Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香港・マカオ最高協議会 仏法は文化と平和の大地

2000.12.4 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  香港から希望の大光
 懐かしき香港の同志の皆さま、ご多忙のところ、ご苦労さまです。
 二十世紀最後の年に、ふたたび、お目にかかれて、こんなうれしいことはない。皆さまの喜びに燃えたお顔を拝見すると、私たちも元気になる。二十回目の、香港での″生命錬磨の研修″に参加させていただき、有意義な、東洋広布の歴史を飾ることができた。私は、香港の同志の皆さまに感謝し、合掌する思いで、「二十回 香港広布に 万歳を」と一句を贈りたい。
 有名な皆さま方の先輩である魯迅先生は言う。
 「人はもとより生きねばならぬが、それは進化するためである。苦労するのもかまわぬが、それは将来の一切の苦を取り除くためである。そしてさらに闘わねばならないが、それは改革するためである」(「花辺文学」丸山昇訳、『魯迅全集』7所収、学習研究社)
 つねに希望の未来を見つめて――このとおり実践しているのが、私たちであると確信する。
 香港・マカオの皆さま方とともどもに、世界に先駆けて、二十一世紀の勝利へ出発することができた。香港そしてマカオは、今、天馬のごとく、新世紀の大空へと飛翔を始めた。無限の活力がみなぎり、大いなる希望が光っている。
2  一九六一年の一月二十八日。大聖人の未来記である「仏法西還」への歩みは、この香港から始まった。そして、日中友好の「金の橋」を懸ける、七四年五月から六月の、初の中国訪問も、ここ香港から出発し、ここ香港に帰ってきた。
 また、世界七十三大学と学術教育交流を広げる創価大学の「第一号の交流校」となったのは、香港中文大学である。さらに、海外初の創価幼稚園の開園(九二年)も香港であった。
 香港創価幼稚園は、二十一世紀を開く「人間主義の幼児教育の城」である。
 この香港を模範として、シンガポールにも、マレーシアにも、創価幼稚園が誕生している。
 今回、私も、その両方を訪問することができた。きょうは、うれしいことに、香港創価幼稚園の一期生、二期生、三期生の代表と再会が実現した。
 七年前の五月、あどけない園児の皆さんとお会いしたとき、私は書き贈った。「香港幼稚園は私の生命なり」「君たちよ、正しい人に! 美心の人に!」と。
 皆、そのとおりに、立派に成長してくれて、これほどの喜びはない。園長をはじめご関係の皆さま方の気高い人間教育のご尽力に、私は心から敬意と感謝を表したい。
 まさに、香港・マカオSGIは、アジアの平和と文化と教育の「原点の港」であり、「希望の光源」であり、「万年への源流」としての使命を担ってこられた。二十一世紀もまた、その尊き大使命に生きぬいていっていただきたい。
3  「励まし」で人は奮い立つ
 香港草創の忘れ得ぬ功労者の一人に、周徳光さんがおられる。香港だけでなく、東南アジアのすべてのメンバーのために献身された偉大な先駆者である。
 周さんは、シンガポール、マレーシアなどに点在する同志の激励のために、数日に一回の割合で、手紙を書き送っている。その手紙は、何か問題が生じれば、二日に一回となり、時には連日となることもあった。
 貿易会社の社長としての仕事も多忙ななかで、さらに香港広布の中心者としての活動を成し遂げたうえで、アジアの友に激励の手紙を書き続けることは、どれほどの労作業であったことか。
 しかも、その分量は、原稿用紙(四百字詰め)で、五枚分、十枚分に相当することもめずらしくなかった。今のように、電話も、インターネットも発達していない時代である。まさに、生命を削っての励ましの連続であった。ある地域の中心者に送った手紙には、こうある。「メンバーと、心から話しあえる機会を多くつくることです。それができるのは、家庭訪問以外にありません。この家庭指導によって、同志と心やすく話しあえ、密接なつながりもでき、相互の信頼も増すものです。これは、言うは易いが、実行は大変なことです」と。
 周さん自身、家庭指導に徹してこられた。それが、今日の香港SGIの堅固な礎となっている。一人一人の同志を心から大切にし、家庭指導や個人指導など、地道な対話と激励を重ねることこそが、つねに新しき飛躍の要諦であるといってよい。

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