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日蓮大聖人・池田大作

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第37回本部幹部会、中国・湖南師範大学… 正義を讃える社会へ 一騎当千の人材に

1999.9.10 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  史実を直視せよ
 世界五十五カ国・地域のSGIの皆さま、遠方から、ようこそ、お越しくださいました。(拍手)
 大変ななかを、お金を工面し、時間をやりくりし、はるばると来られた、その真心! 日本人は、海外の友の信心を見習っていただきたい。
 きょう九月十日は、六十年前(一九三九年)、日本軍が貴・湖南師範大学のある長沙の地に、悪逆な侵攻を開始した日であります。大学の創立の翌年でありました。
 この時、十万あまりの日本軍が、三方面から長沙を侵略した。さらに、何隻もの軍艦が長江(揚子江)から侵入。多くの戦闘機が空を覆い、攻撃を繰り返しました。
 激しい戦争が、約二十日間。日本軍は、殺戮、暴行、略奪、破壊――ありとあらゆる残虐を尽くし、街々を焼き払って、長沙を占領していったのであります。
 私は、日本人として、心の底から、お詫び申し上げます。けさも、すべての犠牲者の方々に、仏法者として、ねんごろに追善のご祈念をさせていただきました。
 貴国との永遠なる平和友好のために、さらに一生涯、断固として戦い抜くことを、ここに固くお誓い申し上げます。
 私の信念は、貴国に対して、生涯をかけて罪滅ぼしをしていくことであります。また、それが、すべての日本人の姿勢であるべきだと私は思っております。
 私は何も恐れない。人間が恐れるべきは、ただ「正義」の裁きだけです。
 日本の青年も、断じて、この心を受け継いでもらいたい。
 傲慢に民衆を見くだし、歴史の真実まで曲げて、いばりくさっている――そんな悪人を許しておくような青年であっては、なさけない。そういう風潮を諸君が変えていくべきである。創価の青年が変えていくべきである。(拍手)
2  偉大な指導者は「後世」を考える
 私が周恩来総理にお会いしたのは、忘れ得ぬ二十五年前(一九七四年)の十二月五日です。大変に寒い北京の夜でありました。総理は七十六歳。私は四十六歳。
 「丞相病篤かりき」――。「二十世紀の諸葛孔明」と言われた周総理は、病んでおられた。
 私は、総理のご健康を案じて、会見のお話を、ご辞退申し上げました。しかし、会見は、総理ご自身の強い意思であられた。
 奥さまの鄧穎超とうえいちょう先生が証言されているように、周総理は「池田会長には、どんなことがあっても会わねばならない」と言われて、入院先の病室に、私を迎えてくださったのであります。
 会見の十八日後――十二月二十三日のことです。周総理は、病身を押して、飛行機で北京から飛び立たれた。
 総理が、この″最後の旅″で向かわれたのは、いずこであったか? その地こそ、貴大学のそびえる長沙市でありました。あの悪辣な「四人組」の謀略を断じて阻止するために、周総理は、当時、長沙に滞在中の毛沢東主席と直接、話し合って先手を打とうとされたのであります。
 総理の医師団は、当然、この長旅(約千三百キロ)に猛反対しました。
 だが総理は、きっぱりと言い切られた。
 「私は行きます。ひとたび歴史の舞台に立ったからには、歴史の任務を完成しなければならない!」と。
 周総理は、厳然と敵を封じ込める重大な楔を打ち込まれ、また北京に戻ってこられた。そして、翌一月、全国人民代表大会で″最後の大演説″を行い、目を見張るような「四つの近代化」の根本路線を打ち出された。今日の大発展のレールを堂々と敷かれたのであります。
 (「四つの近代化(現代化)」とは「今世紀中に、農業、工業、国防、科学技術の近代化を達成し、中国経済を世界の前列に立たせる」というもの。中国の基本政策となった)
 まことに、偉大な指導者は「後世」のことを考えるものであります。
 愚かな人間は、口はうまくても、結局、「自分」のことしか考えない。「目先」のことしか考えない。そういう指導者が今、多すぎるのではないだろうか。(拍手)
3  魂魄をとどめよ! わが使命の道に
 きょうは、周総理が命を削って「不滅の魂魄」をとどめられた「長沙の都」から、偉大な教育者の先生方をお迎えし、荘厳なる儀式となりました。心から感謝申し上げます。
 心より尊敬申し上げる副学長はじめ諸先生方、まことにありがとうございました。(拍手)
 周総理は、未来を託すかのように私に語られました。
 「二十世紀の最後の二十五年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が、平等な立場で助け合わなければなりません」と。
 この信念を深く強く共有しつつ、私たちSGIは、周総理との会見の翌月、すなわち一九七五年一月二十六日に発足したのであります。
 以来、四半世紀――。きょうは、世界五十五カ国・地域から、私の後継である二十一世紀の「若き平和の指導者」が集まってくださった。本当に、よくいらっしゃいました。(拍手)

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