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日蓮大聖人・池田大作

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東京総区長会 わが子を広布の後継者に

2001.1.30 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  大胆に決意し、断固実行するのが勇者
 健闘光る東京の総区長会、ご苦労さまです。
 最高の指導者の集まりに敬意を表するとともに、最大の感謝の心をささげ、記念のスピーチを贈らせていただきたい。
 戸田先生は、かつて、おっしゃった。
 「なすべき時に、なすべきことを、率先して、着々と、勇敢に、実践するのが、広布の途でなければならない。臆病者は去れ、と私は言いたい!」と。
 きょう一月三十日は「ガンジーの殉難の日」である。
 一生涯、理想のインドを見つめて戦ったガンジーは言う。
 「臆病と逃口上の余地はない」(エルベール編『ガーンディー聖書』蒲穆訳、岩波文庫)、「私はいったん決意した以上、それをやすやすと放棄するような人間ではない」(E・H・エリクソン『ガンディーの真理』1、星野美賀子訳、みすず書房)
 「大胆に自己の意思を決定発表し、良心の命ずるところに従い、断乎として実行出来ない人は勇者とはいえない」(蒲穆訳、前掲書)
 皆さまも、歴史に輝く「行動第一の勇者」であっていただきたい。
2  広宣流布の大願に生きよ
 御聖訓にいわく。「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり
 正法時代の千年を代表する竜樹菩薩等も、像法時代の千年を代表する天台大師等も、南無妙法蓮華経の題目を唱えていた。しかし、それは、自分が法の利益を受けるために修行したもので、″自行にとどまる題目″であった。広く他の人々のために題目を説くことはなかった。″化他に及ぶ題目″ではなかった。
 これに対して、自行化他にわたって題目を唱え、末法万年尽未来際まで、人類を「平和」と「幸福」ヘリードしていくのが、日蓮大聖人の仏法の真髄である。すなわち、「人々を幸せにしていこう」とする題目であり、「現実の社会に広宣流布していこう」とする信心である。
 広布へ勇猛精進する人の題目は、たとえ一遍であっても、何の目的もなく、何の行動もない千遍、万遍の題目よりも、はるかに功徳があり、はるかに力がある。大事なのは「広宣流布の信心」である。
 大聖人は、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」、そして「大願とは法華弘通なり」と仰せである。
 この仰せのとおりに、幾多の難を乗り越えて、「広宣流布の大願」に戦い続けているのは、この地球上に、仏意仏勅の創価学会しか絶対にない。
3  それは半世紀前の昭和二十七年(一九五二年)、一月二十九日のことである。たいへんに寒い夜であった。私は、蒲田支部の緊急の会合(組長会)に出席した。会場は町内の集会所。当時、私は二十四歳の支部幹事であった。
 その会合で、私は、百三十人ほどの尊き同志に申し上げた。
 「二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月です。また、二月十一日は、戸田先生の誕生の日です。私たちが、この信心に巡りあえたのは、いうまでもなく、大聖人が御出現されたからです。そして、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげです。
 戸田先生の指導で私たちは功徳を受け、幸せになりました。そのご恩に、私たちは、どう報いていくのか。それは、折伏です。広宣流布の拡大をしていくことです。さあ、見事な勝利の結果をもって戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」と。
 皆の心が、一つに燃え上がった。会合終了後、その場から、勢いよく、仏法対話に飛び出していく友もいた。ここから、のちに学会の伝統になる「二月闘争」の人ぶたが切られたのである。
 私は、青年らしく、戸田先生の弟子らしく、ぞんぶんに戦った。青年部をはじめ、婦人部も、壮年部も、皆が一体となって、動きに動いた。拠点の白木宅には、皆が毎日、生き生きと集い合った。
 電話も普及していない時代である。支部婦人部長の白木静子さんは、東京だけでなく、蒲田支部の地方拠点があった雪深い秋田をはじめ、名古屋、浜松、大宮、船橋、山梨にも足を運んだ。
 皆、行った先で水や塩をまかれようと、それさえも、「御書のとおりだ」と明るく笑い話にしながら、喜び勇んで戦っていった。
 何があろうと紛動されずに、楽しく、愉快に乗り越え、断固として勝ち進んでいく。これが、信心の世界である。この歓喜の大前進で、それまでの限界だった月百世帯前後という壁を破り、どの支部も成しえなかった「月二百一世帯の折伏」を堂々と達成した。
 戸田先生が生涯の願業として、会長就任式で宣言された、七十五万世帯の成就への本格的な驀進が始まったのも、この「二月闘争」からである。
 この戦いに始まり、私は、男子部の第一部隊でも、文京でも、夏季地方折伏の札幌でも、そして関西でも、山口でも、さらに東京の荒川でも、葛飾でも、つねに「日本一の戦い」を成し遂げた。
 広宣流布の戦いこそが、信心であるからだ。戦いを忘れたら、もはや信心ではない。

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