Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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1.26「SGIの日」記念協議会 リーダーは自分の「慢心」と戦え

1999.1.27 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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1  根深蹴れば、葉は枯れず
 名もなき一人の女性がいた。
 日蓮大聖人は、わざわざ筆をとって、彼女をこう励ましておられる。
 「大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候、の中にいかにいままで御しんよう信用の候いけるふしぎ不思議さよ、ふかければかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし
 ――大風が草をなびかし、雷が人を驚かせるような(乱れた、迫害の続く)世の中にあって、貴女は、なぜか今まで、日蓮を御信用してこられた。なんと不思議なことでしょうか!
 「根が深ければ、葉は枯れず、泉に玉があれば、水が絶えない」と言われているように、貴女の御信心の根が深く、心の中に、いさぎよい(勇気ある)信心の玉が輝いておられるのでしょうか。尊いことです。尊いことです――。
 きょうは、「SGI(創価学会インターナショナル)の日(一月二十六日)」を記念して、深き縁と神々しき使命の方々が集われた。
 婦人部の「紅梅会」「常盤会」「荒城の月グループ」の皆さま、通訳・翻訳に携わる皆さま、そして白樺会・白樺グループ・ドクター部の代表等々――。皆さま方の、健気なるご活躍を、心からたたえて、この御書の一節を拝させていただいた。
2  周総理夫人は気どらず、飾らず、民衆に奉仕
 「中国人民の母」である鄧穎超とうえいちょうさん(周恩来総理夫人)の伝記が、このほど潮出版社から発刊される。(二月一日に発売)
 タイトルは『鄧穎超とうえいちょう――妻として同志として』。
 著者である西園寺一晃先生が、できたばかりの一書を私に贈呈くださり、さっそく読ませていただいた。感銘した。
 光栄なことに、冒頭、周恩来総理と私の会見(一九七四年十二月五日)の秘話や、創価大学の「周桜」の歴史にも、鋭く、温かく光を当ててくださっている。
 西園寺先生と周総理ご夫妻との交友は、大変に深い。
 四十年以上前、北京に移住したばかりの西園寺先生のご一家を、総理ご夫妻が温かく迎えてくださったという。
 当時、中学生の西園寺先生が、最初に総理の自宅にお邪魔した時、お茶を入れてくれた「オカッパ頭の女性」がいた。すっかり、お手伝いさんと思っていたら、あとから出てきた周総理から、「私の妻です」と紹介されて、驚いた。
 それくらい、鄧穎超さんは、ありのままで、飾らず、気取らず、質素で、「どこにでもいるオバサン」であった、というのである。
 ここに、鄧穎超さんの偉さがある。本物の人格のすがすがしさがある。
 特別な人間など、どこにもいない。自分が特別であると思っている傲慢な人間は、すでに心が堕ちている。
3  「幹部は謙虚に」「民衆こそ先生」
 鄧穎超さんが、人生の荘厳な総仕上げにあって、最後の力を振り絞って訴え続けたことは、いったい何であったか。
 それは、リーダーは自らの慢心と戦いなさい!――ということであった。
 鄧穎超さんは、あらゆる機会に、後継の指導者たちに厳しく教えた。
 「革命家の貢献は、無限でなければなりません」
 「必ず慎み深く、謙虚でなければなりません。驕らず、焦らず、仕事を立派にやりとげるのです」
 「特殊化(=特権化)に反対することは、幹部が率先してやらねばなりません。そのためには革命精神が必要です」
 「民衆こそ主人公であり、民衆こそ私たちの先生です。私たちは、ほんの少しであっても、民衆に対し優越感をもつようなことがあってはいけません」
 「密接に民衆と結びついて、民衆に依拠して、団結できるすべての人と団結する。これが戦う私たちの出発点です」(前掲『鄧穎超とうえいちょう――妻として同志として』)
 こう言って、女史は、幹部の「慢心」を徹底的に打ち破っていったのである。

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