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日蓮大聖人・池田大作

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九州最高協議会 地域蘇生のドラマに九州の誉れ

1999.5.14 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  全九州の「広布の英雄」に万歳
 わが愛する福岡の地を、四年半ぶりに、秋谷会長とともに訪問することができ、私は感無量である。
 今日は、日程や会場の都合で、代表の会合となったが、私は全九州の全同志とお会いして、お一人お一人をねぎらいたい気持ちでいっぱいである。
 福岡をはじめ、九州の皆さま方は、よくぞ戦った。よくぞ勝って勝って勝ち抜かれた。
 人生、戦いがあってこそ「張り」がある。「進歩」もある。「喜び」と「充実」がある。勝てば楽しい。永遠の歴史も残る。永遠の福徳も積むことができる。
 戦いがなくなれば、堕落してしまう。堕落は不幸である。
 御書には、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と仰せである。
 弘める人がいなければ、法の偉大さは伝わらない。
 ゆえに、この悪世末法の現実の中で、「仏法正義」の旗、「創価勝利」の旗を、見事に振り続けている皆さまこそ、最大に尊貴な方々なのである。
 「九州世界女性会館」と「九州文化会館」の新しき牙城の誕生も、改めて、お祝い申し上げたい。これも、九州広布の躍進の象徴である。大九州の未来は、洋々と開けている。
2  本年は、「昭和十四年(一九三九年)に牧口先生が福岡の八女を初訪問されてから六十年」の佳節を刻む。その折、牧口先生は、一粒種の学会員に、御書の一節を教えてくださった。
 その御聖訓は、「唐土に天台山と云う山に竜門と申して百丈の滝あり、此の滝の麓に春の初より登らんとして多くの魚集れり、千万に一も登ることを得れば竜となる、魚・竜と成らんと願うこと民の昇殿を望むが如く貧なるものの財を求むるが如し、仏に成ることも亦此くの如し
 ――中国に、天台山という山に「竜門」といって百丈(一丈は約三メートル)の滝がある。この滝のふもとに、春の初めから、滝を登ろうとして多くの魚が集まる。千万分の一という難しさだが、もしも登りきれば魚は竜となる。(中略)仏になることも、これと同じである――という一節である。
 牧口先生は、この御金言を拝して、「どんな難があっても、信心をやり抜くのですよ」と、慈父のごとく温かく励まされたのである。
 牧口先生は、「私が折伏するから、あなた方は横で見ていなさい」と言われて、長崎の雲仙まで、弘教に赴かれた。
 そうやって、牧口先生は、我が九州に魂魄をとどめてくださったのである。
 今日の九州広布の大前進を、牧口先生が、どれほど喜んでおられるか。
 「日本一の九州」万歳! 「世界広布の先駆の九州」万歳! と、私は申し上げたい。(拍手)
3  苦悩の民衆に手を差し伸べ励ましゆく人こそ英雄
 現在、「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館で開催されている。これから二〇〇一年の春まで、全国を巡回する予定である。
 「東京展」に引き続き、全国に先駆けて真っ先に開かれる舞台が、ここ福岡である。
 なお、九州においては、「熊本展」(二〇〇〇年十一月)、「鹿児島展」(同年十二月)も予定されている。
 展示では、ロシア遠征(一八一二年)に出発するナポレオン軍を描いた版画(ニーメン川の渡河)も出品されている。
 強大なナポレオン軍を堂々と跳ね返した、ロシアの民衆の底力――これを若き心に深く刻んだ詩人がいた。ロシアの国民詩人プーシキンである。当時、十三歳であった。
 プーシキンは、この五月で、ちょうど生誕二百年を迎える(一七九九年五月二十六日生まれ)。プーシキンは、愛する祖国を侵略したナポレオンに対して、当然、厳しい見方をしていた。
 しかし、そのプーシキンが、「英雄」と題して、ナポレオンを謳っている。あの激戦「ボロジノの戦い」が行われたボロジノ村で、したためた詩である。
 詩は、「詩人」と「友人」の対話で織りなされている。「友人」は、「詩人」に問いかける。
 ナポレオンの生涯で最も印象に残るのは、いつの、どの場面か?
 アルプスの峰を越え、目的地のイタリアを見おろしている姿か? あるいは、軍旗を手に突撃する姿か? 戦いへと突進し、勝利また勝利を重ねゆく姿か? それとも、ピラミッドを前に、感嘆の叫びをあげる姿か?
 「詩人」は、言う。「ノー」と。
 いや違う わたしが見ているのは 幸運にめぐまれた
 かれでもなく 戦闘にあるかれでもない(『プーシキン詩集』木村すな子訳、青磁社)

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