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シンガポール・オーストラリア合同最高会… 「一人立つ勇気」が「師子王の心」

2000.11.26 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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1  「希望の二十一世紀」が開幕
 伸びゆくものは美しい。
 今回、五年ぶりに訪問した、この「南洋の宝石」シンガポールは、随所で新しい建設が進み、いちだんと美しさを増している。そして、何よりも美しいのが、わが同志の心である。社会のため、人々の幸福のために献身しようと、生き生きと活躍しておられる姿こそ、何よりも尊い。
 わがシンガポール創価学会は、今や社会になくてはならない「希望の柱」「信頼の柱」となった。
 本当にすばらしい発展を遂げられた。私は、本当にうれしい。
 これも、すべて皆さまの偉大な努力の結晶である。その功徳は永遠であり、無量無辺であることを確信していただきたい。
 かつて牧口常三郎初代会長も、『人生地理学』の中で、シンガポールを世界の経済の中心地として、いち早く注目し、光を当てておられた。
 二十一世紀は、このシンガポールが、アジアをはじめ全世界の要となって、広宣流布をリードしていく大舞台である。いよいよ、わがシンガポールから、「希望の二十一世紀」が開幕したと、私は宣言したい。
2  師から弟子へ魂の継承
 シンガポールとは「獅子の都」を意味することは、よく知られている。
 新しき出発にあたって、「獅子」の意義について、仏法の上から確認させていただきたい。
 このたび、中国語版の『御書全集』が完成した。創立七十周年を荘厳する歴史的な偉業である。
 SGIは、どこまでも「御書根本」に、日蓮大聖人の仰せのままに進む。
 仏法では、仏を「獅子(師子)」と呼び、仏の説法を「師子吼」という。
 大聖人は、「獅子(師子)」には「師弟」の意義があると説かれている。仏という師匠と共に生きぬくならば、弟子(衆生)もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれることを教えたのが、法華経なのである。
 (「御義口伝」に「師子吼とは仏の説なり(中略)師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」と。また法華経に「我が如く等しくして異なること無からしめん」〈法華経一三〇ページ〉と)
3  「師弟」といえば、一昨日、私が皆さま方を代表して「名誉文学博士号」の栄誉にあずかった、オーストラリア最古の名門シドニー大学の卒業式は、まことにすばらしかった。
 クレーマー総長が、卒業生に証書を授与されるたびに、慈母のごとく、一人一人に優しく声をかけられ、しばし対話されるのである。ともに未来を見つめての、そのうるわしい師弟の姿は、一幅の名画であった。ともあれ、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権である。芸術の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、みずからを高めゆかんとするところには、師弟がある。
 「人生の師」をもつことは、生き方の規範をもつことである。そのなかでも、師弟がともに、人類の幸福と平和の大理想に生きぬく姿ほど、すばらしい世界はない。また、大偉業は一代で成し遂げることはできない。師匠から弟子へ、そして、そのまた弟子へと続く精神の継承があってこそ、成就される。

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