、わたくしは獄舎に泣きあかしました」(『戸田城聖全集』第二巻)
 牧口先生は、七十三歳で亡くなられた。
 戸田先生お一人が「牢獄にまでお供できた」と感謝し、ただただ師匠の無事を祈られた。そのうえ、師匠である牧口先生の死を「自分の祈りがたりなかったのであろうか」と、みずからを責めておられた。
 他の弟子はといえば、学会が難にあうと、手のひらを返したように、牧口先生を恨み、ののしったのである。
3  牧口先生の葬儀は、学会から、わずか数人の同志が参列しただけであった。
 法要で、そのことにふれ、戸田先生は言われた。
 「しかも、巣鴨から、小林君(=牧口家の親族の関係者)が先生の死体を背負って帰ったとか。
 そのときの情けなさ、くやしさ。世が世でありとも、恩師の死を知って来ぬのか、知らないで来ないのか。
 『よし!! この身で、かならず、かならず、法要をしてみせるぞ!』と誓ったときからのわたくしは、心の底から生きがいを感じました」(同前)
 これが「広宣流布の巌窟王」の誓いであった。
 ここに、創価学会の師弟の真実がある。正義の勝利の魂がある。

1
1