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ブラジル「文化市民功労大十字勲章」叙勲… さあ創立七十周年へ、これからが本番

1999.11.20 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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1  十一月二十日――二つの殉難の日
 最高に晴れやかな「中部総会」、おめでとう!
 北海道の皆さん、大勝利の「北海道栄光総会」、おめでとう!
 きょうは、広宣流布のご僧侶(日蓮正宗改革同盟・憂宗護法同盟・青年僧侶改革同盟)の皆さまが来てくださっている。海外からも、代表して十六カ国・地域の方々が参加されている。遠くから、本当に、よく来られました。(拍手)
 また牧口家、戸田家の皆さま方も、ご臨席くださいました。心から御礼申し上げます。
 さらに、あすは、大阪城ホールに、一万二千の全地区の代表が集って、常勝の新世紀を開く「関西の大総会」が行われる。関西の皆さん、おめでとう!
 最も期待する関西である。私も一緒に出席させていただくと思って、大成功を祈ります。(拍手)
 今、私は、きょう「十一月二十日」という日に秘められた、二人の大英雄の尊き「殉難の歴史」を思い起こしております。
 一つは、一八二三年の十一月二十日のことであります。貴協会が模範として仰いでおられる、偉大なる「ブラジル独立の元勲」が、独裁権力によって、国外に追放された日であります。その人の名前は、ジョゼ・ボニファシオ先生。
 真実を叫び、正義を貫く人が、非道に弾圧される。これが、古今東西の人間社会の変わらざる実相であります。しかし、死をも覚悟した貴国の「独立の父」は、毀誉褒貶の風などに、いささかも揺るがず、わが道を悠然と歩み通していかれました。
 もう一つは、その百二十年後、一九四三年(昭和十八年)の日本での史実であります。
 私たちの永遠の師匠である牧口初代会長が、獄中にあって、軍国主義の官憲から不当に起訴された日――それが、十一月二十日だったのであります。
 起訴状では、民衆の幸福を願って奔走された座談会の実践などが、罪状として挙げられておりました。(起訴状には、「昭和十六年五月十五日頃より昭和十八年六月三十日頃までの間、二百四十余回にわたり(中略)座談会を開催し」〈『牧口常三郎全集』第十巻、第三文明社。参照〉等とある)
 時の宗教界も、言論界も、だれもが戦争に加担していくなかで、牧口先生の信念は富士のごとく不動でありました。
2  この栄誉は「創価の師弟」の勝利
 起訴から一年後、獄死された牧口先生の葬儀が行われたのも、不思議にも十一月の二十日であります。それは、わずかな参列者しかいない、あまりにも寂しい葬儀でした。
 当時、獄中にいた戸田先生は、罪が自分一人に集まり、一日も早く、高齢の牧口先生が釈放されるように、祈って、祈り抜いておられた。これこそ、本当の「師弟」であり、「学会精神」であります。この魂をなくしてしまえば、もはや創価学会ではない。
 後に、牧口先生の葬儀の模様を偲ぶ時、戸田先生は激高して、熱い涙を流されるのが常でありました。そして、雷鳴が轟くように憤怒され、こう叱咤されました。
 「(牧口)先生の法難におどろいて先生を悪口した坊主どもよ、法を捨て、先生を捨てたるいくじなしどもよ」と――。
 希有の大哲人でありながら、国賊の汚名を着せられ、闇から闇へ葬り去られようとした牧口先生を、いつの日か、必ずや全世界に宣揚してみせる――。
 これが、第二代の戸田先生、そして第三代の私の命の奥底から燃え上がる「魂の炎」であります。牧口先生と戸田先生は「本物の師弟」であった。戸田先生と私も「本物の師弟」であった。
 師匠が獅子ならば、弟子もまた獅子であらねばならない。
 今、私に続く、本物の弟子はどこにいるのか――。師匠の難を傍観視して、自分はうまく難を避けていく。そんな卑怯な人間は、学会にはいらないのであります。
3  きょうは、殉教の牧口先生の葬儀から、満五十五年の日なのであります。
 この意義深き日に、地球の反対側の「春たけなわのブラジル」から、最高の賓客をお迎えして、このように厳粛にして荘厳な式典を挙行していただきました。
 ただ今、賜りました栄誉を、私たち夫婦は、苦楽をともにする世界百二十八カ国・地域の同志と一緒に、謹んで拝受させていただきたい。
 (会合の席上、「ブラジル紋章・メダル・文化協会」から池田SGI〈創価学会インターナショナル〉会長夫妻に対して顕彰が行われた。クチアロ会長夫妻が出席。SGI会長夫妻に勲章ならびに″貴人の称号″等が授与された)
 そして、牧口先生に、また戸田先生に、師弟は不二なる弟子として、万感の思いを込め、この勲章を捧げさせていただきたいのであります。(拍手)

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