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日蓮大聖人・池田大作

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全国県長会議 「行動」こそ信仰の魂

1999.5.2 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  世界の知性の人間学に学べ
 二十一世紀へ出発する重要な「県長会議」、まことに、おめでとうございます!
 皆さま方の見事なる大勝利の指揮を、私は最大にねぎらい、賛嘆いたします。本当にご苦労さまと申し上げたい。
 広宣流布の″天の時″を創られた、この栄光と福運は、万代まで輝きわたることでしょう。
 ともあれ、仏意仏勅の創価学会を、いよいよ守り、いよいよ強くしていかねばならない。そのために、秋谷会長を中心に呼吸を合わせ、「異体同心」の新たな前進をお願いします。
 初めに、世界の知性の人間学を紹介したい。
 わかりきっていることかもしれないが、客観的な裏づけがあれば、力になる。
 「はたらきかけぬ信仰、それがまことの信仰といえようか?」(「アタリー」佐藤朔訳、『ラシーヌ戯曲全集』2所収、人文書院)
 フランスの劇作家ラシーヌの言葉である。今年は没後三百年にあたる。
 また、フランスの思想家、シモーヌ・ヴェイユは言った。
 「人生の現実は、感覚ではなく活動」「仕事をし、創造する人たちだけがまさに、人間なのです」(「ある女生徒への手紙」黒木義典・田辺保訳、『労働と人生についての省察』所収、勁草書房)
 アメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人は「一瞬一瞬を、最高の能力を発揮して生きる動機こそ、不滅性の事実につながります」(『愛すること 生きること』出口泰生訳、大和書房)と語っている。
 要するに、学会のいき方にこそ、「まことの信仰」があり、「真実の人間」があり、「不滅の人生」がある。
 マハトマ・ガンジーは言う。
 「われわれは数量的な力に頼らない。われわれは人格の力に頼るのである」(『ガンディー主義』大形孝平訳、岩波書店)
 トルストイも言う。
 「不動と果断――これが万事に成功を保証してくれる二つの性質である」(『日記・書簡』中村融訳、『トルストイ全集』18,河出書房新社)
 いわば″信念″と″スピード″である。
 ともあれ、学会は、「人格の力」「信心の力」で勇猛精進していく。
2  新渡戸稲造博士の忠告
 「日本人は、大きいことと小さいことを混同してしまう」(松本重治『昭和史への一証言』毎日新聞社)
 こう嘆いたのは、だれか。新渡戸稲造氏である。今、五千円札の肖像になっている人物である。
 イギリス人や、アメリカ人は、何が大きいことで、何が小さいことかを見極める「センス」(センス・オブ・プロポーション)を、憎いくらい持っている、と。
 また博士は「ものごとの核心をつかめ」と言っていた。
 「重大な問題は複雑怪奇に決まっているのだ。だから核心をつかんでおけば、おのずから、どんなことでも解決の道が見いだせる」と。「それが日本人は下手なんだ」
 要するに、大所高所から、ものごとが見られない。部分的で、小さな、「重箱の隅をつつく」ような議論ばかりしていて、肝心かなめのことが、お留守になり、いつの間にか、世界の潮流と、かけ離れたところに流されてしまう。いわんや、世界をリードしていくような大きな行動ができない。
 博士は、「井の中の蛙」になることを嫌って、「日本村で有名になることは、やめろ」とも言っていた。
 小さな日本で、うまく時流に乗って、もてはやされても、世界から見て、また人道から見て、おかしな行動をしていたら、何にもならない。
 戦前の日本で最高の「国際人」は、だれか? いろいろ意見はあるだろうが、その一人が新渡戸博士であることは、だれもが賛成するだろう。
 「太平洋に架ける橋」になろうという志で、日本が世界から孤立しないために、働き抜いた。国際連盟(現在の国連の前身)のリーダーの一人であった。
 「知的協力委員会」をつくって、世界の文化人・学者の協力による平和を追求した。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の前身のような運動である。
 フランスの哲学者ベルクソン、ポーランドの化学者キュリー夫人、また、アインシュタイン博士、その他、世界の最高の名士が集まり、みな新渡戸氏の親しい友人であった。フランスの大作家ロマン・ロランとも親しかった。
3  新渡戸氏は、日本人が、世界の舞台で尊敬されないことを嘆いていた。優れたところが、いっぱいあるのに、「外国人との交際が、あまりにも下手」だ、と。
 私も、見ていて、本当にそう思う。
 その理由の一つとして、博士は「話題が少ない」ことを挙げる。「自分の専門」の狭い範囲については、よく知っていても、幅の広い「人間趣味」がない。
 「西洋に於ける専門家は、人間趣味が日本の専門家より遥に広い。ところが日本人は専門家たることを最上の誇とし、円満な人間たることを度外視する。
 故に、所謂学者連中の話を聞けば、僕はその方は専門でないから知らぬといって、専門に忠実なることを誇としている。換言すれば、何々学の専門家であって、人間でありませんと誇るのである」(『東西相触れて』、『新渡戸稲造全集』1,教文館)
 これでは、海外に行っても、人間として、付き合う余裕がない。
 ″アインシュタイン博士に会ったなら、相対性理論について意見を交換するよりも、むしろバイオリンの話をするほうが、博士と親しくなる近道である″
 まったく、その通りである。
 先日、私は、アメリカのメディアからインタビューを受けたが、そのときも「『知』『情』『意』を備えた全体人間」の必要を語った。
 ともかく、日本人は狭い所ばかりに入り込んでしまうと、新渡戸博士は言うのである。
 昭和のはじめごろ、新渡戸博士は、日本の右傾化を、本当に心配していた。また、その反動として左翼勢力が伸びることも憂慮していた。
 博士は、国内の左右両方の勢力を批判しつつ、「自由主義」を守るため、日本と世界の橋渡しに奔走した。そして、体を壊して、旅先のカナダで亡くなった。(昭和八年=一九三三年)

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