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日蓮大聖人・池田大作

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アルゼンチン国立ノルデステ大学「名誉博… 二十一世紀へ「新しい劇」を

2000.2.27 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  生死不二だから、今、仏道修行を
 晴れわたる兵庫での本部幹部会、本当におめでとう!(拍手)
 まさに、「ウインター・イズ・オーバー、スプリング・ハズ・カム、ザ・サンシャイン・イズ・ブライト」――冬は去りて、春は来り、陽光は燦々と輝けり! であります。(拍手)
 皆さまとも数年ぶりにお会いでき、本当にうれしい。その分、年をとられたようだが(笑い)、しかし、信心する人は「年は・わかうなり」と仰せの通り、常に若々しい生命力で生き抜いていけるのであります。
2  最初に日蓮大聖人の御言葉を拝したい。
 「紅蓮地獄や大紅蓮地獄といった悪所に行けば、王の位や将軍の位も、何にもならない。獄卒の責めにあう姿は、猿回しの猿と変わらない。この時は、どうして名聞名利や我慢偏執の心でいられようか」(1439㌻、通解)
 生命が地獄の苦しみにある時に、社会的肩書など、何の役にも立たない。だれも、威張ってなどいられない。生死不二であるゆえに、それは生きている時も、死んだ後も、同じである。
 「きょう、お金がない」――そういう、さまざまな悩みも、死後の地獄の苦しみから見れば、小さな小さなものである。
 また、こうも仰せであります。
 「我らは間違いなく仏になると思えば、何の嘆きがあるでしょうか。たとえ妃になっても、何になりましょう。天上界に生まれても、しかたありません」(御書976㌻、通解)
 どれも、仏法の目から見れば、大したことではない。永遠の生命であり、死後がある。
 ゆえに、生まれてから、ほんのわずかの間、いい家に住んだから等といって、どうということもない。
 そして、今度、生まれる時は、亡くなった時の生命の状態で生まれてくるのであります。
 ゆえに仏道修行が必要なのである。
3  正しい社会観、生命観を身につけ
 大聖人は、こうも仰せであります。
 「ある時は人間として生まれて、諸の国王、大臣、貴族や、宮廷での昇殿を許される高い身分などになって、『これほどの楽しみはない』と思い、わずかなものを得て『満足した』と思い、喜びあっている。このことを仏は『夢の中の栄え、幻の楽しみである。ただ法華経を持ちたてまつり、すみやかに仏になりなさい』と説いておられる」(御書386㌻、通解)
 仏法から見れば、ある時は″動物″に生まれ、ある時は″木″に生まれるかもしれない。せっかく人間に生まれたのに、世間的な楽しみに溺れるのは愚かである。その楽しみは幻にすぎない。
 たとえば、恋愛も、そうかもしれないし、「結婚は墓場だ」と言う人もいる(爆笑)。
 ともあれ、広宣流布のために働いている人は、そのための苦しみも、世間の楽しみの、何千倍もの楽しみに変わっていく。永遠性の喜びにつながっていく。
 ただ法華経を持つ――妙法を信じ唱えることである。その人は、正しい社会観、生命観、宇宙観をもった、尊極の生命の当体になる。本当の幸福、本当の仏の境涯を、つかんでいけるのであります。

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