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日蓮大聖人・池田大作

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宮崎最高会議 「太陽の国」宮崎に「黄金の旭日」を

1999.2.27 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  世紀の扉を開く戦い
 念願の宮崎訪問を、ついに実現することができ、本当にうれしい。
 昭和三十三年(一九五八年)の夏以来、私は宮崎に飛び来ること、十度。幾重にも「広宣流布の共戦」の歴史を刻んできた宮崎の同志が、お元気で、何よりである。
 あの昭和五十三年(七八年)の八月十一日、宮崎平和会館での「五回にわたる自由勤行会」――約一万人の同志との出会いを忘れない。
 また、八年前(一九九一年)の二月十一日、ともどもに戸田先生の誕生日を祝した第一回宮崎県総会も、私の心から離れることはない。
 わが宮崎の同志は、本当によく戦ってこられた。あの町でも、この村でも、素晴らしい広宣流布の拡大。その模様は、つぶさに、うかがっている。昨年(九八年)も、九圏・約二千のブロックが、平均して一世帯を超える弘教をなされた。
 また、大九州の勝利のために、勇んで打って出て奔走してこられた、神々しいご活躍も、よく存じ上げている。草創の多宝の友も、いよいよ光っておられる。
 昨年秋の婦人部の平和主張のつどい「ウィメンズプラザ」も大反響で、テレビでも何度も放映された。
 青年部も、一昨年の合唱祭などを通して、目ざましく大成長し、昨年の「アボリション2000」の核廃絶運動でも、二十三万人の署名を結集した。県人口の約五分の一に当たるという。
 若き地涌の陣列は、続々と、勇躍して登場している。そして、今、「二十一世紀の扉を開く戦い」に、わが宮崎の勇者は、雄々しく挑戦しておられる。
 宮崎は、大事な大事な国土である。その皆さま方のご健闘を、私は心から、ねぎらいたい。称えたい。そして、爛漫の勝利への春風を、私は送りたい。
 だれが見ていなくても、皆さま方の労苦に、御本尊は必ず必ず報いてくださる。
 功徳とは、遠くに「追い求めるもの」ではない。広宣流布を目指し、自行化他の信心に励みゆくなかで、自然のうちに備わってくるものである。
 この研修道場も、宮崎家族の″大福運の王宮″である。
2  太平洋に昇る旭日。この研修道場から仰ぐ朝日は荘厳である。さすがは「日向の国」「太陽の国」である。
 ところで、「二十一世紀の最初の夜明けを迎える国」は、いったいどこか?
 その一つが、南太平洋のニュージーランドである。
 ニュージーランドは、一九八二年までに、ほぼ全自治体で、「非核(核兵器に反対)」を宣言している。また「南太平洋非核地帯条約」の締結(一九八五年)、さらに「非核法」の制定(一九八七年)など、平和の先進国として、まことに名高い。
 光栄にも、今回、私は、多数の招聘をいただき、また数々の顕彰をお受けしている。(バンクスペニンスラ市から池田SGI会長夫妻に、世界平和への貢献をたたえて「名誉市民」称号が贈られた。また同市内の歴史の町アカロアの「自由の鍵」を受けた。さらに香峰子婦人に対し、「カメリア〈椿の花〉賞」が贈られた)
 私は、この栄誉を、平和の理想郷たる宮崎をはじめ、わが同志の皆さま方とともに分かち合わせていただきたい。
3  「女性にも参政権を!」それは、ニュージーランドから始まった
 ニュージーランドは、一八九三年、世界で初めて「女性参政権」が勝ち取られた国としても有名である。それは、アメリカ(一九二〇年)、イギリス(一九二八年)、日本(一九四五年)などに比べて、はるかに先駆ける、世界史の快挙であった。
 (SGI会長夫人が受けた「カメリア〈椿の花〉賞」も、この世界に誇る女性運動の歴史に由来する賞である)
 「男性であれば、どんな野蛮な人間にも、選挙権が与えられている。それなのに、なぜ、女性が政治に参加することが許されないのか?」
 百年ほど前の十九世紀の終わりに、この正しき道理を叫んで、ニュージーランドの女性は立ち上がった。
 リーダーであるケイト・シェパード女史を中心とする、ほんの数人からの出発であった。彼女たちには、何の権力もなかった。しかし、勇気があった。行動の力があった。友情があり、団結があった。
 彼女たちは、それぞれに子どもを抱えたり、また仕事に追われる多忙ななかで、地域や職場やサークルなど、あらゆる場を通して、女性の声を結集していった。全国を生き生きと駆け巡った。
 しかし、そうやって戦えば戦うほど、さまざまな侮辱や非難が、嵐のごとくわき起こった。彼女たちの国会への請願も、幾度となく却下された。
 だが、彼女たちは挫けなかった。じっと座って不遇を嘆く――そんなことは愚の骨頂であることを、聡明な彼女たちは、よく知っていた。
 ″共鳴者が増え、国会が請願を却下できなくなるまで、全力投球で戦い抜きましょう! いつか、必ず、私たちの正義の声を国中に聞かせてみせましょう!″
 この揺るがぬ決心を貫き、地道に、着実に、辛抱強く、七年にわたって連帯を広げていったのである。
 ついに、彼女たちは、三万を超える「婦人参政権を求める署名」を国会に提出した。これは、当時のニュージーランドの成人女性の実に約四分の一にも当たる。これだけの民衆の声を前にして、頑迷な政府も動かざるをえなかった。
 こうして、一八九三年、世界初の婦人参政権が、晴れ晴れと実現されたのである。
 このような先人たちの血のにじむような労苦を受け継ぎ、人類史を画する「女性の世紀」に向かって、先頭に立って進んでいるのが、わが創価学会婦人部である。

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