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日蓮大聖人・池田大作

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第32回本部幹部会、第9回東北総会、第… 人類貢献の人生! これぞわが誇り

1999.3.9 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  セネカ「力強い勇気は、万人の心を打つ」
 遠いところ、また寒いなか、本当にご苦労さまです!(拍手)
 こんな名言がある。
 「力強い勇気は、万人の心を打つ」
 古代ローマの哲学者セネカの言葉である。
 セネカ(紀元前四年ごろ〜紀元後六五年)については折々に語ってきたが、勉強のつもりで聞いていただきたい。
 彼は、哲学者として、また劇作家、政治家として活躍した。シェークスピアなどにも大きな影響を与えた。作品は「賢者の不動心について」「人生の短さについて」などの対話編や、「慈悲について」などの論文、「トロヤの女たち」はじめ十編ほどの悲劇などが伝えられている。
2  雄弁家としても早くから有名であった。若くして政治家として活躍を開始した。
 しかし、議会(元老院)をはじめ権力者からは妬まれた。
 「妬む」より「妬まれる」ほうが偉大である。いわんや最高権力者に妬まれた彼であった。
 命も狙われた。地中海のコルシカ島に、八年も追放。後に、ナポレオンが生まれたので有名な島である。
 本気で立ち上がれば、追放や流刑は当然なのである。
 彼は迫害を越えて、やがてコルシカから帰ってきた。そして宮廷の有力者の後見を受け、のちに皇帝となるネロの教育係となった。懸命に指導にあたった。
 ネロの即位後も補佐にあたった。この間のネロは、善政をしいたことで有名である。
 だが、やがて悪名高い″暴政″がはじまる。「市民のための政治」が「自分のためだけの政治」に堕ちた。市民は単なる″手段″にすぎなくなった。腐敗の政治である。裏切りの政治である。
 「何ということか!」。セネカは胸を痛めつつ、政界を引退した。
 ひとたび道を踏み外した権力者は、「正義の人」が目ざわりでならなくなる。ネロは、自分の恩師をも、なきものにしようとした。
 ネロは、セネカに「自決」を命令する。″皇帝打倒″に加担したという嫌疑によってである。
 セネカは嘆いたであろう。「とんでもない国になってしまった!」と。
 しかし彼は悠然として、心配する友人たちを、かえって励ましながら、死に臨んだのである。
 この荘厳な死の場面は、後世、多くの画家たちの題材となっている。彼の「力強き勇気」が、すべての心ある人々の胸を打ってきた。
 私たちも戦いましょう! 生き抜き、悪を倒しましょう!(拍手)
3  話は変わる。
 ドイツの文豪ゲーテいわく。
 「ただ、はつらつとした活動によってのみ、不愉快なことは克服される」(『真実に生きる』関泰祐編、社会思想社)
 その通りである。はつらつと活動していれば、ちっぽけな「不愉快」なんか吹きとんでしまう。勤行するにも、奥さんから言われて、しぶしぶ始めるのか。「ようし!」と決めて、自分で勇んで始めるのか。はつらつと開始したほうが、自分が得である。
 その他の行動も同じである。人から言われてやるよりも、「なすべきこと」を自ら見つめて、自ら立つ! それでこそ、人生は「愉快」になる。

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