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日蓮大聖人・池田大作

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第一回本部幹部会、第一回全国婦人部幹部… 小さな集いから大いなる平和の文化が絢爛と

2001.1.7 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  二十一世紀の開幕に千客万来
 新年、明けまして、おめでとうございます!
 また二十一世紀の夜明けを告げる第一回本部幹部会、第一回全国婦人部幹部会、第一回東北総会、おめでとう!(拍手)
 東北も、新しい時代が始まった。すばらしい時代になった。
 一切は、人によって決まる。仏法も、人によって弘まっていく。人類の歴史も、人によってつくられる。全部、人である。それが根本なのである。
 わが創価学会の二十一世紀の開幕は、まさに「千客万来」の日々であった。わが創価の陣営は、いよいよ、にぎやかである。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、早くも、十数人の世界の指導者から″ぜひ、会いたい″″すぐにでも語りあいたい″という連絡が入ってきている。
 ここ八王子の舞台も、また二〇〇一年も、ますます多くの世界の識者や指導者が、続々と訪れることであろう。
2  ところで、十九世紀には、有名なドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマン(一八二二年〜九〇年)も、ここ八王子を訪れている。
 シュリーマンと言えば、トルコの「トロイの遺跡」の発見をはじめ、さまざまな新発見で知られている。ご存じの方も多いであろう。
 彼は、「少年時代の夢を絶対に実現しよう!」という決心の人であった。「絶対に、俺が成し遂げてみせる!」と。
 彼は「夢を掘り当てた人」として、世界的に有名である。彼の数々の偉業は、歴史を大きく塗り替えたと言われている。
 シュリーマンが「トロイ戦争」の物語にあこがれ、遺跡の発掘を誓ったのは八歳のときとされる。その後、母の病死や貧困に苦しみ、高校にも行けず、若くして働きながら、独学で英語、フランス語、オランダ語、スペイン語など十数力国語をマスター。四十歳を過ぎてから発掘作業を始め、「トロイ文明」や「ミケーネ文明」が実在したことを証明した。
 シュリーマンが八王子を訪問したのは、一八六五年(慶応元年)六月十九日。江戸時代から明治時代への転換期であった。
 彼は、八王子訪問を「とくに興味深かった」と振り返っている。そして、当時の八王子の印象を、こう記している。
 「田園はいたるところさわやかな風景が広がっていた。高い丘の頂からの眺めはよりいっそう素晴らしいものだった」(『シュリーマン旅行記 清国・日本』石井和子訳、講談社学術文庫)と。
 彼が「トロイの遺跡」の発掘を始めたのは、八王子訪問の六年後の一八七一年(明治四年)のことであった。ちょうど、この年、牧口先生が誕生されている。
3  心に「揺るがぬ哲学」を持て
 彼の生涯の「夢」の達成を、世界は賞讃した。しかし、国内の学者からは、嫉妬による中傷、批判が嵐のように巻き起こった。多くの学者から「しろうと学者」「一介の門外漢」といった批判が絶えなかった。
 これが「人間の世界」である。最高の発見をしながら、批判をあびたのである。これが「世の常」である。
 圧迫は、彼の夫人にも及んだ。あまりの心労に、気丈な夫人も、とうとう倒れてしまった。
 しかし、その夫人を、彼は、厳として励ました。
 閉鎖的な″狭い世界″に閉じこもった学者に、何が分かるものか! 敵もいない所で、威張っているだけじゃないか! そんな連中の批判など眼中に置くものか! 世界は賛嘆しているではないか! そう夫人の心を鼓舞したのであった。

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